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「無視しましょう」
美緒が太樹と同じように、去っていく勅使河原をにらみつけながら言った。
「あなたをしつこくつけ回しているということは、警察の捜査が思うように進展していないことの証です。他にめぼしい容疑者がいないから、警察はあなたを犯人に仕立てて事件に幕を引こうとしているのでしょうから」
そうだろうなと太樹も思う。だが、美緒に返す言葉は口を衝かない。
代わりに、くそ、という意味のない悪態が無意識のうちに転がり出る。思い出したくもないのに、あの刑事の顔が頭を離れない。
黒いペンキで、その顔をぐちゃぐちゃに塗りつぶす。消えろ。俺の中から。俺の前から。痛いくらいの雨に打たれて、そのまま流されて消えちまえ――。
「ろくでもないことを考えないでくださいよ」
美緒が妙に冷静な口調で、太樹にささやかな釘を刺した。
「わたしも雨は嫌いですから」
その一言で我に返った。美緒に心を見透かされたことも恥ずかしければ、今夜は大雨に、なんてことを考えていた自分も恥ずかしい。雨雲を呼ぶなんて、まさに子ども向けアニメのラスボスがやりそうなことだ。
全身から力が抜けた。いよいよ魔王らしくなってきたな、と自分で自分を嘲笑う。
一方で、自分に限ったことではないのかもしれないなと思う。誰かに悪意を向けられることで、人の心に悪魔は巣くう。
恐ろしいことだ。人間ならば誰であっても、他人の生活を脅かす存在になってしまう可能性を秘めている。
魔王じゃなくても、魔族じゃなくても、欲に溺れ、悪魔のささやきに心を奪われ、利己的に力を振るう存在に。
「翼も雨は嫌いだったな」
廊下の窓から、太樹はかろうじて白さを保っている薄曇りの空を見上げた。美緒もつられるように、太樹と同じ空に目を向ける。
「あなたはどうなんです」
「俺?」
「雨、好きですか」
好きと答えてほしいのだろうなと思った。太樹は魔王で、自分は人間。美緒がそう思いたい気持ちはよくわかる。普通であることこそなによりの幸せだ。
だが、誰一人得をしない嘘をつくのは嫌だった。普通じゃなくても、好き嫌いの自由くらいあってもいい。
「嫌いだよ。翼やあんたと一緒でな」
正直に答えると、美緒は少し目を大きくして太樹を見た。
本当に雨は嫌いだった。それでも今夜は大雨に、なんてことを考えてしまうのだから、タチが悪いなと太樹はまた少し自分のことが嫌いになった。
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