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 最終下校時刻である午後六時の時点で、首都学園高校に残っている人間は四人だけになった。それが美緒の希望だった。  生徒を追い払うことは訳なかったが、教職員を退勤させるのには少々苦労したようだ。西本が警察による緊急の点検作業があると嘘をつき、午後六時までに全員帰宅させるよう仕向けた。理事長や校長などの役職者を納得させるのには特に骨を折ったらしい。  美緒の指示に従い、太樹は一人で205教室にいた。日々献花が寄せられる窓際の翼の席に座り、静かに目を閉じ、翼のことだけを考えた。  あれをやりたかった。こんなところへ行きたかった。そうした希望はいっさい思い浮かばない。太樹が翼に望んだのは、二人で一緒に、普通の学生生活を送ること。ただそれだけ。  特別に生まれ、いつしか笑い方を忘れてしまった太樹の隣に、翼は笑顔で寄り添ってくれた。それで十分だった。それ以上の望みはない。  翼がいてくれるだけでいい。この命が尽きる最期の一瞬まで、誰よりも近くにいてほしい。  そんなことを願う傍ら、太樹にはずっと考えていたことがあった。  最後には必ず、翼に「ありがとう」と伝えたい。そのためには、魔王にからだを乗っ取られてからも自我を保つ必要がある。  その方法を知りたかった。翼が勇者として魔王を倒したその瞬間が名実ともに二人の別れのときとなる。最後に翼の聞く声が魔王の断末魔の叫びであってほしくない。太樹の、太樹の声で紡ぐ、心からの「ありがとう」であってほしい。  翼にこの話をしたことはない。ずっと一人で考えていた。答えなんて出ないし、そんな都合のいい方法などないと頭ではわかっている。  けれど、最後の最後くらい、こんな小さな望みだけでも叶えてほしいと願わずにはいられなかった。叶わないことのほうが圧倒的に多い人生を送ってきたのだから。 「なぁ、翼」  ゆっくりとまぶたを持ち上げ、太樹は献花でいっぱいの翼の机にそっと手を触れた。 「俺、やっぱり嫌だよ。おまえのいない世界なんて」  考えれば考えるほど許せなかった。翼を殺した犯人は、翼のこれまでの苦労や努力をすべて無駄にした。一年後、魔王を倒したあとの翼に待っていたはずの人生までをも奪い取った。太樹と過ごす、魔王討伐のことばかり考える人生ではなく、自由を手にし、好きなように生きていけるはずだった人生を。  許せない。犯人のことも、原因をつくった自分のことも。  だからこそ、この手で幕を下ろさなければならない。  翼のために。太樹自身のために。  それから、想い人を失った美緒のためにも。 「鬼頭」  太樹だけがいた205教室に、太樹以外の声が響いた。午後六時に205教室で、と待ち合わせたその人は、教室前方の扉からゆるやかに足を踏み入れ、静かな足音とともに教卓へと歩み寄った。  太樹は音もなく立ち上がる。許してはいけない。この人のことを。 「なにを始めようと言うんだ、いったい」  どこまでもとぼけたようなことをその人は口にした。怒りの感情が少しずつこみ上げてくるのがわかる。  翼の席を離れ、太樹も教卓の前へと歩み寄る。向かい合って立ったその人に、太樹は前置きを据えることなく告げた。 「翼を殺したのはあなたですよね、羽柴良輔先生」
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