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一年八組のホームルームである北館の108教室から、隣の校舎である本館205教室の様子を見上げることはできなかった。
美緒に与えられた座席は、窓側から二列目の一番後ろだった。一人きりの教室で自分の席に着き、深い呼吸をくり返しながら美緒は心を無にしようとしていた。
なにも考えない。ただ課せられた使命だけをこなせばいい。
頭ではわかっているのに、どうしても邪念が湧き上がるのを抑えられない。
幼い頃から知っている人だった。もともとは監視班ではなく戦闘サポート班にいた人で、美緒に高度な体術をたたき込んでくれたのもあの人だった。
思い返せば、あの人が監視班に異動したいと言い出したことこそ始まりの合図だったのかもしれない。監視班に身を置いていれば、魔王のことも勇者のことも逐一行動を把握できる。自分に都合のいいタイミングで目的を果たすためにはもってこいのポジションだし、総務省出身でITにも強いとくれば、人事権を握る連中に対する印象もきっといい。
柄にもなく、ため息がこぼれ出る。
いつからあの人はこんなことを考えていたのだろう。そもそもなぜこんなことをしなければならなかったのだろう。勇者を殺して自分が勇者に、なんて、あの人には似合わない。似合わない、全然。
「覚悟は決まりましたか、美緒さん」
西本が108教室に入ってくる。太樹からの頼まれごとを果たすため一度学校を離れていたが、その手にジュラルミンケースを持って戻ってきた。
美緒のために取ってきてくれたそれから目をそらし、美緒は首を横に振りながら立ち上がった。
「ありがとう、龍ちゃん。精いっぱいのことはやるつもり」
「ダメですよ。そんな曖昧な答えなら、こいつは渡せません」
西本はジュラルミンケースを持ち上げ、赤子を抱くように胸にかかえた。
「中途半端に戦えば、あなたがやられてしまう。あの人は強いですから。あらゆる意味において」
「わかってる。でも……」
美緒の表情は晴れない。こんな未来が待っているなんて、いったい誰が予想しただろう。そんなことばかり考えてしまい、踏み出す勇気が持てずにいた。いろんな意味で、できることなら戦いたくない相手だった。
「お気持ちはわかります。あなたはあの人を信頼していましたからね」
ジュラルミンケースを美緒の座席の机に置き、西本は美緒の正面に立った。
「でも、自分も鬼頭さんの意見に賛成です。翼さんと同じように、あなたもこの世界を守りたいという気持ちを強くお持ちの方だ。あなたになら、自分もこの世界の未来を自信を持って託せます。翼さんの無念を晴らせるのはきっとあなただけですよ、美緒さん」
「龍ちゃん」
「大丈夫です」
笑みを湛える西本の右手が、美緒の左肩をポンとたたいた。
「あなたは強い。あなたが常に胸に秘めている正義感は、必ず悪を討ち滅ぼします。鬼頭さんもそれをわかった上で、あなたにこの役目をまかせたんだと思いますよ」
「あの人が」
魔王の器の、どことなく頼りない顔が脳裏をよぎる。
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