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“・・・”
少女は子供部屋のベッドの中で、目を覚ましました。ぼんやりとした視線で、白い天井を眺めました。自分の額の上に、濡れたタオルが当てられている事に気付きました。
“ママが載せてくれたのかなぁ”
タオルを手に取って、上体を起こしました。ちょっとふらつきましたが、起き上がれました。窓の方に目をやると、夕焼けの空がカーテン越しに見えました。
喉の渇きを感じたので、いったんベッドから出ようとしました。
「あっ」
ベッドの端に付いた手に、触れる物がありました。
「何でこんな所に、ペットボトルがあるの?」
それが枕元に転がっていたのでした。不思議に思いましたが、ペットボトルの水をごくごくと飲みました。
「ふー」
吐息を付いて、ペットボトルをベッドの上の棚に置きました。ベッドに横になって、濡れたタオルを額に載せました。
「気持ちいい」
目を閉じました。静まり返った部屋で寝ていると、しんみりと寂しさを感じました。
“ママとパパは、今出掛けているんだっけ”
両親は、町が開催するコンサートを観に行っているのでした。彼女も一緒に行く予定でしたが、風邪をこじらせてしまい、独り留守番する事になりました。
「私は大丈夫だから」
外出を止めようとする両親に、少女はコンサート観賞を勧めました。
掛けていた布団を口元までたくし上げました。
“もう少し、休もう”
再び深い眠りに入りました。
次に起きた時には、大きな身震いをしました。目を開けると、子供部屋は薄暗くなっていました。
「さむーい」
布団を頭まで引き上げて、身体を丸めました。エアコンの送風音と車が道路を走っていく音が聞こえました。
少女が住んでいる家は道路に面していますが、子供部屋は二階にあり、窓を閉めていれば車の音は聞こえないのですが……
車が通り過ぎる音が、また聞こえました。掛け布団から顔をのぞかせて、窓の方を見ました。夜空から差し込む光に照らされた、カーテンがありました。そして、カーテンの隅が静かに揺れていました。
“窓が開いている”
身体を横向きにして、カーペットに膝を付いてベッドから出ました。
「大丈夫」
ベッドの角に手を付いて、ゆっくりと立ち上がりました。窓に近づいて、わずかに開かれた窓を閉めました。
そろりそろりと、部屋を出ました。
廊下には、足元を照らす照明が点いていました。壁に手を当てながら、階段へと歩いていきました。手すりにつかまって、階段をそっと降りました。
玄関口で回れ右をしてドアを開けて、リビングに入っていきました。部屋は真っ暗でした。
リビングの脇を通って、その先へと進みました。一つのドアの前で立ち止まっては明かりを点けて、トイレに入っていきました。
けだるい感じがしました。目を閉じて、息を小さく吐きました。
“とんとん”
近くで発する音で、目を覚ましました。ちょっとの時間、眠っていたようです。
“とんとん”
また、ドアをノックする音がしました。
明かりを点したトイレの中で、息を飲み込みました。ドアに鍵が掛かっている事を、両目でしっかりと確かめました。物音を立てないように、動くのを止めました。
トイレの外で、誰かが潜んでいる錯覚にとらわれました。トイレにこもったまま、じっとしていました。しばらく様子を伺っていましたが、何も起こりませんでした。
ドアの鍵を外して、恐る恐るドアを開けました。リビングの方に、明かりがありました。トイレから出て、リビングに行きました。
“私、明かりを点けたかしら?”
首を傾げました。ふと、リビングのテーブルに目をやりました。
「わぁ」
テーブルの傍に歩み寄って、ソファに座りました。前屈みになって、テーブルに手を差し伸べました。手に取ったお皿には、少女の大好きなショートケーキが二つ載っていました。
“さっき居たのは、ママだったのかなぁ。一声掛けてくれても、よかったのに”
お皿に添えられたスプーンを取って、ショートケーキを口にしました。
「うーん、美味しい」
思わず、もれました。満面な笑みを浮かべながら、ほお張りました。二つあったショートケーキを、ぺろりと平らげました。
「ごちそうさまでした」
空になったお皿にスプーンを戻して、ソファから立ち上がりました。リビング脇のキッチンの流しに、お皿を置きました。冷蔵庫を開けて、缶ジュースを取り出しては一気に飲みました。
「まだ、熱があるかなぁ?」額に手を当てました。「何だか、寒いよ」
リビングの壁掛け時計を見ると、あと少しでコンサートが終了する時間でした。リビングの明かりを消して、玄関口に回って階段を上がりました。
子供部屋に戻って、着ていたパジャマを脱ぎ始めました。ドア横のタンスから別のパジャマを取り出して、服を着替えました。脱いだパジャマは、勉強机の椅子の背もたれに掛けました。
しんと静まり返った部屋で、ベッドに潜り込みました。
“ミシミシ”
階段を上がる音がしました。
掛け布団を頭から被って、身体を縮こませました。耳を澄ませると、部屋のドアを開ける音がしました。身体全体が硬直し、声すら上げる事ができませんでした。
