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第14章 羽根
どうやってダイヤまで戻ってきたのかは、あまり覚えていない。静かにダイヤの廊下を響く二人の足音、握られた右手、少しだけ前を歩くクラウの後ろ姿、その全てが、冷静さを取り戻した今の私には刺激的だ。顔は僅かに熱を持っているし、心臓の鼓動も速くなっている。おまけに、さっきまで抱き締められていたのだと思うと恥ずかしくてたまらない。
こんなにも意識してしまうのはカノンのせいだと、自分を納得させた。
そう言えば、クラウが塔に来てくれた時に、こう言っていた。
―― 羽根を取りに行くなら、言ってくれれば――
羽根とは何の事だろう。
「ねえ」
「ん?」
振り向く優しい笑顔に、更に顔が熱くなる。視線を僅かに下げた。
「羽根って⋯⋯何の事?」
「えっ? 羽根を取りに行ったんじゃないの?」
「呪いの解き方が知りたくて、それを聞きに行っただけ」
「そうだったんだ⋯⋯」
クラウは「うーん」と唸ると、憂いを帯びた瞳で瞬きをする。
「羽根はあいつを倒す最終手段だから、絶対に塔まで取りに行かなきゃいけない」
「えっ⋯⋯」
という事は、また神に会わなければいけないのだのうか。正直言って、もう顔も見たくないし、声も聞きたくない。
思わず溜め息を吐いてしまった。
クラウは慌ててその場を取り繕う。
「羽根を取りに行く時は、一緒に行こう? 大丈夫だよ、羽根は神様に会わなくても貰えるからさ」
「う〜ん⋯⋯」
塔すら見たくないかもしれない。ごねてみても仕方が無いので、結局は従うしかないのだろう。
渋々頷くと、前方からドアの閉まる音が聞こえた。
フレアの部屋から出てきたのはアレクだった。
「オマエら、大丈夫か?」
私たちの出方を窺いながら、アレクはそっと近付いてくる。
「大丈夫そうに見える?」
「いや、見えねぇ。悪ぃ」
アレクは頭を掻くと、私たちの前で足を止めた。
「何があったんだ?」
クラウが返事をしてくれるかと期待したけれど、何も発そうとはしない。仕方無く、怒られるのは承知で口を開いてみる。
「私が勝手に部屋を抜け出しちゃったから、それで⋯⋯」
「何で部屋を抜け出した?」
「それは⋯⋯。呪いを解く方法が知りたくて、塔に行ったら何か分かるかな、って」
「オマエなぁ⋯⋯」
アレクは大袈裟に溜め息を吐き、右手で長い前髪を搔き上げる。
「気持ちは分からなくもねーけどよー、誰かに相談くらいしろよ」
「ごめんなさい」
そこは自分でも悪かったと思っている。頭を下げると、また前方から溜め息を吐く音が聞こえた。
「それで、何か分かったのか?」
自分の口から、その結果を言える筈が無い。悔しくて首を横に振り、口を結ぶ。
「後で俺から話すから。今はそっとしといてあげて」
「あぁ」
嫌な沈黙が流れる。
そう言えば、此処には居ない、もう一人は何をしているのだろう。
「フレアは?」
「今は寝てる。アイツも混乱してたんだけどよー、やっと落ち着いてきたみてぇだ」
「そっか」
良かった。それならば、今は顔を合わさずに済みそうだ。今の私は、フレアを――アイリスを許せる自信が無かったのだ。一時の安堵で、思わず笑みが零れてしまった。
アレクは顔を曇らせる。
「フレアを⋯⋯いや、なんでもねぇ」
「じゃあ、俺はミユを部屋まで送るから、また後で」
「あぁ」
それぞれが歩き出し、アレクとすれ違う。その時に見た苦悩の表情が頭にこびり付いてしまった。
アレクはそんなにもフレアが大事なのだろうか。過去に、私を殺したかもしれない人なのに。
ううん、人にはそれぞれ思いがあり、行動している。それは私にだって分かる。きっと、アレクはフレアの事を――
「無理に頑張らなくても良いよ。今は自分を大事にしてあげなくちゃ」
「うん」
手を引かれながら、後ろを振り返ってみる。丁度、アレクの部屋のドアが音を立てた時だった。アレクには申し訳ない事をしてしまった。反省はしているけれど、後悔はしていない。それなのに、この心の靄は何なのだろう。
沈んだ気持ちを引き摺りながら、無言で歩く。あっという間に自分の部屋の前まで来てしまった。ドアを開けると、クラウはようやく手を離してくれた。
「ホントに一人で大丈夫?」
「うん」
大丈夫ではないのかもしれない。でも、一人で居る方が気は楽だ。もう眠ってしまいたい。
クラウの顔も見ずに、小さく頷いた。
「一つだけ約束して? さっきみたいに一人で居なくなったりしないで。いつでも俺の所に来て良いから」
「うん」
一人で何処かに行ける程の元気は残っていない。
一つ一つ丁寧に言葉を紡いでいるクラウに、無愛想に相槌を打つ事しか出来ていない。
自分に溜め息を吐きたくなった。それを必死に堪える。クラウに向かって溜め息を吐いたのだとは、勘違いされたくなかったからだ。
「迷惑ばっかり掛けて、ごめんね」
溜め息の代わりに言葉を繋げる。
クラウは驚いたように一瞬目を丸くすると、すぐに微笑んでくれた。
「迷惑だなんて思ってないよ。それじゃ、またね」
「うん」
廊下に居るクラウの事を気にしながら、そのまま静かにドアを閉める。
また『うん』と言ってしまった。
ドアが閉まり、足音が聞こえなくなった後、一人で大きな溜め息を吐いた。
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