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するとそこに見覚えのある背中を見つけてギクリと身体に力が入ってしまった。昨夜やり取りしたくだらないメッセージと来週の約束が頭をよぎる。
周りに誰もいなくてもピシッと伸びた背筋。均整の取れた身体にぴったりと合うスーツはきっとオーダーメイド。
真っ黒で艶のある黒髪は短めに整えられている。
「蓮兄」
そう呼ばれて振り返った水瀬は、声の主の隣に私がいたことに少し驚いた顔をしながらもすぐにポーカーフェイスに戻る。
「おお。外回りか」
「うん、これから大学行ってくる」
水瀬帝国の王子が揃い踏みだ。社の女の子たちに見つかればさぞキャーキャー喜ぶんだろうななんて完全に他人事でふたりを見る。
アイドルのような甘い顔立ちの爽くんに比べ、水瀬はキリッとした切れ長の目が印象的な端正な顔立ち。俳優として映画のポスターに載っていても何の違和感も抱かないほど整っている。
身長はふたりとも同じくらいなので水瀬家の遺伝の為せる技なのだろう。
百五十五センチという平均を下回る身長の私からすればとんでもなく羨ましい遺伝子だ。
従兄弟同士とはいえ似ていないふたりだけど、すこぶる容姿がいいのには違いない。
その人達から受け継いだであろう我が社の社長と副社長の顔を思い出そうと頑張ってみたものの、ぼんやりとしか出てこず薄情な社員で申し訳なくなった。
「あぁ、学生寮?」
あとで就活の時ぶりに会社のホームページを見てみようと思っていたら、水瀬の視線がこちらを向いていた。
水瀬が企画課に異動して半年たった今も、以前と変わらずに飲み仲間のままだ。
送別会の時に感じて蓋をした感情は、行き場を失って今も胸に燻ったまま。
同期会でも、二人で飲みに行った時でも、主に話す内容は仕事のことが多い私たちは、ある程度互いがどんな仕事をしていてどのくらい忙しいのかを把握している。
正直私は企画の仕事はさっぱりだけど、半年前まで営業にいた水瀬は私が学生寮の案件を受け持っていることを知っていた。
爽くんの言葉を受けつつ、返事を投げかけたのは私に向かってだったのに驚きつつも口を開く。
「うん。女をなめてる頭の固いおじさん連中をメロメロに口説き落としてくるよ」
「……言い方」
ガッツポーズをする私を真っ直ぐに見つめる水瀬が眉を顰めたのに気付かないフリをした。
女であることがこの建築営業の業界で不利に働くこともあるのを水瀬も知っているからこそ心配させたくなかった。
「『オラがおじさんたちに寮の建て替えを勧めてくるぞーぉ』なんつって」
「おお! すげぇ!」
「ふふふ、似てた? レパートリーお披露目第一弾」
「めっちゃ似てます!」
「……何してんだお前ら」
呆れて苦笑した顔を見てほっとする。
いつからだろう。水瀬が真剣な顔つきで私を見ると落ち着かない気分になるようになったのは。
同期として気取らない付き合いの出来る唯一の男友達。バカみたいな会話をして笑って、仕事では助け合って、気が向けば一緒に飲みに行って。
そんな居心地のいい関係がずっと続くと思っていた。
それを手放したくないと思っていた。心の奥底にいつからか芽生えていた感情を見ないふりをして、仲の良い同期としての距離感をずっと保ってきた。
だから壊したくない。
ふと昨夜のドヤ顔をしたパンダを思い出した。目の前の男を見上げつつ、脇腹に軽くグーパンチをお見舞いする。
「痛って! なんだよ」
「……顔にイラっときたから」
「はぁ?」
「顔にイラッときた」
「二回言わんでいい」
くだらないやり取りをしている私たちを見て、爽くんが笑う。
「仲良いっすね」
「まぁ」
「同期ならどこもこんな感じじゃない? ほら、行くよ」
ところがやってきたエレベーターはほとんど満員で一人しか乗れなさそうだった。
「蓮兄先いいよ」
「いや、急いでないから。お前先行って車回してきたら」
「じゃあそうする。莉子先輩、正面で待ってて下さいね」
爽くんを乗せたぎゅうぎゅうの箱が閉まり、エレベーターホールには私と水瀬のふたりきり。
あのパンダを思い出して殴ってはみたものの、メッセージの内容が内容なだけにあまり話題にはしたくない。
来週わざわざ時間があるかと確認してまでしたい話とやらを、今ここで聞くわけにはいかないのだから。
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