第12章 悪夢

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 恐怖にただただ震える私に、クラウは優しく囁く。 「手当しなくちゃ」 「えっ?」 「足、怪我してるじゃん?」  言われて初めて気付いた。右の脛に鋭い痛みを感じる。見てみれば、一筋の赤い線が出来ていた。 「これくらい、放っておいても大丈夫だよ」  怪我なんてどうでも良い。首を横に振ると、クラウは目を吊り上げる。 「傷の跡が残るよ?」 「でも……」 「良いから、此処に座ってて。鏡の欠片を踏んだら大変だから」  強い口調で言われ、しゅんとなってしまう。  ゆっくりと腰を上げると、クラウは微笑みを残して部屋から去っていった。  「ふぅ……」と吐息を吐き出し、膝を抱える。その上に頭を乗せた。  私はこれからどうなるのだろう。このまま影が現れれば、また―― 「う~……」  嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。何か、呪いを解く方法は無いだろうか。思案してみるものの、何かを思い付く訳でもない。  そうこうしているうちに、ドアの開閉音が聞こえた。クラウが戻ってきたのだろう。  一旦冷静になると、どうしても意識してしまう。相手は前世での恋人だ。頬は沸騰したかのように熱を帯び始める。 「触るよ。痛くない?」  声を掛けられても、顔を上げる事が出来ない。小さく頷くに留まった。  ガーゼを当てられる感覚、スルスルと包帯を巻かれる感覚、どちらも今の私には刺激的だった。手当が終わると、クラウは私の頭を撫でる。頬だけではなく、顔全体がカッと熱くなった。 「鏡も直しておくよ」  一体、どうやって――一瞬だけ疑問が過ぎったけれど、私たちは魔法が使えるのだ。クラウが鏡に手を翳すと、パズルのピースが綺麗に嵌るように、鏡の破片は小さな音を立てて元の位置に戻っていった。ヒビもすっかり無くなっている。  私たちの魔法は無力だ。物を直す事は出来ても、人を治す事は出来ない。小さな掠り傷でさえも。  用事さえ済ませてしまえば、クラウは自室に戻るのだろう。そう思っていた。  しかし、彼はそうしなかったのだ。  私の右隣に来ると、そっと腰を下ろす。私の顔を見て、優しく微笑んだ。 「やっとこっち見てくれた」  心の中で悲鳴を上げる。もう、どう対処して良いのかが分からない。  そんな私の心を知ってか知らずか、クラウは正面を向き、視線を下に落とす。 「辛くなったら、全部俺に言って良いから。その気持ち、全部受け止めるから」  そんな事を言われなくても、いつかは皆に恐怖や不安を吐き出すだろう。私はカノンのように強くはない。  又、顔を膝の上に乗せる。 「私、辛いの我慢出来る程、強くないよ。もう弱音吐いてるし……」 「そっか……」  吐息混じりの小さな声が聞こえた。  静まり返った部屋で、時計が秒を刻む音が耳に届く。顔が熱くなるだけではない。心臓の鼓動も早く、強くなっていく。  この空気に耐えられそうにない。 「色々ありがとう。でも、ごめんね。一人で考えたい事があるから」 「……分かった。でも、これだけは言わせて欲しい」 「えっ?」  顔を上げてみると、クラウは私の正面に回り込む。膝の上に置いていた右手を取り、小さな何かを掌に置く。それが何かを見る暇もなく、ぎゅっと握らせる。 「これ、ミユが持ってて。今の俺には必要ないから。もう俺に返さないでね」  意味が良く分からない。返した物なんて何もないのに。  腰を上げると、クラウは愁いを帯びた笑顔を残し、そのまま立ち去っていった。ドアの閉まる音が部屋に響く。  やっと一人になれた。これからどうすれば良いのか、少し頭の中を整理しよう。 「う~ん……」  ”う~ん”  とその時、自分の唸り声と重なって、天井の方で女性の唸り声が聞こえたのだ。周囲を見回してみても、他に人の姿は無い。  当たり前だ。ダイヤに一般人の出入りは全くない。他に該当者でありそうなフレアは、この部屋から飛び出していったのだから。  だとすると、この声は――  閃いた瞬間、顔から血の気が引いていく。だって、その人はもうこの世には居ない人なのだから。 「カノン!?」 ”うん、そう” 「何で!?」  そんな事ってあるのだろうか。  驚いたせいで、思わず右手に力が入り、中の物が掌から飛び出した。宝石質のような輝きを放ちながら、それは床を転がる。段々と勢いを無くしてカタリと倒れたそれは、円状の物、だろうか。  この形状、深く考えなくとも分かる。 「指輪?」  この小ささはピンキーリングだろうか。  何故、こんな物を私にくれたのだろう。考えているうちに、一つの仮説が立った。  もしや、これはカノンがリエルにもらった指輪だろうか。  四つん這いで指輪の元に辿り着くと、それを指で摘み上げた。緑色の石が一つ中央に施された、金のつるりとしたピンキーリング、どう見てもカノンの物だ。百年前の物とは思えない程に手入れされており、錆は一つも見当たらない。  しかし、それを何故、今になってまた私の元に―― ”これ、大事に持っててくれたんだ……”  感慨深そうに、カノンは呟く。 「どうしてカノンが此処に居るの?」 ”それが分からないの。気付いたら、実結の傍で宙に浮いてたから” 「それって完全に幽霊……」 ”幽霊じゃないもん”  実際に実体は無いし、本当に宙に浮いているのだとしたら幽霊以外にはないと思う。
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