3.

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   *  ひどい頭痛と全身のだるさが、太樹の意識を覚醒させた。  最初に飛び込んできた景色は自分の部屋の天井だった。壁には見覚えのある掛け時計。針は七時五分を差している。カーテンの隙間から漏れているのは朝日だろうか。  途切れた記憶の端をたぐり寄せる。そう、久しぶりに魔力を暴走させたのだった。夜の学校で、太樹のことを人とも思わないような目をした刑事に、翼殺しの疑いをかけられて。 「翼」  つぶやいた親友の名が、宙に浮かんでは泡沫(うたかた)のように消えていく。昨晩のできごとはすべて夢だったのだと誰かに言ってほしかった。  枕もとに置かれたスマートフォンの液晶に光を灯す。日付を見て、たっぷり一晩眠り込んでしまったことを悟る。  学校から休校の知らせが入っているかと思ったが、連絡は来ていなかった。あのあと警察はひとまず引き上げ、今日も昨日までと変わらず授業がおこなえる状況ということらしい。  誰かが着替えさせてくれたTシャツとハーフパンツ姿のまま一階のリビングに下りると、母が昨夜のことを話して聞かせてくれた。学校で体力を使い果たした太樹を家まで運んでくれたのは担任の羽柴で、今日は無理に登校する必要はないと言い添えて帰っていったそうだ。翼を殺した犯人がわかれば連絡をくれるとも言っていて、いまだに音沙汰がないのは事件の捜査が進展していないことの証左だった。 「大変みたいだぞ、羽柴先生たちも」  すっかりスーツに身を包み、あとは出社するばかりといった雰囲気の父がダイニングチェアの上の黒いビジネスバッグを手に取りながら言った。 「翼くんから『勇者の剣』の継承権を奪ったヤツを血眼(ちまなこ)になって探しているらしい」  へぇ、と太樹はテーブルに着き、キッチンに立つ母が「朝ごはん、食べられる?」と訊いてきた声にうなずいて返した。父の言った「羽柴先生たち」というのは魔王対策チームのことだろう。 「翼は、勇者だったから殺されたの?」  昨日羽柴と話したであろう母に向かって太樹は尋ねた。 「羽柴先生、なにか言ってなかった?」 「そうね、先生もそのようなことをおっしゃっていたかな。翼くんには他に殺されるような理由はないし、犯人の目的は『勇者の剣』にあったのではないかって」  勇者を殺した者が次の勇者に。不文律で受け継がれる暗黙の掟ゆえに、翼は殺された。  殺人という恐ろしいことをしてまで勇者になりたがった人間に、一年後、太樹は殺されることになるというのか。 「このまま見つからなきゃいいのにな」  父がわずかに目を細くしてつぶやいた。 「そうすれば、太樹はずっと生きていられるのに」  茶碗に白飯をよそう母の右手が一瞬止まった。ぼーっとテーブルの一点を見つめていた太樹も、思わず父の顔を見た。 「俺、どうせいなくなるよ。魔王が復活したら、俺の魂は消えるから」 「それでも肉体は残るだろ。魔王になったって、おまえが俺と母さんの大事な息子であることは変わらない。形だけでもおまえと一緒に生きられるなら、それでいいよ」  父の大きな手が、寝癖だらけの太樹の頭をわしゃわしゃと撫でた。 「世間からどれほど憎まれたって、俺も母さんも、おまえには死んでほしくないんだ。たとえ魔王になったとしても、おまえとずっと一緒にいたい」  だからこのまま、勇者は見つからなくていい。父の手のひらから伝わる熱には、そうした父の切なる願いが込められているようだった。勇者は魔王を倒す存在。太樹の両親のように魔王の存命を望む者にとっては、自分たちが魔族であることを抜きにしても、勇者こそ消えるべき存在なのだ。  父は出社し、母は家事に忙しなく動き回っている。太樹は一人で朝食を食べた。食べ始めてから食欲がないことに気づいたが、出されたものは残さず食べるというのは幼い頃から守り続けている太樹のマイルールだった。  シャワーを浴び、制服に袖を通し、いつもどおりの時間に家を出た。頭はほとんど働いていなかったが、からだが勝手に学校へ向かった。交通系ICカードを改札口でタッチした記憶がなかった。
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