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第12章 悪夢
瞼を開ける。視界は薄暗い。見覚えのある緑色の布団に、味気無い白色の天井、夢の世界から帰ってきたのだ。窓のある方を向いてみると、カーテンが閉められていた。だから、日差しが入ってこないのだろう。
まるで、何年間も此処を離れていたかのようだ。
ベッドに横たわったまま、大きく息を吐いた。
過去を思い出して、一つだけ分かった事がある。私が海を嫌う理由、涙の色だと思ってしまう理由だ。
カノンが最期に見たあの澄んだ青色――リエルの涙で濡れた瞳の色が、海の色とそっくりだったから。
知らず知らずのうちに、カノンの想いが伝わってきていたのかもしれない。
ゆらりと起き上がり、スリッパを履く。そのまま窓辺へと歩み寄り、カーテンを勢い良くスライドさせる。外は雲一つない青空が広がるばかりだ。
頭痛がする訳でもない。他に身体に不調がある訳でもない。それなのに、こんなにも思考がはっきりとしないのは何故だろう。
アイリスへの憎しみ、リエルへの愛情、ヴィクトへの友情――私はそれを受け止め、どう接すれば良いのだろう。
今世で私に親しく接してくれた三人と、百年前の三人、それぞれが混ざり合い、私の中で渦を巻いている。どれが私の気持ちで、どれがカノンの気持ちなのか判断が付かない。
ふと、窓に映る自分の姿に目を遣ってみる。――瞳の色が魔導石と同じ緑色だ。
こうなる事を全く望んでいなかったと言えば嘘になる。魔法が使えるようになったとはいえ、複雑な心境だ。
ぼんやりとしながら窓を開ける。穏やかで涼しい風が部屋の中へと入ってきた。それとは逆に、私の心は晴れ晴れとはしない
溜め息を吐き、振り返る。その拍子に、脇に置いてあったスツールの上の鏡に、手をぶつけてしまった。
「痛っ……」
左手を庇いながら、床に転がった鏡に手を伸ばす。
そして、見てしまった。
鏡に映る自分の胸元を。そんな事があってはいけないのに。カノンだって否定したのに。だからと言って、現実は変わらない。『それ』から目が離せなくなってしまった。
「嫌あぁっ!」
弾かれたように、鏡を前方へと跳ね退ける。それはテーブルの脚にぶつかり、破片を四方に散らす。
足に力が入らず、その場にへたり込んでしまった。
「ミユ!?」
元から部屋の前に居たのか、三人の声が近くで聞こえる。
駄目だ。これを見られる訳にはいかない。ドアが開かれると同時に、ケーブルクロスを掴んだ。力任せに引くと、胸元に手繰り寄せた。
「ミユ! 何があった!?」
三人は険しい顔で部屋を見回す。それをただ呆然と見ていた。
「ミユ?」
部屋に異変が無いのが分かると、三人の肩から力が抜けていくのが分かった。
現実を受け入れられない。未来が怖い。もう、何もかも放り投げて逃げ出したい。
何度か首を横に振る。
「鏡、割っただけか? あんま驚かせんなよ」
アレクはほっとしたように小さく息を吐く。フレアも安堵の笑みを浮かべるばかりだ。
ところが、クラウは違った。はっと息を呑み、顔を強張らせる。一歩、また一歩と此方に歩を進める。それがどうしようもなく怖い。胸元で重ねる手が震える。
「ミユ、その手を下ろしてみて?」
そんな事が出来る筈がない。又、首を横に振る。視線も落とす。
「頼むから。じゃないと……」
ぎゅっと瞼を瞑る。
「ごめん」
「えっ?」
突然の謝罪に、驚いて目を開けてしまった。クラウの両手が近付いてくる。
一瞬で両手を掴まれてしまった。そのまま私の手を引き剥がしにかかる。
「やめて!」
叫んだところで、既に手は空を掴んでいた。テーブルクロスはたわんで膝の上に落ちる。
「嘘……だ……」
クラウの目が見開かれ、膝ががくりと落ちる。
「クラウ? ミユ?」
状況を理解していないであろうアレクとフレアも、恐る恐る近付いてくるのが分かった。
私の胸元へと視線を落とした瞬間、フレアの顔は青褪める。
「嫌ぁっ!」
「……フレア!」
逃げ出すように部屋を飛び出すフレアに、彼女を追うアレク――映画でも見るような感覚で、その光景を眺めていた。
そう、カノンが受けた呪いが、私にも引き継がれたらしい。その証拠に、胸にはカノンと同じ痣が浮かび上がっていたのだ。
私もカノンと同じ運命を辿るのだろうか。そんなのは嫌だ。
「うわぁぁ~っ!」
涙が止まらない。止めようとも思わない。恥ずかしいとか、今はそんなのは考えられない。
身体を抱き寄せるクラウに、ただただ縋る。
「怖い……! 私も、殺されちゃうのかな……。やだぁっ……」
「あんな目には遭わせないから! 絶対……!」
クラウの声も震えている。もしかすると、一緒に泣いていたのかもしれない。そして身体も、お互いに震えていた。
「もう、失うのは……嫌なんだ……」
耳元で囁かれた言葉が、耳にこびり付いて離れなかった。
どれ程、痛かっただろう。苦しかっただろう。今の私はクラウの気持ちに気付いてあげる心の余裕も、寄り添ってあげる余裕も備わっていない。
泣き疲れて頭がぼんやりとしてしまうまで、ただひたすら涙を流していた。
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