真夜中月光奇譚

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「ヤバい。本当に遅くなった」  普段は独り言などめったに口にしない僕が、思わずそう口走ったのは、本当にヤバかったからだ。  腕時計の針は午後9時ちょうどを指している。  家までのバスは、午後9時02分にバス停に到着する。  だが塾のドアからバス停まではどんなに急いでも3分はかかる。  普段は、もちろんもっと早くに授業が終わるが、今日は来年の高校受験に向けての相談もあり、思ったよりも時間がかかってしまったのだ。  僕は体育の授業でも見せないような全力ダッシュで、バス停へと向かった。途中、金髪の女性とぶつかったが、顔も見ずに「ごめんなさい」の一言で済ませて、足を止めることは決してしなかった。  走り出して40秒もすると僕は肺に鋭い痛みを感じたが、それは無視することにした。   「くぅ〜」  僕は歯を食いしばると、足をまるで自転車のペダルでも漕ぐかのように回転させた。  もう少し。  もう少しで間に合う、というところで、不意に僕の耳にが届いた。 「え。そんなことないですよ。歌、すっごく上手かったです」  少し冷たくて、騒がしいなかでも響く、そんな声だった。  バス停はちょうど繁華街の向かい側にある。僕は車道を並走しながら、声のほうに首を向けた。  声の主はびっくりするほどに白い肌をした少女だった。おまけに上は白いブラウス1枚、紺のスカートは膝丈の短さ、靴下はくるぶし丈だったので、よりいっそう肌の白さが際立つ。  だが何より象徴的なのはその目だった。まるで猫のような目をしている。  その目が一瞬僕を捉えた。  だがすぐに少女は視線を隣に立つ中年の男へとやった。 「カラオケならまたご一緒させてくださいね」  男が何か言って大笑いするのを、少女が苦笑しながら見ている。  だがそんな苦笑姿も、どこか儚げで、少し退廃的な美しさを感じさせた。  僕はいつの間にか足を止めていた。  ちょうど眼の前をバスが通過していったが、僕は気にもならなかった。  男は少女に何かを渡すと、耳元で何かを囁いてから立ち去った。  しばらくはその背中を追っていた少女だったが、再び僕に向けた視線は、真夜中に獲物を狩る猫科の肉食動物のような鋭さがあった。  彼女が何も言わないのに、僕はふらふらとそちらに引き寄せられるように車道を渡った。 「ねえ。あなた、誰なの?」  少女のもとに駆け寄るなり、
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