女は化粧で化ける

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 俺、厚化粧の女無理だわ〜笑  そう笑った元彼氏の頬を思いっきり叩いてやった。大学1年の夏。出席番号が近いからと声をかけてきた彼。明るくて話も面白いから何となく付き合った。初めての彼氏だった。何度か一緒に出かけて、ご飯を食べて……肉体関係は持たなかった。  いわゆる地雷メイク。漫画とかアニメじゃ、ホストや地下アイドル、ネット配信者に夢中の女の子がするようなメイク。でもここまで綺麗にするのにたくさん練習したし、お金もかけた。強調した二重ライン、嘘つきのカラコン、垂れた目も下まつ毛もバランスよく整えるのに苦労した。だけど全部私の顔で、全部私の努力の塊だ。厚化粧なんて一言でまとめないで欲しい。私、水野蛍はもう二度と過去の私になんか戻らない。  視線を感じる。グループワークで同じになった女の子。確か、長谷川さん。長い黒髪はそのままに、眼鏡の奥で化粧もしてない顔が私を見ている。気持ち悪いとかそういうわけじゃないけど、なんか気になる。というか、こううじうじしている感じがちょっとムカつく。  どうやら次の講義室が同じようだ。授業終わりで学生が一気に移動する中、長谷川さんの肩を叩いた。 「ひぇ」  ひぇ? ずいぶんと不思議な返事だ。 「長谷川さん、だよね? さっき私のこと見てたけど、なんか用があった?」 「す、すみません」 「いや、すみませんじゃなくて……ほら、私って見て目派手で話しかけにくいっしょ? だから言いたいこと言えないのかなって」 「……話しかけにくくは、ないです」  紺のロングスカートをぎゅっと握り、チラチラと眼鏡の奥で視線を送ってくる。なんかこれ、いじめてるみたいに見えない? 大丈夫そう? 「ただ、その……今日も、あの、その」  うじうじだし、もごもごだし、正直我慢が出来そうにないけど、私から声をかけたんだからここは待つべきだろう。 「め、メイクが……素敵だなって、思いまして」 「へ?」 「あ、いや! すみません、自分なんかにメイクとか、そんな。すみません、おこがましかったですよね!」 「ちょ、まじ落ち着いて」  今度はワタワタ。長谷川さんが動く度に、背負っているリュックが左右に揺れていた。 「メイク、素敵って思ってくれたんだ」 「は、はい。今日はチークの色違うなって……」  え、そんなとこまで見てんの? 一瞬引いたけど、なんか嬉しかった。だって、今日のチークは最近買ったばかりのお気に入りだから。 「めっちゃ嬉しい、ありがと」  なら繕わずに、その気持ちを伝えた方がいいに決まってる。 「はせちゃん、今日のメイクどう?」 「今日はピンクメイクですか?」 「そ、目元とかこだわったんだー」  あの日をきっかけに、長谷川さんとは行動を共にするようになった。気がつけば呼び方も変わっていて、まだ学校外で会う約束はないものの、SNSでのトークも途切れない。 「はせちゃんはさ、メイクとかしないの?」 「じ、自分は! いい、です」 「なんで?」  いつも顔を隠しているはせちゃん。眼鏡と髪でこっちからもはせちゃんの顔はよく見えない。だけど、すっぴんだっていうのはなんとなくわかる。 「一重だし、目細いし、肌も荒れてるし、鼻も大きくて……とにかくブスだから、何しても無駄なんです」  極限まで卑屈になったような雰囲気。自分を罵る度に、はせちゃんの体が小さく縮んでいくような気がした。そんな姿が見慣れている自分がいる。自信がなくて、ないものねだりをしては諦めて、いつしか自分が大嫌いになる。そうじゃん、私だよ。昔の私なんだ。 