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「それで、俺に訊きたいことっていうのは?」  太樹は美緒に視線を送る。美緒が代表して質問を始めた。 「昨日の放課後の、先生の行動を教えていただきたいんです」 「なるほど、アリバイの確認ってやつだね。警察にも話したけど、俺はずっとここにいたんだ。三時半頃からだったかな。あまりにも体調が悪かったんで、他の物理科の先生たちに一声かけて、ここを一人で使わせてもらえるよう頼んだんだ。だから、残念だけどアリバイは証明できないな。明城の遺体が見つかるまで、ずっと一人だったから」 「誰もこの部屋を訪ねなかったんですか? 他の先生方とか、質問のある生徒とか」 「全然。おかげで少し仮眠を取ることもできたよ。あぁ、この話は内緒ね」  大久保は立てた右の人差し指をマスク越しに口もとに添える仕草をする。なるほど、学校で教師がこっそり昼寝とは、バレたら問題になりそうなことではあった。  美緒は少し質問の角度を変えた。 「事件にかかわりがあるか否かは問いません。昨日の放課後、なにか気になることや、いつもと違うようなことはありませんでしたか。誰かの叫び声を聞いたとか、大きな物音を聞いたとか」 「いや、特になかったよ。なにせこの北館は陸の孤島みたいな場所だからね。ひとけがなければ物音なんかしようもないし」 「事件は隣の本館で起きています。窓からなにか見えたとか、そういったことも?」 「ないな。期待にこたえられなくて申し訳ないが」  いえ、と首を振った美緒の横顔から、心底残念がっている様子が窺い知れる。無理もない。有益な手がかりが増えない限り、足踏みを強いられている現状は打開できないのだ。  大久保が表情を歪ませる。ずっと我慢していたのか、二度連続でくしゃみをした。 「あぁ、くそ」 「大丈夫ですか、先生」 「すまん。薬が切れてきたかな」  つらい風邪の症状に悩まされる大久保の顔は、この部屋に入ったときよりもさらにぐしゃぐしゃになっていた。こんな状態でも仕事を休めないのだから、社会人は大変だなと思う。  苦しそうな大久保の様子をなにげなく見ていただけなのに、また翼のことを考えてしまう。  太樹の知らないところで、翼はたった一人で苦しんでいた。勇者としてこの世界の運命を背負い、一方で命を狙われ、そんな中でも太樹のことを健気に支え続けてくれた。  これまで太樹は、自分が世界で一番不幸だと思っていた。魔王の魂を宿して生まれ、人々に忌み嫌われるなんて、これ以上の苦しみは他にないだろうと。  翼が殺されていなかったら、そんな愚かな考えにいつまでも溺れたままだったかもしれない。だが、翼のおかげで今は気づけた。  苦しいのは自分だけじゃない。翼と二人だけでもない。翼を守ろうと必死に動いていた美緒も、ひどい風邪をひいても仕事を休めない大久保も、羽柴や西本だって、それぞれがそれぞれの苦しみをかかえながら生きている。  どうしてこれまでひとりぼっちだったのか、今ごろになってわかった気がした。  太樹自身が、自分の意思で自分の殻に閉じこもっていたからだ。羽柴も、円藤も、大久保も、西本も、太樹が心を開きさえすれば拒まず受け入れてくれただろう。  どうせ嫌われる。どうせ人間扱いされない。どうせ。どうせ。そんな風に相手を拒絶していたのは太樹のほうだ。普通に生きることをあきらめて、特別を自分自身で選んでいた。  変われるかもしれない。翼が大切なことに気づかせてくれた今なら。  翼が命がけで教えてくれたことを、学び、()かさないわけにはいかない――。
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