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事務所に戻ると、疲労がどっと押し寄せてきた。四人はげっそりしながら椅子に腰を下ろした。高梨のあの人のやる気を削ぐ能力は無敵かもしれない。
真面に受け取ったら負けるのだと保住は思った。
「高梨さんってなんなんですか? あの緩くて纏まらない感じ」
文句を言っても仕方がないのかもしれないが、言わずにはいられないのだろう。大堀は大きくため息を吐いた。
「あんなのに調整ができるのでしょうか?」
そこにいる誰しもが大堀の意見に賛同だが、立場上、同意は出来ないのだ。他部署の職員非難を室長である自分がするわけにはいかないからだ。
保住は不本意ながらも高梨をフォローするように大堀を窘めた。
「そう言うな。これから世話になるのだ。おれたちの仕事には、企画調整係の助けが必要だ」
しかしそんな保住の気持ちなど理解するつもりもないのか、安齋は眉間にしわを寄せて言い切った。
「使い物にならなければ、使いようもなにもありません」
「安齋。口にしていいことと悪いことがある。気を付けろ」
保住に咎められて彼は不満そうな顔色を見せた。一ヶ月が経ち、お互いが少しずつ慣れてきているせいで取り繕いに綻びが出てきているようだ。
大堀は仕事は細かく熱心だが忍耐力がない。直ぐに無駄口を叩くし、集中できない様子も見て取れる。まあ電話にだけはよく出てくれるから助かるが、それも飽き性が為せる技だ。
安齋はともかく自信過剰。手直しした資料を素直には直さない。必ず自分の主張を押し通してくる。素直ではない性格と、保住に対する反抗心からくるものだろう。こうして座っていても、彼からの視線は敵意が含まれている。
『まだまだ上司として認めるわけにはいかない』と言うところだろう。
そして田口も田口だ。元々新しい環境に慣れるのに時間がかかるタイプ。保住がいることで緩和されているが、仕事に集中できていない。ほかの職員との関係性作りで四苦八苦している様が見て取れた。三者三様。そして自分もかと思った。
——今までが恵まれてきたのだ。
高梨に始まり、財務部財政課長の廣木とは仕事がやり難い。出会ったばかりと言うことではない。高梨はただ無能で思量深くないため、かみ合わない。
一方の廣木は保住への感情からの否定が多いと感じている。ただの揚げ足取りでもない。執拗な感じがするのだ。「この立場になればお前は嫉妬の対象になるぞ」と澤井に言われたことを思い出す。
みんなに好かれようとは思わない。澤井が断行した無理な人事に反発する輩がいることは理解していた。しかし仕事が進まないのは苛立ちの元になる。今までは一係の範疇で収まっていた仕事のしやすさも自覚する。係長とは小さい単位の責任者だからだ。
——今までは課長に守られていたということか。他部署の課長クラスをやり合うことに、早く慣れなくてはいけないのだ。
課長クラスは、やはり一筋縄ではいかない人たちが多い。この一か月で財務部の廣木との関係性で思い知った。
彼だけではない。ほかに観光部観光課長の佐々川もまた、読めない男だ。
唯一連携が図りやすいのが、古巣である教育委員会文化課というのはなんとも悲しい話であるのは確か。
頭が痛むのは仕方のないことか。そんなことを考えていると、不意に自分の手元の電話が鳴る。
「はい、保住」
相手はつい先ほど思い描いていた男。
『観光課の佐々川です』
「お疲れ様です。佐々川課長、なにか?」
『お宅から提出された書類ね。ちょっと気に食わないから、受け取りたくないんですよ』
——提出書類だって? そんなものは、出した覚えがない。
「佐々川課長。それはなにかの手違いでは?」
『いいえ。ちゃんとお宅の職員が持参してきましたよ』
「そうですか。それは大変失礼いたしました。おれが失念したようです」
『保住くん、大丈夫なの? ちゃんと管理してもらわないと。ともかく、これは破棄。もう一度再考してください』
がちゃりと電話は切れる。佐々川が絡んでいる案件を担当しているのは安齋だ。
「安齋!」
「はい」
「観光課への書類、どうした?」
「先ほど提出いたしました」
「誰に?」
「佐々川課長に」
保住はため息だ。
「それは破棄処分との連絡だ」
「え?」
「勝手なことをするな。必ずおれに見せてからだ。いいな」
「……はい。申し訳ありません」
思うようにいかない。パソコンに視線を戻そうとすると、大堀が予算書を持ってくる。
「室長、ここなんですけど、少しアレンジしてみました」
大きくため息。
「アレンジするな。作り直し」
「えー! こっちの方が良さげなのに」
「見てくれで誤魔化すな。予算書にアレンジはいらん」
「はーい……」
しゅんと落ち込まれても、これは仕事だ。自分席に戻った大堀を確認してから、保住は今日何度目かわからないため息を吐いた。
能力が高いのも困り物だ。それぞれが自分の能力を過信して好き勝手なことをし始めるのだから。まだまだ片時も目を離すことはできなそうだ。自分の仕事は後回しにするしかなかった。
更に頭が痛んだ。仕事の忙しさではない。精神的な負担が大きいのだ。
「午後の打ち合わせに行ってくるが、お前たち、勝手なことはしてくれるなよ」
三人を見渡してから保住は席を立ったが、不安な気持ちは拭い去ることはできなかった。
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