溺愛開始

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◇◇◇ 「おはようございます、莉子先輩」 月曜日。デスクで始業前のルーティンであるメールの確認と返信をしていると、爽くんに声を掛けられた。 「おはよう」 いつものココアを飲みながら挨拶を返すと、じっとこちらを見つめられる。 「どうしたの?」 「なんかいつもと雰囲気違う」 「そ、そう?」 「……うまくいったんですね。蓮兄と」 「な……っん」 思わぬ発言にココアを吹きそうになったのを、なんとか気合いで飲み込んだ。 なんでそんなすぐにバレたんだろう。あれか、いよいよ水瀬帝国の世界征服は近いのか。 怪訝な目で見ていると、少し拗ねたような顔をした爽くんが自分の首筋をトントンと指で示す。 「やっぱ蓮兄えげつない。絶対俺への牽制じゃん」 彼の仕草と発言でようやく事態を理解した私は、バッと両手で首筋を覆う。 まさか、まさか……。 「独占欲凄すぎ。あはは、先輩タコみたいに真っ赤ですよ?」 そりゃ真っ赤にもなりますよ。高校生じゃあるまいし。社会人四年目にもなってまさか首に……。 顔を隠したらいいのか、首筋を隠したらいいのか。タコ程赤くなれるんだから、あと六本手が生えてくれればいいものを。 ニヤニヤ近付いてくる爽くんに椅子ごと距離を取る。 これ以上からかわれてなるものか。 「そ、爽くん、学生寮の営業報告書って」 「出来てます。莉子先輩が攫われた金曜、俺残業して頑張ったんですよ?」 「そ……っ、あ、ありがとう……?」 確かに金曜の午後の私は使い物にならなかった自覚がある。 あのあと蓮が営業課フロアまで迎えに来たせいで報告書が途中だったのを爽くんが仕上げてくれたらしい。 ありがたいが一向に自分のデスクに向かう気配がない後輩にどうしたものかと悩んでいると、「莉子ー」と営業フロアでは聞き慣れない声が響く。 「あれ、亜美?」 「おはよう」 「おはよう、どうしたの?」 十八階にある総務課に所属している亜美が下の階に下りてくることは珍しい。 「明日の会議室の予約、A室を他のチームが使いたいらしくて。莉子達C室じゃまずい?」 「ううん、特にプロジェクターも使わないし。人数入ればどこでも」 「じゃあC室に変更でお願い」 「OK。それくらい内線でよかったのに」 会議室の変更くらい珍しいことじゃない。わざわざ来てもらうほどのことでもないのに。 「バカね、仕事はついでよ」 「え?」 「水曜の同期会から間あけてあげたでしょ?聞かせてもらうわよ、あの後どうなったのか」 同期ならではの気安さで、グッと私に顔を近付けてきた。クール美女な亜美の顔が間近に迫る。 あの同期会でお馴染みの居酒屋で、蓮にキスされたのを見られていたのを思い出した。 「莉子、メイク変えたの?」 「え、あ、まぁ、少し?」 「へーぇ?それも込みで聞かせてもらおうかな。ランチ誘いに来たの。もう言い訳は……って、あら?」 獲物を狙うハンターのような目をした亜美の視線が私の首筋で止まる。 その視線の先にあるものに気付きバカ正直に真っ赤になって手で隠した私を見て、後ろに立っていた爽くんを可笑しそうに覗き込んだ。 「社内一のプレイボーイがフラれちゃったの?」 「そうなんです。これからって時だったのに」 「まぁうちの同期の水瀬くんは年季が違うよ」 「なにそれ」と小さくなって呟いた私に、亜美は「気付いてないのは莉子と橋本くんくらいよ」と笑う。 「あれだけ王子に大事にされてんだから、覚悟決めて愛されてたらいいのよ」 「亜美…」 「もっと言ってやって、木本さん」 急にこの週末ずっと耳にしていた声が聞こえ、驚いて勢いよくふり返った。 「わ、ちょ、なんでここに……」 「おはよう水瀬くん。この週末は楽しかったみたいで」 「まぁね」 亜美は蓮に意味深な笑顔を返すと「じゃあ莉子、お昼迎えに来るから」と手を振って営業フロアを出ていった。 そんな彼女に手を振り返すことは出来ずに呆然と見送り、なぜか私のデスク周りに集結した水瀬帝国の王子達を見やる。 「これ。ドリームカンパニーがうちに出す予定のアミューズメントパークの概要」 手に持っていた大きなファイルを私に差し出す。 いつものポーカーフェイスではあるけど、瞳の奥が笑っているのがわかるだけにムッと口を尖らせてしまう。 「……ありがと」 二十センチ以上差のある蓮の顔を上目遣いに睨みながらファイルを受け取る。ギリギリ聞こえるくらいの小声でしかお礼を言わないのは、私のせめてもの抗議だ。 資料を始業前にわざわざ届けてくれたのはありがたい。 今週中には生田化成に顔を出そうとしていたから、読み込む時間が出来た。
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