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西本を真似て一つ深呼吸をすると、不意に翼のことが頭をよぎった。
翼は腕時計を嫌った。からだを締めつけるものがとにかく苦手で、真夏に首にタオルを巻くのも嫌がった。それでも学校ではスマートウォッチの携帯が必須で、翼はいつもスラックスのポケットに入れていた。そんな風に所持していては当然学校側からの連絡は見落としがちで、よく先生から怒られている姿を目撃した。
それはともかく、太樹はささやかな後悔に胸を痛めた。
太樹の生体データを取得できるように、同じスマートウォッチを使っている翼のデータもチームは取得できたはずだ。だが、腕時計を嫌う翼はスマートウォッチを腕に装着していなかった。
もし、翼の生体データが正しく観測できていたなら、心拍が止まったその瞬間が犯行時刻となり、あるいは翼を殺した直後の犯人を取り押さえることもできただろう。そうすれば事件は即座に解決し、太樹が疑われることもなかった。
なにやってんだよ、と太樹は心の中で翼に言う。せめて学校にいる間くらい、ルールは守ったってよかっただろ――。
「少しは落ちつきましたか」
美緒が太樹の顔色を窺いつつ、話を前に進めた。
「今のところ、容疑者は五人。龍ちゃんたち警察による昨夜から今日の午前中までの捜査で明らかになったことです。事件当時、その五人の容疑者にはアリバイがありませんでした。四人は生徒、一人は教員です」
「アリバイ」
かみ砕いて理解しようとするように、太樹は美緒の言葉をくり返す。
「その五人には、翼を殺すチャンスがあったってことか」
「そうです。五人とも翼くんと直接かかわりのあった人物ではないようですが、殺人の動機が翼くんの持っていた『勇者の剣』にあったのだとするなら、誰が犯人でもおかしくありません」
「『勇者の剣』の継承権を奪うためだけに、翼を……」
昨日、あの嫌味な刑事に見せてもらった写真に写った、背中を刺された翼の姿が頭をよぎる。太樹は胸がきゅっと締めつけられるのを感じた。
たったそれだけの理由で、翼は殺されてしまった。なぜ人は自らが勇者になることを望むのだろう。勇者には勇者の苦しみがあって、けれどそれを知らない人には、魔王を討ち、世界を救うヒーローになれることに憧れる気持ちが芽生えてしまうものなのか。
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