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 太樹は大久保に向けて右手をかざした。淡く白い光が音もなく現れ、大久保のからだをふわりと包み込んでいく。  こういうときだけ、魔王の力を授かったことに感謝できた。魔力は殺戮の道具ではない。傷を癒やし、誰かを助けることもできる。  その力を、今は大久保のために使う。風邪を治すことくらい朝飯前だ。彼を苦しみから救えるなら、自分はどうなったってかまわない。 「少しは楽になりましたか」  光が消え、右手を下ろした太樹は大久保に尋ねる。目を丸くした大久保が「あ、あぁ」と言った声は普段どおりのものに戻り、ぐずぐず言わせていた鼻水もぴたりと止まったようだった。 「すごいな。嘘みたいに元気になった。鼻は通るし、熱っぽさも……」 「だったら、よかった」  笑いかけようとしたけれど、できなかった。眩暈に襲われ、太樹のからだがぐらりと揺らいだ。 「鬼頭くん」  大久保が椅子を蹴るように立ち上がる。息を弾ませ、その場に倒れかけた太樹の腕を取ってからだを支えたのは美緒だった。 「大丈夫です。魔力を使うと、この人はいつもこうなので」 「そう、なのか」  大久保は驚き、心配そうに太樹の様子を見守っているが、美緒は「ありがとうございました」と大久保に礼を述べ、太樹をやや乱暴に引きずって物理科準備室を出た。  廊下に放り出されることを覚悟したが、美緒は太樹の腕を支え続け、乱れた呼吸が整うのを待ってくれた。額ににじんだ汗をハンカチで拭うことまでしてくれる。どういう心境の変化だろう。  速まっていた心臓の鼓動が徐々に落ちつきを取り戻す。太樹は美緒に支えられたまま、かすれた声で言った。 「悪い」  頭痛はひどいが、ようやく足に力が入り始め、太樹は美緒から静かに離れた。美緒はうんざりした様子でため息をつき、手にしていたハンカチをスカートのポケットにしまった。 「さっきも言いましたが、チームの人間としては、無闇に魔力を使うことは推奨できません」 「わかってる」 「ですが」  ほんの少しだけ、美緒は表情を和らげた。 「見直しました。案外、優しいところがあるんですね」  こんなにも穏やかな顔をする美緒を見たのははじめてだった。怒られ、責められるばかりの時間を過ごし、それが当たり前になりつつあった中、まさかこんな風に褒めてもらえる時間が来るとは思わなかった。  この子、こんな顔もできるんだな――。今になってようやく、太樹は美緒が同じ高校にかよう後輩の女子であることをちゃんと理解できた気がした。母親以上に口うるさいと彼女を評した翼の気持ちも。 「案外ってなんだよ」  親に口ごたえする幼い子どもみたいに、太樹は美緒の言葉尻を拾って投げ返した。 「翼も俺のことを優しいって言ってくれたぞ」 「へぇ、そうですか。よかったですね、褒めてもらえて」  いじっぱりな小学生のような言い方をして、美緒はそっぽを向いてしまった。なんて幼稚な争いだろう。ため息をつけば殴られるような気がして、太樹は美緒にバレないようにのみ込んだ。 「探しましたよ、鬼頭さん」  不意に背後から聞こえてきたその声は、できればもう二度と聞きたくないと思っていたものだった。見た目のわりに溌剌とした、しかしその口調はとことん嫌味な男。  心を無にして、太樹は声の主を振り返る。姿を目にするだけで頭痛を加速させてくれるその男、警視庁刑事部の勅使河原警部補は、ヘビのようにギラつかせた陰湿な瞳をしてゆっくりと太樹たちに近づいてきた。
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