後編

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後編

 興奮気味に話す加賀谷の圧力も相まって、静は「はい」以外の言葉が出てこなかった。 「宇佐美さんも、ちょっとだけ良いかしら」 「構いませんよ。是非、ご一緒します」  こうして新居探しもそこそこに、三人は家の外へ出て、「鬼の眠る場所」へと足を運ぶこととなった。  駐車場から延びる舗装のされていない山道を進んでいく。  季節柄、静の苦手な虫が姿を現すことはなかったが、朝だというのに太陽の陽が充分に届かず薄暗い。  静は一歩ずつ足元を確かめながら、前を歩く加賀谷を追う。  静かな山道には、落ちた葉や枝を踏む音が響いていた。 「加賀谷さん、この道はよく来られるんです? 道がないのに、迷わず進んでいらっしゃるので……」  十分程歩いたところで、静は加賀谷の背中に問いかける。  日頃の運動不足がたたり、静の呼吸は少しだけ乱れていた。 「えぇ、定期的に。それが私の仕事の一つでもあるんです。あ、見えましたよ」  加賀谷は話を途中で切り上げるように、目的地を指差した。  静が加賀谷の視線の先を見ると、そこには小さな祠が置かれていた。 「鬼も祠に眠るんですね」 「鬼は本来、死者の魂を指しますから」 「ではその魂はまた、どこかへ行くのでしょうか」  宇佐美の唐突な発言に、静は思わず宇佐美を睨むように見つめた。 「ちょ……、宇佐美さん。怖いこと言わないでください」 「鋭いですね、宇佐美さん。確かに、いつ出てきてもおかしくはないんです」  加賀谷さんまで――と静が振り返ると、加賀谷は祠の前で、先程の部屋から持ち出した本を片手に微笑んでいた。  表紙には長く続く道、そして、鬼と天使が並んで歩いている背中が描かれている。 「本当に『鬼と天使』だ。やっぱり変な組み合わせ……」  静は小さくそう呟いたが、目に映るその絵はまるで、人々が進むべき道を示しているようでもあった。 「諸説あると思うけど、鬼は悪魔とは違って必ずしも悪い存在というわけではないの。地獄で生前の行いを償わせたりするシーンを漫画なんかで見たことはないかしら? あれは人に二度と悪さをさせないように、その人を更生させるためにしているのね」 「一方で、悪魔は人々を悪に誘い込むような悪霊と言われたりします。言うなれば、悪魔が人を悪の道へと進ませているということです。ややこしい部分もありますが、簡単に言うなら鬼は根本では人のことを想っている存在、ということになりますね」  加賀谷の言葉に、宇佐美が「この村では……、いえ、この辺りでは有名なお話しですので」と付け加えるように、静に向かって言葉を重ねた。  だから何だというのだ、と静は思ったが、次の言葉を促すように言う。 「その鬼――と天使が、この村には居たんですか?」 「伝説に近い話ではあるんだけどね」と加賀谷が言った時、「そういえば」と静が思い出したように言う。 「鬼についてはよくわからないんですけど……、たしか天使って『神の使者』とか言われていますよね? ということは、この村は神様から選ばれたとかそういう――」 「違うの」  加賀谷は抑揚のない声で、静の言葉を遮った。  その真剣な表情は、とても噂話の類を話そうとしているモノには見えなかった。 「こういう話って、大抵人間に良い印象を与える方を先にするじゃない? 例えばこの本で言えば『鬼と天使』じゃなくて、『天使と鬼』みたいな」  加賀谷は静に考える時間を与えるように、少し間を置いた。  そして、静が絞り出すように「はぁ」と頷いたタイミングで、再び口を開く。 「だけど、これはそうは出来なかった。何故なら大切なのは使だったから」 「鬼が大切……? それはさっき宇佐美さんが言ってた『鬼が根本では人のことを想っている存在』だからっていうことに繋がるんですか?」  まだ加賀谷の言いたいことを理解できていなかったが、静は話を合わせるように尋ねる。  その言葉を受け、加賀谷は少し寂しそうに小さく首を振った。  すると、「その鬼というのは」と、再び宇佐美が口を挟む。 「元々、この村の者だったそうなんです。その者が人の道を外れ、鬼になったと」 「村人が鬼に……」  ただの言い伝えだと頭では思いつつも、静は言葉を失っていた。 「真相は定かではないんですけど――ただ、その村人は大層美しい容姿をされていたようで……」 「だから天使ですか?」 「んー、私もそこまでは」  そう言って、宇佐美は苦笑いを浮かべて口を結んだ。 「あら、宇佐美さんもこの村のご出身じゃなかったかしら?」  加賀谷は驚いたように目を丸くしている。  宇佐美が「そうなんですが」と答えると、「まぁあくまで伝説ですからね」と加賀谷は続けた。 「その村人は容姿だけでなく、心も優しい女性だったそうよ。