1:黒色

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勉強を始めて2週間が過ぎた頃、書類審査の結果が返ってきた。 真保さんは書類で合格するのは大卒、大学院卒、新卒が9割で高卒の中途採用は後の1割に入れるかどうかの狭き門らしかった。 郵便受けの前で緊張を落ち着けるように大きく深呼吸し、中を見ると白い紙がたった1枚だけ。結果が見えて肩を落とす。不合格の通知だけだと思いながら紙を見て今まで生きてきた中で一番激しいガッツポーズをした。 すぐに真保さんへ電話をし合格したことを伝えると「何浮かれてるの?書類を通ることは大前提なんだから」すごく怒られる。 「はい、すいません」 「単細胞してる暇は無いわよ。これからが本番なんだから。織田課長に会いたかったら死ぬ気で勉強するのみ。受かったら配属次第だけど、うまくいけば織田課長と一緒に働けるんだから」 「織田さんと一緒に働ける?……じゃ毎日会える……私、必ず受かります」 真保さんの言葉で我に返り「じゃ、また電話します」返事を聞くことなく電話を切ると、こたつへ参考書とノートを開いて戦闘モードに入る。 私は小学生の頃から勉強も体育も大の苦手で絵を描いたり本を読むことが好きなザ・文化系だった。 大人になって勉強が楽しいって言うつもりだったけど参考書を開いて5分も経たずに吐き気がする。 そのたびにぼやけた記憶の中のヒーローを思い出して耐えた。 「……織田さん」 かすかに覚えている姿は背が高く、鋭くも色気がある黒い瞳、ほどよく高い鼻、計算されたかのような整った顔のバランス。 危ない影を(まと)う雰囲気に優しい言葉。 『怖かったろ?もう大丈夫だ』 男らしい低い声は大人の魅力がだだ漏れだった。 私は両手で頬を叩き気合いを入れ、参考書を凝視する。大卒、大学院卒を倒してヒーローに会いに行く。 人差し指はマメが出来て、ノートに当たる手のひらの側面は黒くなるほど勉強した。 次の日の早朝、深夜まで勉強し2時間しか寝ていない私を携帯のけたたましい着信音が夢から現実へと引っ張りだした。 画面を見ると『樋口希美(のぞみ)』と表示されていた。 彼女は高校からの同級生で唯一私が親友と呼べる存在。今は看護師をしており、神奈川の国立医療センターで働いている。 よく連絡を取り合って1ヶ月に少なくても2回は会う。一緒にランチや居酒屋へ行き、学生時代の話や仕事の話で盛り上がってストレス発散をしていた。 こんな朝早くから連絡が来たことは初めてで不思議に思いながら電話を取ると、彼女は開口一番「伊都、あなたのお母さんがさっき救急搬送された。早くうちの病院へ来て」声を高くして早口で希美は言った。 「え?お母さんが?救急搬送?」 「そう。さっきおじさんには電話したから。とにかく急いで。私も今から対応する、待ってるからね」 そう言い残すと一方的に電話は切れた。 突然なことと寝不足で理解が追い付かず、数秒固まったが化粧もせずに服だけ着替えて家を飛び出した。
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