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 体育館の出入り口横に、ウォータークーラーが二台設置されている。太樹はそこで煽るように水を飲んだ。全身に冷えた感覚がめぐって気持ちいい。(もや)がかかっていたようにボーッとしていた頭もスッキリと冴えた。 「それで」  いつの間にか、美緒が太樹の隣に立っていた。これでもかというほど不機嫌な顔でにらんでくる。 「円藤さんの話を聞いて、あなたにはいったいなにがわかったと言うのですか」  美緒はいまだに太樹が答えをはぐらかしたことを怒っているようだった。太樹は美緒に握りつぶされて痛めた右腕をわざとらしくさすった。 「どんだけ鍛えてんだ、あんた。まだじんじんするぞ、ここ」 「嘘ですね。魔王の持つ治癒能力で、痛みはとうに引いているはずです」  バレていた。右腕の痛みなど、ずいぶん前から感じていない。  器としての太樹のからだを意地でも正常に保とうとする魔王のおかげで、太樹は異様なまでの健康体でこれまでの人生を生きてきた。転んでつくった擦り傷はすぐに治るし、風邪もひき始めですぐに症状が治まる。ありがたい一方で、自分が普通の人間ではないことを嫌と言うほど思い知らされ、悲しくなった。悲観したところで現実は変わらない。太樹の中には、確実に魔王がひそんでいる。  右腕をかかえるのをやめ、太樹は美緒の問いに答えた。 「高所恐怖症」 「はい?」 「あいつ、高いところはダメだって言ってた。校舎の二階からでも窓から外は眺められないって」 「えぇ。ですが、それがなにか?」 「翼の遺体が発見された場所は?」  自分で考えるよう促すと、美緒はすぐに両眉を跳ね上げた。 「205教室……校舎二階の、窓から一番近い席」 「そう。つまり、窓際の席に座っていた翼をその場で刺し殺すこと、あるいは別の場所に連れ出して殺した翼をあの場所へ運ぶことは、高所恐怖症の円藤には無理なんだよ。校舎の一階ならともかく、二階以上の教室だと、あいつは窓に近づくことができないから」  警察の調べたとおり、円藤にはアリバイがない。スマートウォッチを靴箱に返したあと、教室に忘れ物を取りに戻ったとも話している。時刻は午後五時三十分。翼の死亡推定時刻の間だ。忘れ物を取りに戻ったというのは偽証で、本当は205教室で翼を殺していたと考えることもできる。スマートウォッチを靴箱に置いたあとなら、彼の行動の軌跡をたどることはできない。  だが、円藤の場合はそれ以前の問題として、翼を殺すことができなかった。極度の高所恐怖症である円藤には、翼の殺害現場である校舎二階の窓際の席に近づくことができない。  あの場所で翼を殺してから、とっさに高所恐怖症という仮面をかぶった可能性はゼロではないが、家族や友人の証言からすぐにバレてしまう類いの嘘だ。逆に、今回ばかりは勇気を振り絞って窓際に座る翼に近づいた可能性ももちろんある。ただ、そこまでして昨日翼をあの場所で殺さなくてはならなかった理由が果たしてあったかどうか。別の日に、別の場所で殺せるタイミングがあったのではないか。太樹はそう考えた。
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