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第八章「試される代行者」
一学期期末試験が一週間に迫ったある日の放課後。職員会議が終わり、ほとんどの先生方が職員室を出て家路へと帰ってしまい、静かな時が流れる。
そんな中、私を訪ねてきた生徒の姿を見て私は驚かされた。
遠慮がちに私の机までやってきた立花可憐は思い悩むように表情を曇らせ、帰る場所を失くした子犬のように私の前で黙ってしまっている。
「どうしたの? 生徒はとっくに帰っている時間でしょ?」
テスト前で部活や補習もない、放課後になればすぐに生徒たちは帰宅し学園の中は閑散としているのだ。
「それは分かってるんですが……最近、ずっと誰かに付けられている気がして、それが怖くて……」
私は”子どもみたいなこと言わないで”と、しかりたくなる気持ちをグッと堪えた。
疲れているのは私だけではない。拒絶するのは簡単だが、可憐の様子は実に思い悩み苦しんでいるようで、救いを求めている表情をしていた。その悩みは深くここで手を差し伸べなければ後で取り返しのつかないことになるかもしれない。私は溜息をついて、思わず反射的に腕組みをしながら可憐に聞いた。
「それで、先生は何をすればいいのかしら?」
「今日だけ……今日だけでいいんです、家まで送っていただけませんか?」
私の問いに救いを求めて可憐は答えた。彼女の様子を見ると切実なようだ。
ボーイフレンドが可憐にはいるのに何故私なのかと言ってやりたかったが、投げやりな一言で傷つきやすいガラスのハートを壊してしまうわけにもいかず、大人しく可憐の気持ちを受け止めることにした。
「今日は車検に出してるから歩いて帰るのだけど、平気かしら?」
「はい、大丈夫です。それは。さっき駐車場に行って確かめました」
そこまで調べてここに来たのかと、複雑な気持ちになりながら、私は荷物をまとめて立ち上がった。
「はぁ……それじゃあ行きましょう。それで安心して過ごせるのなら」
可憐は少し顔を上げて「はい」と返事をすると、私の横にぴったり付いてきた。
私は気が乗らない気持ちのまま、可憐を家まで送る事になった。
*
可憐のような年頃の少女の心情は複雑だ。ただ親しみをもって面倒を見ればいいというものではない。感情の浮き沈みが激しく依存しやすい。それだけではないが。凛音のように家族として一緒にいるわけでもなく、何か明確な責任が私にあるわけでもない。
出来ることには限りがある、それ故にどこまで手間暇をかけて接しても満たされることもなく、距離を取れば孤独感に蝕まれてしまう側面も考えなければならない。
可憐は……ゴーストに狙われるほど心に闇を育ててしまっている。それは心理カウンセリングを受けなければ改善しないように、簡単に取り除くことの難しいことだ。
だから、部活動で茜たちと一緒の時間を過ごすことで少しでも救われることを望んだが、まだ心に抱え込んだものが、彼女を不安に陥れているようだ。
「それで付けられているというのは?」
「最近になってからです。本当です……。ただ、茜先輩たちは忙しいようですし、部活動も自粛になって、なかなか、言い出すことが出来なくて」
君のボーイフレンドは頼るには心もとないのかと言ってやりたかったが私はそれをグッと堪えた。可憐はただ依存して相手に迷惑を掛けたくないのかもしれない、分からないでもないことだ。
「足音が一つ多く聞こえて、振り返っても誰もいなくて。何か自分がおかしくなったのかと思い悩んでしまって。高校生にもなって、自分で解決できないなんて情けないですよね」
強い危機妄想に陥っているのか、それとも原因となる何かがいるのか。
考えてもキリがないが、今日はとりあえず家まで送ることが助けになると判断して、渋々彼女の要望に応えることにした。
「先生……見えませんか?」
可憐が足を止め、ジッと正面を向いて離さない。唐突に時間が止まってしまったような感覚に囚われる。
視界が歪み、何か強い焦燥感に駆られると、目を見開き可憐が恐れるように見つめる方向が見えない。
一体何が起こっているのか、ただ住宅街を歩いていただけのはずなのに、恐ろしいほどに寒気がした。
「何が見えているの……?」
辛うじて口から声を絞り出すのが精いっぱいだった。
可憐は私の問いに答えない。その代わりに、最も会いたくなかった者が私の問いに答えた。
「アリスよ、あなたが偽りだといって存在を排除した」
墓から這いずってきたような感覚で私の耳に届いた言葉と共にようやく視界が開かれ、住宅街の姿が映る。
そして私は、可憐の視線の先に立つ、先日殺したはずのアリスが傷一つなくそこに立っているのを目撃した。
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