49人が本棚に入れています
本棚に追加
プロローグ
普段は人気が無く複雑に入り組んだ路地裏に、今夜は2つの影が闇の中を動いていた。
「死にたくない……!」
声。震えた、恐怖に満ちた声。
「あーあ、いつまで逃げるんだか」
声。呆れた、溜息混じりの声。
足を覚束せながらも、狭く乱雑した道をひたすらに進む壮年の男。街灯も無く建物の間から差し込む月明かりに照らされた身体は、幾多もの裂傷により多くの血を流していた。
特に傷の深い脇腹を抑え、彼は大粒の涙を流しながら足を動かしていく。最早走ることも叶わず、一歩ずつ踏み出していくだけ。
「死にたくない……死にたく、ない!私は生きる……んだ……死にたく、ない……っ!家族が、待ってるんだ……!」
時折血を吐きながらも漏らす言葉は、死の拒絶と生の渇望が如実に込められていた。
そんな言葉を耳にした、背後から悠々と距離を詰めていく俺は薄ら笑う。
追いかけている標的に妻がいることも、その妻のお腹には命が宿っていることも知っている。そりゃあ死にたくないだろうな、保身に加えて守るべき存在があるのだから。
だが、それだけだ。
「あぁ……っ!?」
前方で男が足を絡めて倒れる。起き上がろうともがいているが、限界が近いようで中々身体が持ち上がる様子は無い。
伏せた身体を追い越して、面前へと移動する。
顔を上げた男の視線と俺の視線が繋がるとほぼ同時、足に縋り付いて懇願を始めた。
「お、お願いだ……助けてくれ……!」
その様子を、目を細めて黙って見つめる。今回の依頼主の一言が脳裏を掠める。
報いを受けろ、と。
「そう言って泣いた1人の子供、殺したんだろ?窃盗を見られた口封じという理由で」
瞠目し、衝撃を受けたように男の動きが止まる。目線を合わせるように屈み、告げる。
「子供を奪ったお前を赦さない、だとよ。依頼主様は。お前にも窃盗する程の事情があったかもしれないし、それは同情するに値したかもしれないが……まぁ、運が無かったということで」
路地裏に1人佇む俺は、空を見上げる。
仄かに明るくなった色を捉え、太陽が昇り始めていることを悟った。
苦しませて殺すって依頼、時間がかかるのが難点だよなぁ、まぁその分報酬もらってるから文句は言わないけど。
「おはよう、太陽さん。今日もまたよろしくな」
……あー、そういえば課題放置したままだ。当てられる日だったっけか?
寮の机に投げた何枚かの紙を思い出して顔を顰める。仕方ない、ルヴィに写させてもらうとするか。
腕をぐぐっと上へ伸ばして身体を軽く解し、学園内にある寮へと〈転移〉した。
──暫くして、街は陽の光に照らされる。
路地裏は、血の色で染まっていた。
最初のコメントを投稿しよう!