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 制服に着替え直し、電車で学校へ向かう間の記憶がなかった。  風呂に入ったのに全身が汗にまみれ、心音がやけに速くて落ちつかない。車内は混雑のピークを過ぎていて、隣の人と間隔をあけて座れたのが唯一の救いだった。反対側の座席の窓に映る自分を見て、これは誰の顔だろうと思った。(しお)れた花、いや、濡れそぼって黒ずんだ雑巾みたいな顔だ。自分でも見たことのない顔だった。  電車を下りると、湿った夜風に頬をたたかれた。午後七時三十分。七時前に日の入りを迎えるこの季節は、今ごろになってようやく夜の(とばり)が下りる。  正門のゲートは警察によって封鎖されていた。先ほど電話をかけてきた勅使河原という警官が指示を出していたようで、太樹が名乗ると警備に当たっていた若い制服警官は太樹を敷地内へと通してくれた。  ゲートの電源は正門からもっとも近い校舎である南館の一階に配置されている守衛室にあり、今は警察が自由に出入りできるように開放されたままになっていた。いつもの癖で生徒カードをタッチしようとしたが、よく見てみるとカードを載せるパネルに青いランプは点灯していなかった。  205教室へ行ってください、とゲートのところで制服警官から指示を受けた。午後五時すぎまで翼とともにテスト勉強をしていた二年五組の教室のことだ。翼の所属する学級のホームルームで、太樹は翼とは違い二年七組の生徒だった。  南館、本館、北館と三つある校舎のうち、ほとんどのホームルームが本館に集まっていた。205教室は本館の二階、西階段を上がってすぐ右手にあり、太樹は本館の西側にある自分の靴箱で上履きに履き替えてから二階へと向かった。  階段を上る途中、何人もの警察官とすれ違った。誰もが太樹を一瞥し、脇を通り過ぎるなり内緒話をするような小さい声で会話を交わした。「あれが魔王?」「みたいだな」。どれだけ軽蔑されてももう胸は痛まないと思っていたのに、大人たちの冷ややかな視線と小声に胃のむかつきを覚えた。苦しい。  階段を上りきると、廊下を漂う空気が変わった。スーツを身にまとい、左腕にえんじ色の腕章を巻いた警察関係者らしき男たちでごった返している。あちこちで飛び交う会話がひどい雑音に思えて耳に(さわ)り、太樹は思わず足を止めて顔をしかめた。 「鬼頭」  廊下の壁から突き出すように設置されている205教室のネームプレートが見えた時、見覚えのある男に声をかけられた。太樹のクラスで担任を務める情報科教師、羽柴(はしば)良輔(りょうすけ)だった。
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