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いつだってそう。ぼくの寂しがり屋な恋人は、拗ねると必ずすがたを晦ましてしまう。
照れ屋な性格をからかわれたとき。急な仕事でおそろいの休日が潰れてしまったとき。河川敷の野良猫が、ぼくにだけ懐いていたとき。
しかし、今回は深刻さがちがった。
ポット容器の細工飴。
安っぽいプラスチック容器に入った、いろんな種類の動物とフルーツが描かれたキャンディを、ふたりで一粒ずつ舐めるのが習慣だった。結婚してから毎日欠かさず。
ポット容器を買うのは、ミッチェルの担当だった。いつも不思議におもう。駄菓子屋で購入するらしいけれど、ぼくらの家の近くに駄菓子屋なんてない。かのじょはどこまで足を運んでいるのだろう? きっとアイスでもかじりながら雲をながめ、一ヶ月のできごとをふり返っているんだね。
ポット容器にキャンディは百粒、個装された状態でぎゅうぎゅうに詰め込まれている。五十日で空っぽになる計算。わが家において「結婚一周年記念」という概念はなく、代わりに「ふたりでキャンディ千粒記念」を採用している。おかげで結婚記念日のイベント感は薄く、だれかにきかれても何月何日だったかこたえられなかったりする。
そんなポット容器が、もうすぐ三十個め……つまり三千粒記念を目前に控えるなか、大事件は起きてしまった。まずはそこから話そう。
ところで――ぼくは夕暮れの河川敷がすきだった。その日一日の、報われなかった思い、行き場のない不和、ことばにならない叫びを、地平線にしずんでいく太陽が一緒にしたがえてくれるような気がするから。
河川敷はうちから徒歩で行ける距離にある。土手の、丸太でつくられた階段がぼくの特等席だった。
その特等席に、先客がいた。小さなおとこの子。小学三、四年くらいだろうか。体育座りで川の水面を不安そうにみつめている。ぼくは一段上から身をかがめて、
「となり、座ってもいい?」
おとこの子は弾かれるような勢いでふり向く。かなしみで張りつめた瞳を、アンドロメダ銀河みたいに見開いて。目まぐるしく渦巻く星雲。さいわい、警戒の色は強くなかった。かれは声にならない声で「うん」といい、縦にも横にも受けとれる首の振り方をし、ぼくをゆるしてくれた。
正直に告白すると、あの短い時間、ぼくらが交わしたことばの数々を、ほとんど覚えていなかった。けれどそういうものだ。掛け替えのないひとときは名残惜しい余韻で心を惑わす。そして、内容よりも感情を印象的にすり込ませていく。感情はそのひとときを欲深く美化させて、どんどん真実を歪めてしまう。
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