「はせちゃん、1回でいいから私にメイクさせて」 「でも、自分なんか」 「私の技術向上のためだと思ってさ」  自分を否定しちゃダメとか、そんなことないよとか、そんな上っ面な言葉は聞き飽きた。はせちゃんだって、その言葉は何度も言われてきただろう。だから、私は卑屈なはせちゃんを否定しない。  だって、大嫌いなものを好きになるなんてそんな難しいこと出来るわけがない。なら、大嫌いはそのまま置いて、別の好きなものを作ればいい。大好きになれる自分を作っちゃえばいい。  はせちゃんを家に招き、メイクの棚を一気に開けた。少し嫌がっていたけど、前髪をクリップで留めてカーテンをどける。 「はせちゃんはブルベかもね、私と一緒」 「ぶ、ぶるべ?」 「うん。イエベとかブルベってのがあって、それぞれ似合う色があるんだってさ」  肌は確かに荒れていた。でも、ちゃんと綺麗にしたいと思う気持ちがあるのか、そこまで酷くはない。これならすぐに隠せる。 「はせちゃんの目は、確かに細いけど綺麗な切れ長の目だね」 「いいこと、なんでしょうか」 「うん、めっちゃいい。クールビューティ作れそう」  切れ長にしたくてアイラインを引いてみたことがある。でもどうやったって、きつい印象になってしまい私には似合わないのだと諦めた。だけどはせちゃんは、切れ長なのに柔らかさも同時に感じさせる形をしている。これを生かさないなんて勿体ない。 「初めてだからカラコンとかもなしにしよっか、目に合うものつけた方がいいし。あとはー、うん。ブラウンとワインレッド系かな。ね、大人寄りの顔にしていい?」 「お、お任せします」  戸惑ってるけど抵抗はしないみたい。むしろ目がキラキラしてきた。なんだかんだ言って、はせちゃんも楽しみなんだろう。  簡易的なスキンケアをした後、下地を塗ってファンデーション。肌は荒れてても色が白くて羨ましい。日焼けをしない体質なのかも。 「あ、眉毛も形きれい、手入れしてる?」 「いえ、特には……」 「まじ? これ天然なんだ、羨ましい」 「羨ましい、ですか?」 「うん。私はもう剃っちゃってさ。自分の眉毛大っ嫌いだから書いちゃえって感じで」  少し整えてパウダーをのせる。さて、大好きなアイメイクだ。ベースの色をのせたなら、グラデーションを作っていく。目尻に濃い色をつけて、アクセントにはワインレッド。くすぐったいのか、まつ毛がフルフルと震えている。 「うん、上出来」  ビューラーをあてて、まつ毛を少しあげたら一気に目力が変わった。最後にリップを塗って。 「よし。はせちゃん、鏡見てみて」  眼鏡をかけてても支障がないようにメイクをしたから、着ける前後で印象に違いは出ないだろう。はせちゃんは、恐る恐るといった感じで鏡を覗き込んだ。 「すごい……」 「ふふーん、でしょ。私、かなりメイクの勉強したからね」 「初めて、化粧をしました」 「いいもんでしょ? この顔なら、少しは好きになれる?」 「どう、でしょうか。水野さんの技術がすごいってことはよくわかってるんです。でも、でも結局これは……」  せっかくキラキラとした目で鏡を見ていたのに、はせちゃんは突然俯きまたうじうじと考え込んだ。下がっていく頭をガシッと掴み、グンっと上げる。 「私のメイクに文句があるっていうの!?」 「な、な、ないで、す!」 「じゃあなんでそんなにネガティブなのよ!」 「だって、だって結局自分に変わりはないじゃないですか!」 「そうよ! メイクしてんのもしてないのもあんたなの! だけど、メイクしてるあんたは素じゃないの、わかる?」  メイクは鎧だ。自分を好きになるきっかけでもある。すっぴんで外を歩けば、そのままの私を見られるけど、メイクという鎧を纏えば、それはレベルアップした私なんだ。自分が努力で作り上げた完璧な鎧。 