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恐怖にただただ震える私に、クラウは優しく囁く。
「手当しなくちゃ」
「えっ?」
「足、怪我してるじゃん?」
言われて初めて気付いた。右の脛に鋭い痛みを感じる。見てみれば、一筋の赤い線が出来ていた。
「これくらい、放っておいても大丈夫だよ」
怪我なんてどうでも良い。首を横に振ると、クラウは目を吊り上げる。
「傷の跡が残るよ?」
「でも……」
「良いから、此処に座ってて。鏡の欠片を踏んだら大変だから」
強い口調で言われ、しゅんとなってしまう。
ゆっくりと腰を上げると、クラウは微笑みを残して部屋から去っていった。
「ふぅ……」と吐息を吐き出し、膝を抱える。その上に頭を乗せた。
私はこれからどうなるのだろう。このまま影が現れれば、また――
「う~……」
嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。何か、呪いを解く方法は無いだろうか。思案してみるものの、何かを思い付く訳でもない。
そうこうしているうちに、ドアの開閉音が聞こえた。クラウが戻ってきたのだろう。
一旦冷静になると、どうしても意識してしまう。相手は前世での恋人だ。頬は沸騰したかのように熱を帯び始める。
「触るよ。痛くない?」
声を掛けられても、顔を上げる事が出来ない。小さく頷くに留まった。
ガーゼを当てられる感覚、スルスルと包帯を巻かれる感覚、どちらも今の私には刺激的だった。手当が終わると、クラウは私の頭を撫でる。頬だけではなく、顔全体がカッと熱くなった。
「鏡も直しておくよ」
一体、どうやって――一瞬だけ疑問が過ぎったけれど、私たちは魔法が使えるのだ。クラウが鏡に手を翳すと、パズルのピースが綺麗に嵌るように、鏡の破片は小さな音を立てて元の位置に戻っていった。ヒビもすっかり無くなっている。
私たちの魔法は無力だ。物を直す事は出来ても、人を治す事は出来ない。小さな掠り傷でさえも。
用事さえ済ませてしまえば、クラウは自室に戻るのだろう。そう思っていた。
しかし、彼はそうしなかったのだ。
私の右隣に来ると、そっと腰を下ろす。私の顔を見て、優しく微笑んだ。
「やっとこっち見てくれた」
心の中で悲鳴を上げる。もう、どう対処して良いのかが分からない。
そんな私の心を知ってか知らずか、クラウは正面を向き、視線を下に落とす。
「辛くなったら、全部俺に言って良いから。その気持ち、全部受け止めるから」
そんな事を言われなくても、いつかは皆に恐怖や不安を吐き出すだろう。私はカノンのように強くはない。
又、顔を膝の上に乗せる。
「私、辛いの我慢出来る程、強くないよ。もう弱音吐いてるし……」
「そっか……」
吐息混じりの小さな声が聞こえた。
静まり返った部屋で、時計が秒を刻む音が耳に届く。顔が熱くなるだけではない。心臓の鼓動も早く、強くなっていく。
この空気に耐えられそうにない。
「色々ありがとう。でも、ごめんね。一人で考えたい事があるから」
「……分かった。でも、これだけは言わせて欲しい」
「えっ?」
顔を上げてみると、クラウは私の正面に回り込む。膝の上に置いていた右手を取り、小さな何かを掌に置く。それが何かを見る暇もなく、ぎゅっと握らせる。
「これ、ミユが持ってて。今の俺には必要ないから。もう俺に返さないでね」
意味が良く分からない。返した物なんて何もないのに。
腰を上げると、クラウは愁いを帯びた笑顔を残し、そのまま立ち去っていった。ドアの閉まる音が部屋に響く。
やっと一人になれた。これからどうすれば良いのか、少し頭の中を整理しよう。
「う~ん……」
”う~ん”
とその時、自分の唸り声と重なって、天井の方で女性の唸り声が聞こえたのだ。周囲を見回してみても、他に人の姿は無い。
当たり前だ。ダイヤに一般人の出入りは全くない。他に該当者でありそうなフレアは、この部屋から飛び出していったのだから。
だとすると、この声は――
閃いた瞬間、顔から血の気が引いていく。だって、その人はもうこの世には居ない人なのだから。
「カノン!?」
”うん、そう”
「何で!?」
そんな事ってあるのだろうか。
驚いたせいで、思わず右手に力が入り、中の物が掌から飛び出した。宝石質のような輝きを放ちながら、それは床を転がる。段々と勢いを無くしてカタリと倒れたそれは、円状の物、だろうか。
この形状、深く考えなくとも分かる。
「指輪?」
この小ささはピンキーリングだろうか。
何故、こんな物を私にくれたのだろう。考えているうちに、一つの仮説が立った。
もしや、これはカノンがリエルにもらった指輪だろうか。
四つん這いで指輪の元に辿り着くと、それを指で摘み上げた。緑色の石が一つ中央に施された、金のつるりとしたピンキーリング、どう見てもカノンの物だ。百年前の物とは思えない程に手入れされており、錆は一つも見当たらない。
しかし、それを何故、今になってまた私の元に――
”これ、大事に持っててくれたんだ……”
感慨深そうに、カノンは呟く。
「どうしてカノンが此処に居るの?」
”それが分からないの。気付いたら、実結の傍で宙に浮いてたから”
「それって完全に幽霊……」
”幽霊じゃないもん”
実際に実体は無いし、本当に宙に浮いているのだとしたら幽霊以外にはないと思う。
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