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「無闇に魔力を使わないでください」
美緒は恐ろしいほど淡々とした口調で言い、背中を丸めて右腕の痛みと闘う太樹をにらんだ。
「後始末をするのはわたしたちチームの人間なんですよ。余計な手間を増やされるのはおもしろくありません」
美緒には太樹がなにをしようとしたのかわかっていたようだった。万が一太樹が魔力によって円藤を殺していたら、円藤が死に至るまでのプロセスは彼女たちの暗躍によって都合よく書き換えられることになっていたのかもしれない。魔王が復活を前にして魔力で人を殺したなんて、世間の恐怖をいっそう煽り、世の中の混乱と終末ムードを加速させるだけだ。
顔を上げ、太樹はこちらをにらむ美緒をにらみ返す。言い返そうとしたけれど、頭を動かしたせいか、軽い眩暈に襲われた。
からだの力が抜けていく。右腕をかかえたまま、太樹は床に片膝をついた。急激な疲労感が全身にまとわりつき、息が上がる。胸が締めつけられるように苦しい。
「おい、大丈夫か」
円藤がおそるおそる太樹に近づき、すぐ隣にしゃがみ込んだ。マラソン完走直後の選手のような荒く弾むような呼吸をくり返し、額に玉の汗をにじませる太樹の背中を円藤はゆっくりとさすってくれた。
「もしかして、魔力を使ったからか?」
察しのいい男だ。彼の首を強く絞めていたら、床にぐったりと倒れ込むからだは太樹と円藤の二つになっていただろう。
体力が落ちているなと改めて思う。あるいは、太樹の使える魔力の量が少なくなってきているのか。
太樹の中で、なにかが確実に変化している。魔王が復活のときを迎えるにあたり、いよいよ本腰を入れて支度を始めたのだろうか。
太樹が立ち上がろうとすると、円藤が肩を貸してくれた。翼以外にもこうして太樹に手を差し伸べてくれる人がいたとは驚きだ。
礼を伝えるべきところだったはずなのに、太樹の口は円藤に対してとことん冷たい言葉を放った。
「今のでわかっただろ。俺はろくでもない人間だ。悪いことは言わない。魔王が復活して、あんたの中の魔族の本能が目覚めてからも、俺に付き従うのはやめておいたほうがいい」
円藤が口を開くよりも先に、太樹は円藤に半分背を向けた。
「どうせ強い力を得るのなら、その力は、あんたの大切な人のために使ってやれ。魔王が生み出そうとする世界なんてまともじゃないに決まってる。あんたの守りたい人を守りながら、勇者が魔王を倒すときをおとなしく待っていたほうが賢いぞ」
言うだけ言って、太樹は一人歩き出した。円藤から聞きたいことはすべて聞けた。もうこの場所に用はない。
重い足を引きずって、トレーニングルームの出入り口へと向かう。強烈な肉体疲労のせいでしゃんと伸ばすことのできない背中でトボトボと歩く太樹の後ろ姿に、円藤はやや張った声をかけた。
「明城は」
翼の名前が飛び出し、太樹は静かに足を止めた。振り返ることなく立ち止まっていると、円藤の穏やかな声が耳に届いた。
「救おうとしてたんだな、おまえのことを。あいつだけは、おまえの苦しみに気づいてた」
胸に細く刺さるような痛みが走る。あんたになにがわかる、と吠えることもできたけれど、太樹はわずかたりとも円藤を振り返ることなく、トレーニングルームを出て行った。
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