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「先生」
「大丈夫か」
羽柴は太樹に歩み寄り、頭を撫でるような手つきで太樹の額にかかる前髪をかき上げた。
「顔色が悪い。無理して来ることはなかったのに」
「先生、翼は」
額から頬へと移っていた羽柴の手を払いのける。太樹より少し背が高く、年齢は三十代後半。知的な印象を与える銀縁眼鏡がトレードマークの羽柴を軽く見上げながら太樹は尋ねた。
「翼は、どこに」
羽柴は眼鏡の奥の瞳をかすかに揺らし、静かに首を横に振った。
「ここにはいない。あの子の遺体はすでに警察が運び出している」
「警察」
「鬼頭」
太樹になにを言わせるつもりもないのか、羽柴はおもむろに太樹のからだを抱き寄せた。
「心配しなくていい。俺はきみの味方だ」
味方。羽柴の口にしたその一言で、太樹は自らの置かれた立場を十分に理解した。
太樹がここへ呼ばれた理由。
警察が、太樹に会いたがっている理由。
「あぁ、お見えになっていましたか」
205教室のほうから声がして、羽柴は太樹を抱きしめていた腕を緩めた。太樹は羽柴とともに声の主を見やる。ダークグレーのスーツをまとった警察関係者だった。
「お待ちしておりました。先ほどお電話した勅使河原です」
なんとなく耳に覚えのある声だと思ったら、太樹を呼び出した刑事だった。額の広い、白髪交じりの頭は電話越しに聞いた声から想像した容姿とそれほどかけ離れていなかった。五十は過ぎているだろう。電話で聞くより、彼の生の声はもう少ししわがれて聞こえた。
太樹の立つほうへとゆっくり歩を進めながら、勅使河原は妙に余裕のある笑みを湛えて太樹に言った。
「このたびはご愁傷様です。大切なご友人を亡くされて、さぞご心痛のことでしょうな」
どこか上から物を言うような口調からは、勅使河原が翼の死を悼んでいる様子は微塵も感じられなかった。この人は敵だ。直感が耳もとでささやいてくる。
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