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彼はここの店主の学生時代の後輩であるらしく、諸泉真白と名乗った。
「先日、友人たちと飲んでいた際に、羽目を外しすぎましてね。店の調度品を壊してしまったのです。店長は『気にしないでちょうだい』って言ってくださったんですが……さすがに何もしないというのは申し訳がなくて」
彼らはせめてものお詫びにと、団体客の入る日に交代で手伝いに来ることにしたそうだ。無論、お詫びなので給料は受け取っていないという。
「ちなみにその格好はどういう理由で……? ここは別にオカマバーを謳っている訳ではないだろう?」
「もちろん」
真白は頷いた。
「私自身は男をやめたという訳でも、心が女性というわけでも、そういう趣味があるわけでもありませんよ。スカートもヒールも初めて履きました。動きづらいですね、これ」
「そりゃそうだろ。女が履くもんだ」
「それはどうでしょうね。人間の身体の構造なんて、殆んど変わらないんですから、女性だって動きづらい筈ですよ。日夜彼女たちは我慢して履いてるんです。お洒落とか、流行りとか、日本の企業社会の固定概念などのために」
「……それもそうか」
「男も見栄を張る生き物ですが、恐らく女性もそうですね。じゃなきゃ、こんな履き物で東京駅を颯爽と歩き回るなんて芸当できる筈がありません」
そう語る真白の足元はプルプルと震え初めていた。
「辛いならやらなきゃ良かったんじゃないか」
「いえ、やらかした友人うちの1人が『形から入る』タイプでして。彼、ここ以外のバーに入ったことがないものですから、日本のバーの店員は女装だと勘違いしているようなんです」
「……それは訂正してやった方がいいんじゃないか」
「だって面白いじゃないですか」
笑みを深める彼はなかなか良い性格をしている。
「それにしても驚きました。さすがは刑事さん、ご慧眼ですねぇ」
今度はこちらが驚く番だった。
自分は職業について何か漏らしただろうかと記憶を遡るが、まったく心当たりがない。
「ふふ、すみません。半分はズルなんです」
心のこもっていない謝罪を口にしながら、真白は口元に手を添える。
「人を観察するのが仕事……といいますと、警察関係者の他にも記者や医者、興信所勤めの方など中々幅広いですが、靴の状態から外回りの仕事なのではと予想いたしました。その中で明確に定年退職の年齢が決まっていそうなのは、公務員である警察関係者。それで前に紅先輩……店長から常連さんの中に刑事さんがいると小耳に挟んでいたものですから、ピンと来ました」
「……よく見ているなぁ」
「半分は趣味です」
「もう半分は?」
「仕事の一貫で」
愉快そうにコロコロと笑う彼に、「本業は何を?」と尋ねると、「ホラー作家です」と返ってきて思わず肩が跳ねた。
ホラーやオカルトといった類いの話は、今、自分が抱えている悩みに直結するものがあったからだ。
そして目の前にいる青年は、わずかに見せた動揺を見逃さなかった。
「何かお悩みでも?」
狐のように弓なりにほくそ笑む目は、愉悦を多分に含んでいる。ネタを探している、というよりは純粋に人の抱えているものを暴くのが好きなのだろう。
「……例えば、巷で噂の『VRゲーマー変死事件』とか」
囁くような声に思わず頭を抱えた。
その指摘は完璧に核心をとらえていて、つい全てわかっていて話しかけたのではないかと勘繰ってしまいそうになる。
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