しせん、しせん。

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 ***  こんなことになる一年ほど前のこと。  私はとある神社でアルバイトを始めました。家の近所にある小さな神社でございます。子供達もだいぶ大きくなりましたし、育児が大変な時期も過ぎてきた頃合いでしたので、少しくらい働きに出てもいいと思ったのですね。  家計の足しになればいいなと思ったのもありますが、そこまで苦しかったわけではありません。  ただ、専業主婦であることが少しばかり心苦しくなったと言いましょうか――ああ、そのあたりを、なんと説明すればいいのかもわからないのですが。  多分ハローワークとか、そのあたりでアルバイトの広告を見たのでしょう。詳しいことはよく覚えておりません。  仕事内容は、主に神社でお掃除のお仕事です。一応巫女さんのような衣装はお借りしましたが、お守りなどの販売所に入ることは稀でございました。  いやはや本当に、神社の境内を掃除するのは大変なものなのです。落ち葉を掃くだけで何時間もかかってしまうものだと痛感しました。とても神主さんだけでは手が回らなかったのでしょう。私のような中年の主婦でも、境内を掃除することくらいはできますから、それで雇っていただけたのだと思います。  神社ですので鳥居があり、本殿やら賽銭箱やらとひとしりのものは揃っています。  特に目立つのは、赤い鳥居を入ってすぐのところにある一対の狛犬の石像でございました。  狛犬とは元々、インドにおけるライオンを象った像だったと聞いたことがあります。犬と書くのでなんとなく日本犬が元のような気がしてしまいますが、そう考えると実際は猫に近い存在であったのかもしれません。  狛犬は、石畳の道を挟むようにして、お互いに向き合う形となっておりました。右が 阿形 、左が吽形と言うのだと教えて頂きましたが、私には正直どちらが右で左なのかもよくわかってはいなかったのです。申し訳ないながら、特定の宗教を信仰しているわけでもありませんし、知識がなかったものでございますから。  ただ特徴的なのは、灰色の石の体に、瞳だけ金色に塗られているということでしょうか。  初めて見た時から、少し不気味なものを感じておりました。金色の眼に、鋭く睨みつけられたような気がして。 『浦部(うらべ)さんの仕事は主に、この境内の掃除をしていただくことです。販売所が忙しい時などに限りそちらのヘルプを頼むこともありますが、基本的にはずっと境内の掃除をしてくだされば構いません。巫女さんの衣装ですから、参拝者の方から何か尋ねられるかもしれませんが、その時はわたくしどもに取り次いでいただければいいですから』  とても若い神主さんでございました。背が高くてすらっとしていて、ちょっと見ないくらい綺麗な顔立ちをした男の方でございます。私のような中年の主婦が、うっかり見惚れてしまうくらいには。 『この神社でアルバイトをしていただくに至り、一番大切なことは……そちらの狛犬様を綺麗にしていただくことです』 『狛犬様って、鳥居の手前の?』 『そうです。境内の掃除より、狛犬様のお掃除を優先させてください。基本は十時に出勤されましたら、一番最初にやっていただきたいのです。水と、それから石を痛めない洗剤やスポンジを御貸ししますので』  狛犬の掃除なんて、なんだか恐れ多い気もしてしまいました。しかし、確かにこういったものは、汚れたままの方がよほど失礼なのかもしれません。  雨ざらしになる場所ですし、きっと汚れやすくもあるのでしょう。
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