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◇ ◇ ◇
水瀬ハウス工業の自社ビルは、地下二階地上二十一階で水瀬ハウス工業の本社はもちろん、提携する不動産会社やインテリアデザイン会社もテナントとして入居している。
一階から四階まではショールームになっており、一般にも解放されていて土日には家族連れで賑わっていたりする。
建築メーカーの自社ビルということで、環境や省エネにも配慮された設計がなされており、何年か前に何とか省からなんちゃら賞をもらったと先日見返したホームページに掲載されていたが全く思い出せない。
ちなみに爽くんの父親である水瀬仁志社長の写真も拝見した。どこにでもいそうなおじさんで、特に高身長でもなく失礼ながらイケメンの名残り的なものは見当たらなかった。
副社長に至っては顔写真も載っていなかった。王子達は母親に似ているのだろうか。
最上階の二十一階が社員食堂になっていて、ワンコインでレストランばりに美味しい食事が楽しめる。
お弁当を持参する時間も気力も女子力もない私は、会社にいる日はほぼ毎日ここでお昼ごはんを食べていた。
JRが四線、地下鉄が二線乗り入れる大きな駅の近くにあるビルの最上階からの眺望は、眼下はほぼ線路。少し奥には東京タワーが見える。
都心を一望でき、夜景も綺麗に違いない。……見る機会はないけど。
今日もワンコインのAランチを選び大根おろしたっぷりのポークソテーを頬張っていると、スパイシーなカレーのにおいをぷんぷんさせながら向かいの席に誰かが座った。
ドキンと心臓が嫌な音を立てて弾む。顔を見なくても足音でわかってしまうなんて、私も相当重症だ。
「お疲れ。珍しく遅いな」
時刻は午後二時になろうとしている。
昨日から爽くんが風邪で休んでおり、任せていた資料を自分で作っていたらお昼をとっくに過ぎてこの時間になってしまった。
それでも奇跡的にAランチが残っていて、るんるんで箸を進めていたというのに。
「……お疲れ様。水瀬も今お昼?」
「誰かさんが朝からくだらねぇメッセージ送ってくるから調子出なくてこんな時間」
ご飯とルーを全部混ぜながらカレーを口に運び、ちらりとこちらを睨んでくる。
お昼休憩の時間をかなり過ぎているとあって、今この社員食堂に人はまばらにしかいない。
空いているテーブルもたくさんある。
なぜわざわざ私の前に座るのか。そう言ってやりたいけど、なんとなく返ってくるセリフが予想出来るため、自衛のために口を噤む。
「私、カレーは食べる分だけ混ぜる派なんだけど」
「今食べてんのは俺だろ」
「だってお皿全体が汚くなるじゃん。洗う人への思いやりだよ」
「じゃあ皿返す時によろしくって念じて返すよ」
「解せない」
「なんでだよ」
今日は約束の日。
朝イチで水瀬から【逃げるなよ】というメッセージと、例の殴りたくなる顔のパンダがこっちを見て指を指しているスタンプが送られてきた。
腹が立ったので【ご安心を。玉子様との約束を忘れたりはしておりません】とメイクしながら送ると、すぐに【誰が玉子様だ】とツッコミが返ってきた。
【あ、間違えました】とシラっとそれに返信してほくそ笑む。
こういうバカバカしいやり取りが好きなのだと改めて感じて朝からちょっといい気分だった。
【アナログで書き間違えるならともかく『たまご』って打って変換してるだろ】
【玉子と卵の違いって知ってる?】
【二度寝でもしてろ】
今朝のやり取りを思い出しクスクス笑っている私に怪訝な目を向ける水瀬。
カレーを食べているだけで絵になる男も珍しい。全部混ぜて食べるのはいただけないけど。個人の嗜好なのでこれ以上は黙っておこう。
そう思いながら小鉢のポテトサラダをぱくりと食べる。こんがり焼いたベーコンとブラックペッパーが効いている大人味のポテトサラダはとても美味しい。
「佐倉、タレついてる」
「え?」
もぐもぐと粗いじゃがいもとベーコンを咀嚼するのに必死だった私は、水瀬の言葉を理解し口元を隠す間もなく、伸びてきた彼の中指が自分の口の端を拭うのを唖然として見つめていた。
その中指が彼の口元にいく段になってようやく事の次第に気づき、口を開けたままピシッと固まってしまった。
「ふ、子供かよ」
ぺろりと中指を舐めた水瀬の言葉はいつものツッコミ口調なのに、目が離せずにじっと見つめてしまっているその顔はお昼の社員食堂には到底相応しくないような妖艶さを孕んでいて。
ほっぺが痛いくらい熱を持っていくのがわかる。きっと耳まで真っ赤に違いない。
「赤い」
「……なにが」
「リップ。最近その色な」
「新色買ったの。秋だから」
「へぇ」
唇を噛んでやり過ごそうとしている私をよそに、水瀬は気のない返事をして食事を再開する。
どんな強心臓をしてるんだ、こいつは。
それとも水瀬にとってはこのくらいなんでもないことなんだろうか。
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