化けかた指南

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 深夜の山奥、そこには一人の若い女性と一匹の子狐の姿があった。 「あれ? なんでアタシこんなところに?」  困惑する女性に、子狐は四つ足をついたまま、勢いよく頭を下げて、 「先生! おねがいします! ボクに変化の術を教えて下さい!」 「……はい?」  いまいち何が起きているのか理解が追い付いていない女性。  当たり前のように狐が喋っていることも、もちろん気にはなったが、とりあえず話を聞いてみることに。 「……えーっと、要するに、同年代の子達は変化の術? とやらを出来るようになったのに、アンタだけが上手く出来なくて困ってた、ってこと?」 「はい、そうです……」  確かめるように尋ねた女性に、シュンと身体を縮めて答える子狐。 「それで、誰か変化の術が上手い相手に教えてもらおうと考えて……、アタシをここに連れて来たと?」 「はい! そうです!」  先ほどとは打って変わって力強い返事の子狐に、今度は女性が困った様子。 「いや、何でアタシなのよ……。アタシは普通の人間だし、変化の術なんて使えないってば……」 「いやいや、そんなご謙遜を! ボクも指南役を求めてあちこち探し回りましたが、先生ほど劇的な変化をする者はいませんでしたよ!」 「はぁ……?」  まったく身に覚えがなく困り果てた女性だったが、 「あ……」  一つだけ、もしかしたらと浮かんだことがあった。 「もしかして……メイク?」 「めいく……? なるほど、相手のなる姿を映す細目異工(めいく)ということですね!」  的外れな解釈に自身ありげに頷く子狐をよそに、女性はボソッと、 「確かにメイクには手間も時間もかけてるっていうか……、すっぴんとは別人レベルだとは自分でも思うけど……、まさか変化の術だと思われるとは……」  やっと事情が分かってきたものの、あくまでも自分のはメイクであって術ではないと説明する女性。  しかし、子狐は変わらない様子で、 「分かっています、人間の術を狐がそのまま使うことは難しい、そういうことですね!」 「全然分かってないじゃん……」  どうしたものかと考え込む女性に、さすがの子狐も雲行きが怪しいのを察したようで、 「ま、待ってください! 技術的な事が難しいなら、せめて精神的な、心構えだけでも……、おねがいします! 諦めたくないんです!」 「……!」  予想外の子狐の必死な姿と言葉に、一瞬目を大きく見開いた女性。  それから、軽く腕組みをすると、真剣な表情で何やら考え始めた。  ――人間の自分が変化の術を教えることは出来ない。  それどころか、何をすれば術を習得する助けになるのかも分からない。  それでも、ほんの少しでも子狐にとってプラスになればと、女性はメイクについて、意識していることや自分がこれまでにしてきた努力やその方法などを、思いつくかぎり話すことにした。 「――っと、まあ、あれこれ言ったけど、やっぱり大事なのはどうなりたいのかを明確に決めること。その上で目標に向かって少しでも近づくための方法を考えたり探したりするの」 「な、なるほど……」  器用に前足でペンを使って、興味深そうにメモを取る子狐。  女性はその様子を静かに見守り、書き終えたのを確かめると、 「あとは……、これは言う必要はないかもしれないけど、一つのやり方にこだわらないことよ。結局人それぞれ……、狐それぞれだから、……たぶんね」 「なるほど、……ん? あの、先生。それも大事なことのように思いますが、言う必要がないとは?」  不思議そうに首をかしげる子狐に、女性はフフッと笑って答えた。 「だってもう出来てるじゃない。他の狐達と同じやり方じゃダメだからって、人間のアタシにまで教わろうとしてるんだから……、その点に関しては、アンタは他の子よりも確かに努力してるんだから」 「先生……」  伝えられることは全て伝えたと優しく笑う女性に、子狐は何度何度も頭を下げた。  もういいからと女性に言われても、子狐は別れの時まで礼を言い続けた。  そして、子狐から帰り道だと教えられた大きな樹の洞の中に入ると、次の瞬間には女性は自分の部屋にいた。 「……こういうのを狐に化かされたっていうのかな? まあ、悪い気はしないけど」  それから十年ほどの月日が流れ、女性はテレビや映画の現場でメイクを担当していた。  明るいライトに大きな鏡。  今メイクをしている相手は、注目株の新人女優。  こうしているとあの暗い山奥での出来事が嘘のように思えて、思わずフッと微笑む女性。  すると、不思議そうな顔の新人女優が鏡越しに、 「どうかしましたか? あ、ひょっとして、最近なにか良いことでもあったとか?」 「えっ……? あっ、ごめんなさい。ただの思い出し笑いで……」  慌てる女性に新人女優は優しく微笑むと、 「いえいえ、ボクもよくしますから、思い出し笑い。気にしないで下さい」 「それならいいんですけど……、あ、メイク終わりました。お疲れ様です」 「はい、ありがとうございました、……先生」  一仕事終え、少し気の抜けた女性だったが、ふと、聞き覚えのある声とフレーズに振り返ると、一瞬だけ、新人女優の腰の辺りに、これまた見覚えのある尻尾が見えた……ような気がした。
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