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──ヴヴヴヴ。
振動音の正体を認識する前に、無意識に手が伸びる。
何回か空振りして、指先がスマホを捉えた。
泥のように重い瞼を薄く開けると、画面にはマネージャーである吉岡の名前が表示されていた。
「……はい」
『あ!絽伊君!まさか今起きたの?僕もうマンションの下にいるんだけど』
「……いま、起きた」
『ちょっと!今日は絶対遅刻しないようにって言ったよねっ?』
ぎゃんとした大声が脳を揺らす。
スマホを耳から少し遠ざけ、廣瀬 絽伊は瞼と同じく重い体を起こした。
見渡した部屋は薄暗く、湿度を含んだような甘ったるい香りがする。
ベッドの下には衣類が散乱していて、ビビットカラーのブラジャーが、辛うじてシーツの端に引っ掛かっていた。
──あれ……ここ、どこだっけ?
見慣れた自分のマンションではない。昨日の記憶を辿ろうとするも、起き抜けの頭は上手く働いてくれない。
絽伊の隣で、ふくらみがもぞりと動いた。明るく染められた長い髪と、細い肩が覗く。
「ロイ〜……スマホのアラーム、何回か鳴ってたけど……煩くて止めちゃった」
布団から顔を出した女の子が、悪びれなく欠伸をする。寝ぼけていた絽伊の頭が、ようやく事態を把握し始めた。
『……もしかして君、自宅に居ないの?』
吉岡が語尾を震わせる。
「……うん」
『なにやってんだよ!どこ?どこにいるの!』
「あー……どっか、ラブホ……多分」
絽伊自身、ここがどこか分からないまま曖昧に答えると、通話口の先で、息を飲む気配がした。スマホを握りしめ、顔を真っ青にしている吉岡の姿が容易に想像できた。
昨日も、特別変わりない一日だった。仕事の後クラブに行って、飲んで踊って、仲良くなった女の子をお持ち帰りして、セックスした。
クラブがバーになったり、女の子は日によって変わったりするけれど、大体いつも通りの夜。
「……ちょっと待って」
通話中のスマホで地図アプリを開き、現在地を確認する。昨夜のクラブからは近く、絽伊の家からは遠い。
「マップ送ったから、迎え来て」
『……分かった』
吉岡はそれだけ言うと、あっさり通話を終わらせた。説教よりも一刻も早く絽伊をピックアップしなければいけないと判断したのだろう。
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