“ママだったら、何かしゃべって”
心の中で、念じました。
カーペットを歩く音が、着ている服がこすれる音が、少女が寝ているベッドへと近づきました。少女は、目をきつくつぶりました。呼吸する音が、かすかに聞こえました。
小さな手が掛け布団の中に入り、少女の額に触れました。少女の意識は、そこで無くなりました。気を失ったのでした。
小さな手は彼女の額から離れて、ドアを開け閉めする音がしました。
「おはよう」
母の声と共に、閉めていたカーテンが少しだけ開かれました。
少女は朝日のまぶしさに、目をしば立たせながら目覚めました。
「おはよう」
少女はベッドに横になったまま答えました。
「さあて、熱は下がったかなぁ?」
母がベッドに歩み寄っては手を伸ばして、少女の額に手を当てました。
「熱は無いようね」母がいいました。「身体がだるかったり、重かったりする?」
「ううん、わからない」
少女は首を傾げました。
「それじゃあ、ちょっと起きてみる?」
「うん」
少女は母の手を借りて、ゆっくりと上体を起こしました。身体が軽く感じられました。
「大丈夫みたい」
少女はこくりと頷きました。
「今日は日曜日だから、とりあえず午前中は寝ていなさい。午後になったら、起きてきてもいいわよ」
「はーい」
少女はもう平気だと思っていましたが、再びベッドに横になりました。
「お腹空いているでしょ。後で、朝ご飯持ってくるからね」
母がそういって、ドアに向かいました。
「ママ」少女がいいました。「あのね……」
母はドアノブに手を掛けたまま、振り返りました。
「なに?」
「昨日の夜、おかしな事があったのよ」
少女は重い口を開きました。母は少女に向き直りました。
「私がベッドで寝ていたら、誰かが窓を開けたり、私の額に手を当てたりしたのよ」少女は身震いをしました。「私、すっごく怖くなっちゃって、そのまま気絶してしまったの」
少女は掛けていた布団をたぐり寄せて、目元まで被りました。母はベッドの側にひざまずいて、少女の顔をのぞき込みました。
「それで、何かあったの?」
少女は記憶をたどってみました。
「それは……何も無かったみたい」
「昨夜、お母さん達がお家を留守にするので、お隣のお母さんに頼んだのよ」母は笑顔を見せました。「それで、お隣さんが様子を伺いに来たんだと思うわ」
「そうだったら、声を掛けてくれてもよかったのに」
少女は安堵の溜息を付きました。
「風邪で寝込んでいたから、起こさないようにと気をつかってくれたのよ」母がいいました。「それじゃあ、午前中はおとなしく寝ているのよ」
母は少女の前髪を整えました。
「後ね、ママ。ケーキありがとう」少女は掛け布団から顔を出しました。「私の大好きなケーキを、買ってきてくれたんでしょ。ショートケーキ、美味しかったよ」
「それは、お隣さんが持ってきてくれたんだわ」母がにこやかにいいました。「お母さんが帰ってきたのは、コンサートが終わってからだから」
「元気になったら、お隣のお母さんにお礼しなくちゃいけないわね」
少女がいいました。
「そうしてちょうだい」
「うん」
母は立ち上がって、子供部屋から出ていきました。
少女は昨夜の奇妙な体験から開放されて、ほっとしました。
「昨日脱いだパジャマが無くなっている」
少女はぽつりとつぶやきました。勉強机の椅子の背もたれに掛けたはずの、パジャマが今はありませんでした。
“まあ、いいか”
少女は目をつぶって、そう思いました。
“昨夜の訪問者は、本当誰だったのだろう”
階段を降りていく母は、ふと思いました。
後日、お隣の男の子、少女の同級生が話してくれました。
「母さんに言われて、隣の家に行ったんだ。風邪をひいているからって聞いたので、手拭いを水で濡らして頭に載せて、換気のために窓をちょっと開けたんだ。
それから、観たいテレビがあったので、すぐに家に帰ったよ。テレビが観終わったので、また隣の家に行ったんだ。その時ケーキを買って行ったけど……まあ、夕食前にこっそり自分が食べようと思って。
リビングに入ったら、トイレの明かりが点いていたので、ドアをノックしたんだ。でも家に居るのは彼女だけだと気付いて、すぐその場を離れたんだよ。買ったケーキは家に持って帰れないから、後で来た時に食べようと思って、リビングのテーブルに置いたままにしたんだ。
いったん家に帰って夕食を食べてから、また様子を観に隣の家に行ったんだ。そうしたら、テーブルに置いておいたケーキが無くなっていたので、がっかりしたよ。でも、ケーキ二つを食べられる程食欲があったかと思うと、ほっとした感じだった。
それから二階に上がって、熱があるかどうか確かめて。そして、パジャマが椅子に掛けてあったから、手に取ってみたんだ。ちょっと湿っていてまだ温かったから、着替えた事がわかったんだ。それで、そのパジャマは脱衣所の洗濯物かごの中に入れて、家に帰ったよ。
これが、昨夜の出来事だよ」
以上
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