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 太樹によって与えられた魔力から解放されたシャープペンが重力に従って床に落ちる。息を詰めていた翼が呼吸の音を響かせると同時に、太樹のからだがふらりと(かし)いだ。 「太樹」  窓に向かって倒れていく太樹の肩を翼が腕を伸ばして支えてくれた。 「大丈夫?」  虚ろな目をする太樹はかすかにうなずいて返す。魔力を使うにはそれ相応の体力を消費しなければならず、使い終えたあとには百メートルの短距離走を全力で走った直後のように息が上がる。今回はそれに加えて軽い眩暈まで起こしてしまい、立っているのもつらかった。  数年前まではもう少し体力があったような気がするけれど、最近では今みたいに微量の魔力を使っただけでこのザマだ。百メートル走でたとえるなら、ろくなインターバルもないまま三本連続で走らされたような疲労感。呼吸が整うまで時間がかかるし、汗もかくし、なにより全身がだるくてたまらない。意識も遠のきかけていた。  翼に抱きかかえられ、太樹は翼の席の一つ前の席を借りて腰を下ろした。少しずつ呼吸が整ってきて、太樹はぐったりと机に突っ伏した。 「カッコ悪。勇者に介抱される魔王とか」 「きみはまだ魔王じゃない。僕もまだ勇者じゃない」  顔を伏せたまま太樹は笑う。翼がどれほど真剣な目をしているか、想像するまでもない。  過去の記録をたどれば、魔王になる少年が十八歳の誕生日を迎えるか否かというタイミングで魔王は復活するという。俺はどうかな、と太樹は最近よく考える。  自宅の庭に植えられた桜の木が、毎年太樹の誕生日を祝うかのように美しい花を咲かせてくれる。見られるだろうか、次の春にも。桜で有名な観光スポットの風景も素敵だけれど、太樹は自宅で見る桜が一番好きで、一番きれいだと思っていた。  十八歳の誕生日を迎えられたらなにをしようか。庭先で桜を眺めながら、大きなバースデーケーキを一人で食べきるというのはどうだろう。それがきっと最期(さいご)の贅沢になるのだから、少しくらい派手なことをしたっていいはずだ。  休ませたからだが元気を取り戻し始めている。魔王になったら、こんな風に体力を奪われることなく魔力を使えるようになるのかなと考えたら複雑な気持ちになった。  そんな風になりたいとは思わない。魔力なんて、この世界にとってプラスになる力じゃない。  考えるたびに、さっさと倒されてしまいたいと強く思う。魔王の力なんてろくなものじゃない。暴力によって創造された世界が平和になるとは思えない。独裁と専制に明るい未来がなかったことは人類がすでに証明している。  だからこそ、勇者の存在は唯一無二の希望なのだ。  太樹の中の魔王が目を覚ましたとき、翼が秘密裏に所持しているという『勇者の剣』もその本能を覚醒させ、翼に勇者としての力を与えると言われている。太樹は魔力の限りを尽くして世界を壊し、翼は大剣を振るってそれに立ち向かう。  馬鹿馬鹿しい。太樹はため息をついた。  そんな未来を、魔王と勇者が戦う未来をいったい誰が望むだろう。  太樹は魔王として世界を破壊する未来を望まないし、翼もまた、勇者として世界を救うことを望まない。  誰しもが望むのは、このままなにも起こらないことだけだ。これまでどおりの平凡な日々が続くこと。  けれど、その望みは叶わない。  一年後に魔王が復活する未来を避けることは、この星に住む限り、絶対にできないのだ。 「あと一年だ。一年もないかもしれない」  血の気の引いている顔をゆっくりと上げ、太樹はすぐ隣で立ち尽くしている翼を見上げた。 「そのときが来たら、一息に斬り殺してくれよ、翼。おまえにだったら、殺されてもいい」  笑みを向けたつもりだった。翼にならば命を奪われてもかまわないと思う気持ちも本心だ。  中学時代からの親友。翼が友達になってくれていなかったら、こんなにも穏やかな気持ちで運命を受け入れることはできなかったかもしれない。  一生懸命笑っているのに、翼は苦しそうに目を伏せた。机の上の太樹の左手に、翼はそっと自らの右手を重ねる。 「そばにいる」  太樹に寄り添う翼の右手は、汗が引いて冷たくなった太樹の左手を強く握った。 「最期の一瞬まで、そばにいるから」  どれだけ想い合っていても、いつかは別れなければならない。二人にとって、そのときは一年後に迫っている。
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