第六章「新たなる脅威」

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 私はワイヤレスイヤホンで戦いの状況を観戦しながら家路へと急いでいた。  黒のローファーがカタカタと音を鳴らし、アスファルトを進める速度を上げようとすると爪先が痛みを訴えかけてきていた。  研究ばかりしていて学生の頃のような体力は既にない。徐々に息が上がり始めている、まだ老いを感じるには早い年齢にもかかわらず、体力のなさに嫌気が差す情けない自分がいた。  パンパンと唐突にクラクションが鳴った。  私はギュッと胸を掴まれたような感覚を覚える中、音のした方角を確認し、クラクションを鳴らした正体を探った。  薄暗い道路の路肩に前照灯を灯した一台の車の姿が見えた。  黒塗りのBMWシリーズセダン、快適なドライビングライフを約束する人気の車種で、内装にまでこだわった高級車の印象が強いその誠に愛らしいフォルムには身近に見覚えがあった。 「稗田先生……稗田先生っ!」    乗用車の窓が開き私を呼ぶ男性の声が二度聞えた。そのまま窓から顔を出す守代蓮先生の姿が眼前に映り込んだ。 「守代先生」  私は呼ばれていることに気付いて車に近づいた。  学園の駐車場をお互い利用しているのもあり、二か月も教師生活を続けていれば守代先生の車であることはすぐに分かった。 「どうしましたか? お急ぎのようでしたので呼び止めてしまいました」  学園の外で初めて会う守代先生の姿は真剣で頼り甲斐のあるように私には映った。 「自宅に帰るところだったの。車を取りに行く必要があって」    私は具体的な事情は告げず、簡潔にそう守代先生に告げた。 「そうでしたか、ご迷惑でなければ家まで送りましょう。私は仕事帰りでしたので」  守代先生も簡潔にそう述べた。私のために路肩に車をわざわざ止めたのか、それは定かではなかったが、断る言い訳も浮かばず、そのまま私は助手席に乗り込み、シートベルトを着用すると簡単に道を伝えた。 「分かりました、五分もかからず着きますよ」  走っていたせいで汗を掻いているのを見られてしまったから、私を安心させようと守代先生はそう言って、車を発進させた。  私よりも長くこの街に暮らしていたからか、カーナビを使用することなく道をすぐに理解したようだった。  無言のまま走行する車、生温く暑苦しい外とは違い、掃除の行き届いた車の中はエアコンも効いて快適だった。  守代先生は走行中、ずっと前を向いていて私が急いでいたことについての追及をする様子はなかった。 「綺麗に使われてるんですね」  沈黙を続けたままでいるのも申し訳なくなった私は一言呟いた。 「ふふふっ……そうですか? 去年買ったばかりなので。  軽蔑しませんか? こういう車に乗ってることを」 「私は気にしませんよ。確かに先生のような若い男性教諭が乗っていると、そういう偏見をされることもあるかと想像できますが」  守代先生が女子生徒を含む女性からモテているかは分からないが、モテても疑問を持たないだけの容姿をしている。今日は眼鏡を付け、白衣の下にはネクタイを着けている。確かに仕事帰りであることは間違いないようだ。  高級車としての印象の強い黒のセダンを乗り回すだけで偏見の目で見られることはあるだろう。人の持つ嫉妬や妬み、不平は直接言葉にしなくても伝わってくることはある。    それを嫌うが故に身の袖に合った物を所有するのは人が社会で生き抜くために意図的に試みようとする行為である。    私は他人が何を好んで使おうと気にしないが、なかなか目に見えない形で嫌われることも先生にはあるのだろう。 「安心しました。稗田先生とは歳が近いですから、これからも良い同僚でいたいと思っていましたので」 「いえいえ……守代先生の方がお若いでしょう。知っての通り、私の娘は一年生なんですよ。本当に……気付かない内に大人に近づいて行くんだから……」  守代先生は確か三十歳前後であったはずだ、そう思いながら返答をした。  思わず私が年齢を気にしている発言をしたことに微笑を浮かべる先生。意地の悪い面が出てきていると感じ取った。 「子どもの成長を見送ることが出来るだけ幸せというものですよ。さて、もう着きます」  ついつい話し込んでしまっていると、ハイビームの先に私の自宅が見えた。  私は車を止めてもらい「ありがとうございました」と言い残し、助手席を下りると急いで自分の車に向かった。  ―――そうですか……助けが必要なようですね、あの子たちには。では二人を迎えに行くとするか。    黒い深淵から聞こえてくるような、そんな先生の声が私の脳にテレパシーのように響いた気がした。
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