でも、そうであるがゆえに、言い寄って来る殿方も、それを疎ましく思う奥方も多くいたわ。だから……、彼女にはよからぬ噂は後を絶たなかったの。そんなある日、彼女はある力に目覚めた」 「ある力?」  自然と小さくなっていた静の声とは対照的に、加賀谷ははっきりとした口調で答えた。 「妖術よ。彼女は妖術を使って、裁きを下し始めた。そして、その裁きを受けた者たちは皆、彼女の示した道を歩んでいった。更生させようとしたの……でもね」  力強い視線が影を潜めるように、加賀谷は大きく息を吐くと肩を落とした。  それと同時に、静は息を呑む。 「裁きを下した者たちが突然、次々と天に登り、消えてしまった。それが彼女の意図していたことなのかはわからない。でも、天へと行った人々がそれ以降見つからなかったことで、村人は『全ては彼女の仕業』だと結論付けた」 「天に行くというのはつまり――死んでしまったと?」 「見つからなかった以上確証はないけど、おそらくね」と言ってから、加賀谷はゆっくりと頷いた。 「それが引き金となって彼女は村を追われ、姿を消したの。もう二度と、この力を使うものかってね。だけど、それだけで終わる話ではなかった。彼女には息子が一人居てね……、村人はその息子の命を彼女の身代わりとして殺めてしまった」  静は加賀谷のあまりの迫力に、背筋が寒くなる。  気付けば両手を身体の前で握っていた。  そして、恐る恐る言葉を口にする。 「それで……、彼女はどうしたんですか?」 「怒り狂った彼女はね、炎を纏い、村中を飛び回っては妖術を使って村人同士を争わせた。もうそこに、人としての感情はなかったんだと思うわ」 「まさに『鬼』の所業だと……」  感情の籠っていない目で、宇佐美は瞬きもせずに口にした。  その光景を想像するだけでも、次の言葉を飲み込むには十分だった。 「感情を失った彼女は、自分の力を抑えることも出来なかった。人力を超えた力だったから、村人はもう、天に祈るしかなかったのね。そして何日も逃げ回りながら祈願した結果、とうとう神はその望みを叶えた」  加賀谷は手に持った本を数ページ捲ると、天使の描かれたページを開く。  その天使は鬼の耳を塞いでいる。 「あ、神は天使を使いに――」 「そう。でも彼女の力は想像以上だった。彼女は自分自身と何日も戦ったそうよ。最終的に完全に抑えつけることは難しく、ここに封印することになったわけ」 「このイラストの天使には何か理由が?」  宇佐美が眉根を寄せ、加賀谷に尋ねる。  加賀谷がイラストに視線を移すと、「あぁ」と言って話し始めた。 「彼女が人の声に惑わされることがないように、そして、二度とその力が暴走しないように――彼女の悲しみを消せなかった代わりに、天使は少しでも彼女を楽にするため、彼女の耳を塞いだとされているわ。それが、彼女の望みでもあったから」 「彼女を鬼にしたのは村人の方だったのに、こんな仕打ちを受けなければならないなんて皮肉よね」と加賀谷は悲しそうに呟いた。 「『鬼だから悪者』って一括りにしてはいけないのかもしれないですね」  静は祠を見つめて言った。 「ただ、その騒ぎの後、村は大きく変わったわ。この教訓を生かし、人々を妬んだり恨んだりすることをやめて、みな協力する道を選んだ。それが人の生きる『道』だと、彼女が示したかったモノだと信じてね」 「だから『鬼と天使が魅せる道』なんだ……。あ、加賀谷さん。そういえばさっき言ってた『いつ出てきてもおかしくない』っていうのは、どういう意味なんですか?」  静の問いかけに、加賀谷は眉間に皺を寄せながら唇を舐めた。  そして、長く息を吐いた後に言う。 「封印に完璧はないの。時が流れ、時代が変わり、人も環境も、全ては常に動いている。その時は完璧な封印に見えたとしても、これらの状況が変われば、僅かな綻びなんて簡単に生じるわ。そう考えれば封印なんて、いつ破られてもおかしくない」 「そ……うですけど、その鬼が人間だったというのであれば、もうとっくに――」 「肉体はね。でも、魂はどうなのかしら」  表情こそ崩さなかったが、まるでそこだけが別空間のように、加賀谷からは冷たい空気が放たれている。  その冷気は徐々に静をも飲み込んでいく。  更に重ねるように、加賀谷は言った。 「鬼となった彼女の名前は――楓」  加賀谷の視線の先には、ネームプレートが差し込んだ光に反射している。  静は目を細めながら文字を追うように読み上げる。  胸に付けられたそのネームプレートには、『宇佐美 楓』と刻まれていた。 「奇遇よね。あなたと同じ名前なんて」  加賀谷の言葉と同時に強い風が吹き抜け、必然か偶然か、宇佐美の後ろには、一筋の道が生まれていた――。
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