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「絽伊君!」
吉岡の声にはっとする。
心臓が早く強く打って、息苦しい。アルテに触れそうになっていた手を慌てて引っ込めた。
「あぁ、……すいません。なんか、マジ綺麗すぎて……作り物かと思っちゃって」
わざと茶化すように、ヘラリと笑った。
「……一緒に撮影するロイです。よろしくお願いします」
頭を下げると、数秒の間を空けて、上から「よろしく」とアルテの声が落ちた。
「それじゃペア撮り入ろうか。隣に並んで」
有名なフォトグラファーだという男の指示が飛び、撮影が開始された。
「アルテ、もう少しロイ君に近づいて、そうそう」
連続でシャッターが切られた。カメラマンは親しげにアルテに声をかける。
「顔も近づけて。オッケー、目線こっちね」
アルテがカメラを見たまま、絽伊の首筋に顔を寄せた。柔らかな髪が触れ、肌と心臓がそわりと浮つく。
「……珍しい香水だな」
自分の鼓動とシャッター音の中、独り言みたいなアルテの声が届いた。すぐ側にいる絽伊だけが、ギリギリ聞き取れるくらいの音量。
──香水?
今日はなにも付けていないはずだと首を傾げる。
「酒の香り?……ちょっと、付けすぎだね」
アルテが低く呟いて、二日酔いを指摘されたのだと気づいた。
「二人とも、カメラから目線外して。お互い見て」
気まずい気持ちになりながら、指示に従ってアルテに視線を移す。
至近距離で目が合うと、アルテは絽伊の襟元を軽くはだけさせ、ファンデーションテープに触れた。
思わず、ぎくりと肩が揺れる。
「遊んでて遅刻?」
トン、と鎖骨下のテープを、爪の先まで綺麗に整った指が叩いた。
──ああ……世界のアルテ様に、色々バレた。
首の後ろ辺りがひやりとする。
下手したら明日にでも、本当に住む家がなくなるかもしれない。
咄嗟にアルテの腰を引き寄せ、「すいません」と囁く。機嫌を取るように上目遣いで笑ってみせた。
女の子を怒らせた時の回避技だ。
こうやって謝れば、大概のことは許してもらえる。
カメラマンからも、「ロイ君、表情いいね」と声がかかった。
女の子なら目元を染めて「仕方ないなぁ」となるところだが、アルテはその目の温度をさらに下げ、氷のような視線で絽伊を刺した。
……まぁ、そりゃそうだ。
女の子には通用しても、天下のトップメンズモデルに効くわけがない。
「アルテ、そのまま強気な感じで笑って」
カメラマンに応えるように、アルテの唇が綺麗な弧を描く。
挑発的に見つめられ、喉を緩く締められたように呼吸が乱れた。
「お前みたいの、すげぇ嫌い」
美しく尊大で、氷点下までに冷え切った笑みを浮かべ、アルテが言った。
絽伊は、引っ越し資金あるかなと、自分の口座残高をぼんやりと思い出していた。
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