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 頭脳をフル回転させる太樹の隣で、西本のスマートフォンに着信が入る。応答した彼の口ぶりから、相手が警視庁の人間であることがわかる。  やがて西本は、手にしていた黒いスマートフォンを太樹に差し出した。 「勅使河原さんです。あなたと話がしたいと」  あの嫌味な刑事か。俺は話したくないと言って断ってもよかったが、太樹は不機嫌を隠さず電話を受け取り、勅使河原の要求に応じた。 「鬼頭です」 『どうも、鬼頭さん。勅使河原です。いやぁ、昨日あなたがたとお会いしてから膝の調子が悪くなる一方でしてね。おかげで今朝は出勤するだけで一苦労ですわ。今もデスクから一歩も動けないような有様でね。ハハ、参りました』  なにが言いたい。太樹のせいだとでも言うのか。  知ったことか。俺が雨を降らせたわけじゃない。太樹は心の中で舌打ちをした。これ以上嫌味を言われたら電話を切ってやろうと思ったが、勅使河原の話はすぐに有野芽以の事件のことへと切り替わった。 『西本から聞いているでしょうね。明城さん殺しの容疑者だった有野芽以という女子高生が殺害された件については』 「はい」 『では、私があなたにお訊きしたいこともおわかりになる?』  わかる。有野の死亡推定時刻の太樹のアリバイを調べたいのだろう。 「俺じゃありません。昨日は西本さんに家まで送ってもらったあと、朝まで部屋で寝てました」 『ほう、ずっとご自宅に』  信じてもらえていないことは彼の声を聞けばすぐにわかった。だが、他に答えようがない。昨日は自分の足で立って歩く体力さえろくに残されていなかったのだ。それに、太樹には有野を殺す理由がない。なんなら面識だってない。 『賢いあなたならおわかりかと思いますが、私は有野さんの死を明城さんの死と無関係ではないと考えています。あなたもそうお考えのことと思いますが、有野さんの死について、あるは明城さんと有野さんの関係について、なにか心当たりがあるといったようなことは?』 「ないですよ、なにも。あったとしても、あんたには話したくない」  つい反抗的な口調になってしまい、電話の向こうから乾いた笑い声が聞こえた。隣に立っていた西本からも「鬼頭さん」と声をかけられる。落ちつけ、と言いたいのだろう。気持ちが昂ぶれば、魔力が暴走してしまう。  一つ深呼吸を入れてから、太樹は再び口を開いた。 「もういいですか。俺から話せることなんて他にはないですけど」 『えぇ、けっこうです。次はぜひ、直接顔を突き合わせてお話ししたいものですな』  反射的に電話を切った。これ以上あのねちっこい声を聞いていることはできなかったし、顔を突き合わせて話をするなんてまっぴら御免だ。  勢いで通話を終えてしまったが、しまった、太樹は表情を変えた。西本宛にかかってきた電話だったのに、勝手に切ってはいけなかった。 「すいません、切っちゃいました」 「かまいませんよ。どうせ自分にはたいした用もなかったでしょうし」  西本は寛容な態度で笑みを浮かべ、太樹からスマートフォンを受け取った。それをスラックスのポケットにしまう西本の姿を見た瞬間、太樹の脳裏に一筋の閃光が駆け抜けた。 「そうか」  なるほど。犯人がこの手段を使ったなら、有野の取った不自然な行動にも説明がつく。  かかえていた謎のすべてに、今、解決の見込みが立った。だが同時に、太樹の胸に深い後悔の念がこみ上げてきた。 「ちくしょう」  太樹の推理が正しければ、一連の事件の発端は太樹にあったことになる。  あの日、あの場所で、翼ともっと違う話をしていたら。一年後に迫る悪い未来の話なんて、あのときしなくてもよかったことだ。  廊下の壁に、握った拳を打ちつける。ビリビリと電撃が走るような痛みを覚え、けれどすぐに消えていった。魔王の仕業だ。魔王が太樹のからだを守った。どうせなら痛みだけじゃなく、この苦しみも一緒に消し去ってくれればいいのに。そんな願いを魔王が聞いてくれたことは一度もない。  一人ではとても支えきれないほど、胸に宿った後悔が大きく大きく膨らんでいく。  まっすぐ家に帰ればよかった。翼みたいに、もっと前向きに生きればよかった。  死にたいなんて、翼の前で言うんじゃなかった――。
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