水瀬帝国の二人の王子

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『水瀬ってクールなくせに佐倉には構うよな』 『ほっとくととんでもないことしでかしそうだろ』 『ちょっと。失礼じゃない?』 『佐倉もさぁ、他の女子なら水瀬王子に構われたらもっと嬉しそうにすると思うのに。お前は全然だよな』 橋本くんのストレートな言葉にドキリとしつつ、それを顔には出さないで笑ってみせた。 『構い方が王子ってより親父でしょ。子供じゃあるまいし十五分くらい歩けるよ』 『……そこじゃねぇだろ。子供じゃねぇから言ってんだよ』 『あはは!佐倉にかかれば水瀬も過保護な親父かよ』 『誰が親父だ』 水瀬はケラケラ笑う橋本くんと私に不貞腐れながら律儀にツッコミを入れ、最終的には一言『自転車買えよ』と渋い顔をして呟いた。 それもいいかもと検討はしてみたものの、結局歩くのが嫌になる雨の日は自転車を使えないのと、駅の月極の駐輪場代だってばかにならないため、この自転車購入案は脳内議決の結果、満場一致で否決された。 「おはようございます、莉子先輩」 デスクに着いてお気に入りのココアを飲みながらメールのチェックをしていると、二年後輩の水瀬爽くんに声を掛けられた。 「おはよう。……どしたの、その顔」 百八十センチ近くはあるんじゃないかという長身に、アイドルのような甘めな顔立ち。営業職には多少長めな茶色の髪は、清潔感を保つようにワックスで緩めに固められている。 シャープな輪郭の横顔は、頬の下の方が少し赤く腫れていて小さな引っかき傷もある。 「昨夜ちょっと。聞き分けのないやんちゃな猫にやられちゃいまして」 「……うかつに手を出すから」 案の定な理由に私はそれ以上深く聞くこともなく、彼も今は特にこれ以上話そうとはせずに自分のデスクに腰を下ろした。 彼、水瀬爽ももちろんこの会社の一族であり、現社長の息子で次期社長と言われている。水瀬帝国の第一王子という立場。私の同期である水瀬蓮の従弟にあたる。 水瀬や他の社員と同様、一年目は新人教育として現場の事務所で運営業務に携わり、二年目からはここ建築事業部の営業課に配属となった。 フロアの隅にある共用の冷蔵庫の一番下の冷凍室から保冷剤をひとつ取り出しデスクへ戻る。 カバンに入れていた自分のハンカチで保冷剤をくるむと、すでに自席でパソコンを立ち上げている水瀬くんに渡した。 「ちゃんと冷やして。じゃないとしんちゃんみたいな輪郭になるよ」 「ありがと、先輩。あの幼稚園児の奔放さ羨ましいですよねぇ。俺も莉子先輩にオネイサ~ンって甘えたいなぁ」 「オラ天才だぞってお尻出してフロア駆け回ってくれるならいいよ」 「……ヒドイ。慰めてくれないんですか」 四月に営業に来た彼の教育係をなぜか私が任され早半年、どういうわけか第一王子に懐かれている。 水瀬くんがここに配属になる前に『悪い奴じゃないが女癖だけは最悪だから気を付けろ』と、彼にとっては従兄の立場にあたる同期の水瀬から飲み会の席で聞いていたため、どんなボンクラ王子が来るのかと思いきや。 若干チャラそうな印象はあるものの、礼儀はしっかりしているし仕事の飲み込みも早い。おまけに小さなことにまで気が利く。 さらにこのルックス。これはモテると納得してしまったのは水瀬くんと初対面から二週間も経たないうちだったと思う。 しかし同期の水瀬が言う『女癖だけは最悪』という言葉の意味は、私の想像を超えていた。 「一ヶ月って約束してたのに、今になって納得出来ないって騒がれちゃって」 「彼氏と別れてきたのにーって?」 「そう。別に俺が頼んだわけじゃないのに」 口を尖らせて拗ねてみせる様はイケメンなせいか可愛く見えないこともない。 これだから顔の良い奴はと一括りにしてイケメンを責めたくなるのは致し方ないと思う。私のせいでは断じてない。 さらに言っていることは最低のクズなので慰めるも何もない。 水瀬くんは恋愛の仕方に多少……いや、大いにクセがある。 クセがあるなんて言い方は可愛すぎるかもしれない。私から見れば大問題だし、どうしたらそんな恋愛観になるのか全く理解不能だ。 彼が恋愛の相手として選ぶ女の子は、みんな一様に彼氏や片思いの相手がいる。 わざわざ他の男性と恋愛をしている女の子をターゲットとして選んでは、ゲームのように自分に落として楽しんでいる。 振り向かせたら一ヶ月という約束でお付き合いをし、その期間が過ぎたらあっさりさよなら。 このスタイルは高校生の頃から変わっていないらしく、入社してからもお相手の女の子は社内社外問わず選んでいるせいで噂はたちまち広がり、今やこの会社で彼の恋愛観を知らない人間はほとんどいないんじゃないだろうか。 社長の息子で、将来は会社を継ぐ立場にあるというのに良いんだろうかというのは私には預かり知らぬことなので黙っておく。 性懲りもなくこうして頬に傷を作ってくるということは、相変わらず女の子が途切れない証拠なわけで。
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