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〆1 ダフネの森
彼女はその生涯で三度、言葉を失った。
紅に染まる大地が、地平線の彼方までメラメラと揺らぐ。
その光景だけが、瞳に焼きついている。
それが最初に言葉と両親を失った景色だった。
それから先は、真っ白な祖母の家でひっそりと育てられた。
祖母は無口な人で、その人生の大半をひとり脳の研究に費やして生きている変人だ。
祖母の研究所でもある家は、白いダフネの花が咲き乱れる木々が人を寄せ付けないほど群生して森を成し、世界を遮断した空間だった。
訪れる者もなく、語らうこともなく、二人が森で過ごす日々が淡々と続いた。
そのうち文字を知り、書物を目にして研究を間近にしていると、幼な子なりに視界が開けてくる。
それは少女には語る言葉ではなく、恣意性を持つ文字として深く次々に認識されていった。
そんな話す事をすっかり忘れていた頃、ダフネの木陰で休む少女の耳へ、突然声が降ってきた。
「妖精?」
少女の耳が、その驚きつつもその優しい音と言葉をとらえる。
声のする方に恐る恐る首を傾けると、長く柔らかい髪が周囲の木々の色を映し出し、白銀にもエメラルドにも輝いて見える不思議な銀髪が目に飛び込んできた。
その風になびく髪の間から、美しい瞳が驚いて見開かれ、その目が少女を射抜く。
よく見れば同じような歳頃の見知らぬその子は、可憐な唇を淡く開いてまた音を奏でる。
「・・・君は妖精なの?」
語りかけられたその聞き慣れぬ霞のように広がる声は…ああ、なんて美しい音色なんだろう。
森で暮らす少女は、その声の主に魅入って思わず引き寄せられるように、その白銀の髪に手を伸ばして触れてしまう。
確かめずには、いられなくなったのだ。
この世の者とは思えないその美しさが、幻影ではない事を。
白銀の髪は艶やかで、滑らかで、吸い込まれるようにこめかみを流れる様に耳へと指先を誘う。
「あっ!」
白銀の髪の主が声をあげたその時、二人は眩い光に包まれた。
触れられた主の瞳は、驚きのあまりさらに大きく見開かれ、それまで髪と同じ白銀だった瞳が様々な色へと変化しはじめた。
まるでオパールのような瞳。
森の少女は、その瞳を書物で見た美しい鉱物が今まさに天から与えられた様に感じた。
「見える⁈え…どうして…」
ひどく興奮した銀の髪を持つ子どもに、いきなり言われて、無言の彼女は抱きすくめられた。
ドキドキと胸が大きく鼓動を鳴らして、身動きすることができない。
でも、嫌じゃないなと思うのは何故だろう。
ぽわんと身体が暖かくなるのに、銀の髪を伝う涙がひんやりと互いの頬にかかっては大地に雫を落としてゆく。
しばらくして泣き止むと、照れたようにオパールの瞳が笑って猫みたいに細められ、ゆっくりと身体が離れた。
「僕の妖精…」
その声にぴくりと我に返った森の少女は、真っ赤な頬をしてあっという間にダフネの木々へと逃げこんで姿を消してしまった。
それが、二人の出会い。
長い長い旅の始まりだった。
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