7:琥珀色

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「部長、じゃあ、私は……もしかして」 「そうだ。契約婚は問題ない。ただし普通の夫婦がすること、それをできる覚悟があるならな」 「あります。ありすぎます。望むところです」 崖から天高く飛んだ感覚になる。 家政婦どころか、リアルに近い夫婦になれるなんて、思っていた何十倍も嬉しい。 マスターが新たなウイスキーを置くと、氷が溶けてグラスに当たる気持ちがいい音色を響かせる。 「だがひとつ、条件がある」 喜びを堪能していたところへ唐突に話を振られた。 「条件……ですか?」 「ああ、そうだ。いつまで契約婚が続くからわからないが、結婚中は宿題を出す」 「……また、宿題」 「当たり前だ。検証するには色々と試して情報を得る必要がある」 「うん、そうですね。織田さんから見れば検証が目的ですし」 つい気を抜いたせいで心の声を口にしてしまう。 「他人から余計な邪魔や詮索は避けたい。結婚生活だけにフォーカスしたいからだ」 「相変わらず、徹底的ですね」 「当然だ。だから契約婚の期間で出す俺の宿題は二人だけの秘密にしてほしい。これがまず最初の宿題だ」 二人の秘密。 もしここのBARでなければ嬉しくて運動場を全速力で3周はしていたと思う。 「わかりました。絶対に守ります」 「生活の中で要望があったら遠慮なく言ってくれ。俺たちは夫婦になるんだ」 ……俺たちはになるんだ。 やはり運動場は5周に変更。 約束の時間の30分が過ぎ、織田さんとはプライベートの連絡先を交換して別れた。 すごく寒いはずなのに体は火照っている。 好きで好きで、仕事中も姿があれば追いかけていた人。 寝ても覚めても頭から離れなかった人。 彼を考えすぎて眠れなかったこともあった。 すごく遅れて来た、青春のような感覚。 まさかアラサーの私にこんな日が待っていたなんて。恋愛に希望を抱いていなかったのに、人生はきっかけ次第でどう転ぶかわからない。 織田さんはBARから出て帰り際に言った。 「来週、結婚だな」 ロックグラスに注がれた琥珀色のウイスキーに包まれ、溶けた氷の心地よいあの音が心の奥で響いた。
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