photogenic

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 ああ、過去の軽率さが忌々しい。ううん……それどころじゃない。後悔は後回しだ。ひとまず謝罪をしなくては。かのじょの瞳の裏側に垂れこめる不穏な暗雲が、すべての光を蝕んでしまう前に。 「ごめん。キャンディの数、奇数にしちゃって。あのとき他に渡せるものがなくて……」 「ううん、いいのよ」フラットな声。「ちゃんとわかってるから大丈夫。ほんとに気にしないで」  氷の沈黙。音のない警鐘だけが、ぼくの脳裏に響く。みなぎる危機感。漠然と急き立てる焦燥感。ふだんのかのじょは、ぼくが話してる途中にことばを被せたりしなかったはず。  かのじょのコーヒーはとっくに冷めている。湯気が弱々しく脈打って、ぼくらの目線に辿りつくまえに消え失せる。  際限なく浮かびあがる言葉。それらは透明なブレーキがかかり、喉仏でもつれ、声に達しない。小さく唇を震わすだけ。どんどん手遅れになる。  時間は、感傷に浸ってるといたずらに流れ、相槌を打ってるだけだと緩慢にながれる。ふだんは波長の合うあいても、こうして唐突に迷ってしまう。ちぐはぐなリズム。 「どうしてそんなに焦ってるの?」  初めに惹かれたのは、かのじょの瞳だった。いつも見つめあい、名まえを呼び合い、笑い合うことで、鼓動はつながって。正反対のきもちさえ、自分のものみたいに気づかされたから。それが今、目を合わせることも臆病になってしまい――夢のように果てしなく遠くに感じる。 「わたし、あなたがそういう優しい人だって、知ってるもの」  ぼくは曖昧にうなづき、「ありがとう。……こんどから気をつけるよ」と、ふり絞って言った。  かのじょは柔らかな雪のように微笑み「さきに寝てるね」と席を立った。  梅雨明けの白南風によってカーテンをはためかす音が、一段と大きくきこえる。いつの間にかサスペンスドラマのオープニング曲がはじまっていた。
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