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♯4
そのうちセンターの子だけでなく、ライトもレフトも逃げてきて、たちまち野球どころではなくなった。
しかもその頃の私はゾンビ映画も見たことなかったし、ゾンビゲームにも縁がなかったので、最初それが何かわからなかったというのもある。
更に翔ちゃんがいつもの癖で急に関係ないことを言い出して、私の混乱に拍車をかけた。
「あのさ、絵麻ってどっち派?」
「え? 何?」
私は近眼である。
だからこの時、地平線のかなたに現れたモノを目視しようと、懸命に目を凝らしていたのだが、およそ場にそぐわぬのんびりした口調で翔ちゃんが訊いてきたのだ。
「ナプキン派かタンポン派か、ってこと」
「は?」
なんで今ここでそれを?
「私はね。一応タンポン派なんだ」
翔ちゃんは、さっき放り出したバットを拾い上げようとしていた。
「だって、ナプキンって、いざという時ズレちゃったり、タイトなパンツ穿くと透けて見えちゃうことがあるでしょ」
バットを構えて、素振りを始める翔ちゃん。
さすが特大ホームランを放つ腕前だけあって、スウィングがずいぶんとサマになっている。
ブンっと風を切る音が聞こえてくるほどだ。
「でもタンポンってさ、ひとつ難点があって」
翔ちゃんの見つめる先、グラウンドの真ん中を、それがやってくる。
「最初痛いんだけど、慣れてくると、だんだん気持ちよくなってくるんだよね」
やばいって!
バケモンだ!
警察呼べ!
男子たちがオタつく中、のっそり現れたのは、犬である。
けど、普通の犬でないことは、すぐ近くまで行かなくとも、なんとなくわかった。
身体中の毛が抜け落ち、皮膚がただれたみたいに真っ赤なのだ。
おまけに目が白目を剥いていて、首がありえない角度に曲がっている。
だらしなく開いた口からはだらだらとよだれがしたたり、喉の奥でうーうー唸っている。
「きもっ!」
「あいつ、腐ってるぜ」
「狂犬病じゃね?」
「噛まれたらガチやばいって」
男子たちはバックネットに背中を押しつけて固まり、ぶるぶる震えている。
なので、今グラウンドに残っているのは、バットを構えた翔ちゃんと、その後ろに用もなく突っ立っている私のふたりきりである。
「あー、タンポンが」
翔ちゃんが、悩まし気に腰をくいくいと動かした。
そのつぶやきを、自分への非難の言葉とでも受け取ったのか、野犬の首がギリギリと動いた。
腰を後ろに引き、前足を突っ張ってジャンプの構えを見せている。
がうっ。
犬が跳躍した。
「翔ちゃん、危ない!」
私が叫んだ時には、すでに翔ちゃんはフルスウィングの体勢に入っていた。
腰をため、大きくひねって両手でバットを振り抜いた。
ぐわしゃっ。
スイカのつぶれるような、無気味な音。
ずざざざっ。
頭を潰された野犬が、回転しながらピッチャーマウンドのあたりまですっ飛んでいった。
「やった」
誰かがつぶやいた。
「くう、タンポンが」
スカートの中で太腿をこすり合わせ、翔ちゃんがつぶやいた。
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