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「ずっと考えてる」  再び窓の外に目を向けた翼が言った。 「きみの肉体は生かして、魔王だけを消滅させる方法を」 「無理だな」  太樹は閉まった側の窓にゆったりと背を預けた。 「おまえもわかってんだろ。仮に俺の肉体を生かすことができたとしても、その時の俺はすでに自我を失ってる。俺のからだは魔王の魂の()れ物なんだ。魔王が復活すれば、俺の魂は死ぬ。肉体だけを生かしたって、俺の精神は戻らない」 「だったら、復活する前の魔王を消滅させる。きみの中に眠っている間に」 「それができたら今ごろ苦労してねぇよ。俺がどれだけのことを試したと思ってる? 俺が何回、自分を殺そうとしてきたか」 「そうじゃない」  翼がやや声を荒げた。 「きみは死んじゃいけない。きみを生かして、魔王だけを殺したいんだ、僕は」  太樹はこれ見よがしにため息をつく。それは高すぎる理想なのだと、これまで太樹は何度も翼に説明してきた。そんなことができるのならとっくにやっている。できないから、せめて死んで楽になりたいと願っているのだ。  そういう話も、数えきれないほど二人でした。それでも翼は、理想を手放そうとしない。 「死にたいよ、早く」  スラックスのポケットに両手を突っ込み、太樹は何年もかかえ続けている本音をつぶやく。 「俺が普通の人間みたいに死ねたら、おまえを悩ませることもないのに」  翼が銀色の窓枠を拳で殴った。珍しく怒っているらしく、太樹は少しだけ驚いた。 「何度も言わせないで。『死にたい』は禁句だよ」 「知るか。俺は早く死にたいんだ。一年なんて待たずに、今すぐ」  こんなにも苦しいのに、生き抜いた先には救いのない未来しか待っていない。多くの人を傷つけ、悲しませ、恨まれ、消される。そんな人生に、どうして生きる意味を見いだせる? 「いい加減にしろ」  翼の右手が、太樹の胸ぐらを掴み上げた。その手は小刻みに震えていた。 「まだなに一つ始まってない。今ならまだ、きみを救うことができるかもしれないだろ」  言葉とは裏腹に、翼の瞳は弱気な色を映していた。本当は救いなんてないことを、彼は誰よりもよくわかっている。  太樹はシャツを掴んでいる翼の手を、自らの右手で包み込んだ。きつく握りしめられている指をほどき、静かに太樹の胸から離してやる。  雨が上がって数時間は経っているのに、湿り気の一向に引かない空気が肌にまとわりついて気持ち悪い。翼の腕を下ろしてやると、太樹はもう一度窓に背を預けた。 「出会わなければよかったな、俺たち。そうすりゃおまえは悩まずに済んだ」 「太樹」 「おまえのせいだぞ、翼。好奇心だかなんだか知らないが、わざわざ俺と同じ学校を選んで、俺に近づいてきたのはおまえだ。悩みの種は俺。俺が悪者。そんな風に言われるのは心外だぞ」 「だって」  翼は太樹に食ってかかろうとして、しかしその眼差しはぐらりと揺らいだ。 「きみはもっと、悪い人なんじゃないかって思ってたから」  本当は違った。全然違う。いい人で、優しくて、頼りになって――。  あれはいつのことだっただろう。翼が不意に、「きみは優しいね」なんて言い出した。「どういう意味だよ」と()き返したのに、翼は笑ってごまかした。 「悪い人だよ、俺は」  視線の上がらない翼を横目に、太樹はひとりごとのようにつぶやいた。 「一年後には魔王になって、人類を滅ぼすんだから」  翼がゆっくりと顔を上げる。視線が刺さるのを感じ、音もなく翼に目を向ける。  自分で言っておきながら、もはや俺は人ですらないのだろうなと太樹は思った。  からだの中に、百年前に眠りについた魔王の魂を宿して生まれた生物。息をして、自分の足で立って歩いて、頭脳を駆使して言語を操ってはいるけれど、こんな異質な生き物を『人間』という枠組みの中に組み込んでいいはずがない。  人々が恐れ、世界の終わりを(うれ)える理由。百年に一度蘇り、魔族を率いて地球を征服する存在。  魔王。それが太樹だった。太樹の中には、復活のときを待ちわびる魔王の魂が眠っている。  百年前の記録によれば、魔王は復活と同時に魂を宿した人間の自我と肉体を奪い、この星に潜む魔族を率いて人類の殲滅、地球の征服に動き出す。つまり、太樹はいずれ、魔王の中に取り込まれて消えるということだ。  そして、魔王が好き放題暴れ出すと、どこからか人類の希望の光として勇者なる存在が颯爽と現れる。  勇者はその人にしか扱えない、唯一魔王を倒すことのできる特別な剣――『勇者の(つるぎ)』を(たずさ)え、魔王に真っ向から飛びかかるという。やがて勇者の振るう大剣は、他のどんな攻撃も効かない魔王のからだを切り裂き、その魂を再び長い眠りにつかせ、世界を救う。  勇者。人類の希望を一手に引き受けるその人こそ、太樹が心から親友だと思える男――。
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