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一同がやってきたのは市役所近くの居酒屋『赤ちょうちん』だった。夜の8時を過ぎて市役所の近くで飲食でる店はここくらいしか思いつかない。
部署が変わってもここに足を運ぶことには変わりがないらしい。
「いらっしゃい! 今日もお疲れ様!」
いつもの女将さんがにこやかに出迎えてくれる。疲れたサラリーマンには癒しである。
彼女に促されて隅の座敷に通された。時間的に第一弾が帰った後らしい。女将さんはまだ少し残っている食器をスムーズに下げて、テーブルを拭いてくれた。
「室長、なに飲みますか」
大堀の言葉に保住は「冷」と答える。
「あ、おれも日本酒派なんですよ~」
「そうなのか? お前はどうする?」
「おれも、同じで」
田口の答えに頷いた大堀は今度は安齋を見る。
「おれも」
「みんな日本酒派か~」
大堀は嬉しそうだ。こういう時、幹事みたいに気を利かせて動くのは大堀の性質らしい。
田口は昨年度、財務部長の吉岡と大堀と三人で飲んだ時のことを思い出した。
大堀という人間をよく理解したのはあの時だった。彼は当時、財務部で部長の秘書的な立ち位置で仕事をしていた。
——職員が部長の側で仕事するなんて、優秀な男なのだと理解していたのだが……。
こうして一緒に仕事をしてみると、大堀という男は、甘えん坊で根性がないようにしか見えない。こういう席では実力を発揮するが、日々のやり取りでは少々いい加減な気がしたのだ。
大堀はお酒を注文し、さらに料理をいくつか頼む。
「同僚と飲み会なんて、久しぶりだな~」
彼は嬉しそうに笑顔を見せた。
「大堀は吉岡さんに付き合わされて、よく飲みに行っていたのではないか」
保住の質問に彼は苦笑いを見せた。
「可愛がってくれるのは嬉しいんですけど、吉岡さんってどこにでも連れて行ってくれるので、正直に言うとプライベートが圧迫されていました」
「だろうね。あの人。昔からそうかもしれないな」
「吉岡って?」
安齋は隣の田口に、こそっと尋ねる。
「財務部長の吉岡さんだ」
「ああ。……大堀は、そんな人と飲み歩いていたのか」
外部施設に配属させられると本庁内のことはよくわからないものらしい。安齋は「ふうん」と顎に手を当てて唸っていた。しかし大堀は上機嫌で、そんなことに気が付くわけもなく保住を見た。
「保住室長も吉岡部長とは親しい感じですよね? どうしてあんなに仲良しなんですか」
大堀が問うと、保住は隠すこともでもないとばかりに答えた。
「吉岡さんは、おれの父親の後輩でね。よく自宅にも来ていた人だ。おれのことは、昔から知っているから、いろいろと心配してくれるんだろう」
「じゃあ小さい頃の室長を知っているってことですか?」
「さあね。どこまで知っているんだか」
「室長のお父様も市役所ですか」
安齋が今度は口を挟む。
「ああ。そうだったな」
「だった? 過去形って……退職されるお年ではないですよね?」
「死んだんだ。病気だ」
しらっと言い切った保住に安齋は申し訳なさそうな顔をした。
「これは失礼いたしました」
「別に。そんなかしこまった話ではない。もう昔の話だ」
保住がそんな話をしていると、酒や食べ物が運ばれてくる。
「湿っぽい話はやめだ。今日は懇親会なのだろう?どうだろうか。それぞれ好きなことや興味のあることをおれに聞かせてくれ」
保住は上機嫌。そしてまたこれ。
——すぐに人の話を聞きたがるんだから。
田口は軽くため息を吐いて料理に手をつけた。人の話を聞くということは『あなたに興味があります』という意思表示。「いい加減にして欲しいものだ」という苛立ちの気持ちはずっと続いていた。
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