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月夜の晩だけ開店します
ずっとそこにあるのに見つからない。
温かく旨い料理と酒。
大事な物を無くした者だけが、辿り着けるという居酒屋。訪れた人は口々に言う。
「また行きたいねぇ。どこにあるかわからないけど。たどり着いた理由? 覚えてないなぁ。でも、行ったら人生が変わる経験ができるよ」
美しい雰囲気ののっぺらぼう女将がいたとか、一つ目大男が板前だったとか、滅法酒に強いお人好しの天狗がいただとか。噂は全て、都市伝説の類の話……。
◇ ◇ ◇
街灯のない薄暗い路地を進むと、ポツンと現れる一軒の居酒屋。
あれ? こんなところに居酒屋なんてあったかな? 訪れた人はそう思う。
店先の大きな木製の看板には筆文字で、「居酒屋 のっぺらぼう」と書いてある。
営業日は月夜。営業時間は月が夜空に出ている間だけ。冗談が通じない人が見たら、人をおちょくっていると怒るかも知れない。
月が夜空を明るく照らすと、店に明かりが灯った。居酒屋のっぺらぼうの営業時間だ。
着物姿の女将らしき女性が、店から出て来て入口に暖簾をかける。そのまま振り返って人差し指を振ると、店先の赤い提灯が灯り、暗い路地を照らした。
女将は月を見上げて、客引き兼オーナーの天狗がお客を連れて来るに違いない、と思った。
準備を急ごう。
女将は、木製の折りたたみ式お品書き看板を店先の見やすい位置に置く。
「のっぺらぼう特製メニュー」
・嘘つき舌の炭火焼
・モラハラミの塩焼き
・DV夫の拳揚げ
・活 悪人魂の天ぷら
お品書きを置くと女将は急いで、店内に戻った。
厨房からは、シュ、シュ、シュと包丁を研ぐ音がしている。
大きな体つきの板前が丁寧に包丁を研いでおり、包丁は鈍色に光沢を放った。よく切れそうだ。
板前が包丁を研ぎながら、女将に話しかけた。
「女将、顔がないのに今日も美しいね。そろそろ天狗と客が来る頃だ。顔の準備をしたらどうだい?」
「大将、ありがとう。あなたも一つ目のままだから、もう一つの目の準備をしてはいかが?」
女将と板前はそれぞれ、手で顔を擦る。
すると女将は美しい女性に、一つ目板前は渋い男性に変化した。二人はお互いの姿を見て、微笑み合う。今宵も、上手く化けている。
そこへ、ガラガラと店の引き扉が開いた。
女将が思ったとおり、黒い羽を折りたたんで鷲鼻の天狗が入って来た。隣にシクシク泣いている女性を連れている。
「いらっしゃいませ、天狗」
天狗と呼ばれた男は軽く頷き、女将へ目で合図する。心得たとばかりに女将は、天狗が連れてきた女性にも声をかけた。
「ようこそ、居酒屋のっぺらぼうへ。まずはこちらのお席へどうぞ」
そう言って席へ案内する。二人が席に着くと、温かいおしぼりを渡す。
「どうぞ。まずは手を。次に涙を拭いて。サッパリしますよ」
女性は言われた通り、おしぼりを手にする。
「あったかい……」
ポツリと言って、女性は再び涙ぐんだ。
入道大将が厨房から天狗に冷酒を持ってきた。
いつも天狗が飲んでいる物だ。
「温かい飲み物でもいかがかしら? 当店は、まず、お客様のお話を伺ってから、メニューを決めます……涙の理由を聞かせて頂けますか?」
女将の優しい口調に女性は、ポツリ、ポツリと話し始めた。
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