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「本当に、なんの音も聞かなかった?」
はじめて太樹が口を開くと、臼井はあからさまに敵意のある目をして太樹を見た。
「言ったでしょ、よく覚えていないって」
「本当に? 本当になんの音も思い出さない?」
「なにが言いたいの?」
臼井は立ち上がり、怒りを露わにして太樹をにらんだ。
「どんな音を聞いていたらあなたは満足するわけ? 勉強に集中してなにが悪いの?」
「いや、悪くはないよ。ただ……」
太樹の言葉を遮るように、誰かのスマートフォンが机の上で振動した。臼井のものだったらしく、臼井はクリーム色のケースに入ったそれを手に取ると、画面の表示を見るなり太樹に向けていた怒りの表情を収め、明るい声で応対し始めた。
「うちのOBからの連絡だよ」
臼井とともにランチタイムを過ごしていた女子の一人が教えてくれた。電話の相手は首都学園高校の卒業生で、卒業生全員で構成される同窓会の役員をしている人だそうだ。九月に開催される文化祭の件で、今日の昼休み中に連絡を取り合う約束になっていたのだという。OBとの連携も生徒会の仕事の一つということなのだろう。
電話は長くなりそうで、太樹と美緒はひとまず生徒会室をあとにした。教室の扉を閉める前に、太樹はもう一度だけ、スマートフォンを左耳に押し当てる臼井の姿を瞳に映した。細い指の隙間から、優しいタッチで描かれた小さな女の子のイラストが覗いていた。
「気になりますか」
扉を閉めるなり、美緒が間髪入れず口を開いた。
「彼女、嘘をついていますよね」
「嘘?」
「そうでしょう。彼女が本当に午後五時五十分頃まで203教室にいたなら、円藤さんが聞いたのと同じ音を聞いていたはずです」
「脚立の音のことを言ってるのか」
えぇ、と美緒は自信を持ってうなずいた。
確かに、太樹もその点は気になった。彼女の証言に嘘がなければ、彼女は間違いなく聞いているはずの音を聞いていないことになり、矛盾が生じる。
事件当時、レスリング部の円藤正宏は翼の殺された205教室のすぐ隣の204教室で例の脚立の倒れる音を聞いている。時刻は午後五時三十分頃。もしも臼井が証言どおり、午後五時五十分頃まで203教室にいたのなら、円藤と同じように中庭で脚立の倒れた音を聞いていたはずだ。203教室は円藤のいた204教室のすぐ隣で、いくらイヤフォンをしていたとはいえ、大きな脚立が勢いよく倒れる音ならまったく聞こえないということはないだろう。実際、円藤は窓越しでもすごい音だったと証言している。
だが、その点についてはたった今解決した。美緒の言うとおり、彼女は嘘をついていた。
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