「どうして、水野さんはそんなに自信がもてるんですか?」 「人ってさ、見た目で判断すんなって言うけど、結局見た目から入るじゃん? 見た目以上のことを知るのは、仲が良くなってからでいい、ほんとの自分を見せたいって思った時でいいの。なら自分が作り上げた作品をまずは見てもらいたいじゃん」  俯いても誰も見てくれない。それなら胸張って歩いて、見せびらかしたほうが何倍もいい。見られるんじゃない。私が見せてやってるんだ。 「はせちゃん、明日また授業終わりに私の家来て。そんでメイクして、一緒に遊びに行こ」 「え、え? そんな、無理です!」 「私と出かけんの嫌なの?」 「そういうことじゃなくて」  新しい自分の顔に自信が無いのなんて当然だ。この鎧は本当に強いのか、ちゃんと守ってくれるのか。そう思って外に行きにくくなるのはわかる。 「大丈夫だって、どんなにメイクしたって、私の方が派手で目立つんだから。ね、一緒に行こ」  それに、まだ大学の友達と2人で遊びに行ってないんだもん。  相変わらず、私がやらないとはせちゃんは派手なメイクをしない。本人も1人じゃ出かけないからちょうどいいなんて言っちゃってる。でも、メイクをして私と並んで歩いてくれるし、時々リップやチークをしている所を見れるから、成長したってことでいいのかな。  今日は学食に行こうと、構内を歩いていると、目の前から嫌な顔が歩いてくる。元彼だ。 「あ、蛍ーいいところに」 「なんの用?」 「いやー、あれから俺考えたんだけどさ、俺ら寄り戻さねぇ?」 「は?」  こいつは何を言ってるんだ。厚化粧は無理と言って笑ったのはお前じゃないか。 「ふつうに無理、あんたこそ、化粧濃いの無理なんでしょ? そう言って笑ったじゃん」 「いや、蛍って化粧してたらたしかに可愛いし、やっぱ彼女にしたいなーってさ」  ふざけるな。私はあんたの所有物じゃない。化粧してたらかわいい? いちいち腹が立つ言い方しやがって。また1発殴ってやろうと拳を握った時、隣で慌てていたはせちゃんが飛び出した。 「あ、あなたは水野さんに、ふさ、ふさわしく、ないです!!」 「は? 急になに」 「み、水野さんの本当の、可愛さも見せてもらない人なんかに、彼氏なんて、つとまりません!」 「意味わかんないんだけど」 「だから、その、化粧は、メイクは! 水野さんの努力の結晶で、あなたはその努力を嘲笑った。だから、あなたは、水野さんには見合わないって言ってるんです!」 「いや、努力とか知らないし、化粧厚くて騙されたって思って、俺被害者じゃん」 「努力を知ろうともせず、騙されたとか化かされたなんて、そんなの自己責任でしょ!?」  怖いだろう、緊張しているだろう。はせちゃんの体は小さく震えていた。だけど、震えながら必死に思いを伝えてくれていた。そんな背中に手を当てて、ありがとうの気持ちを込めて今度は私が前に出る。 「そういうわけだから、無理」 「は? 俺がお前にいくら貢いだと思ってんだよ。どうしても無理なら貢いだ分返せや」 「あんたこそ、あんたがかわいいかわいいって言って最後にはバカにしたこの顔面に、いくらつぎ込んだと思ってんの? 今までのメイク道具代と練習した時間、あんたが貢いだ金よりも上で、あんたといた時間よりも長いんだよ。返すなら、お前の方だろ」  もう1発殴ろうか? そう言って右手をかざした。あの時のがけっこう効いていたのか、元彼はうざっと捨て台詞を残して消えた。 「み、水野さん! すみません、余計なことを……」 「はせちゃん」 「は、はい!」 「ありがとう、嬉しかったよ」  どうせ元彼は、たまたま見かけたからノリで言ってきたんだろう。それに真面目に返されたから引くにひけなくなった。ただのノリでも冗談でも、私は元彼の言葉に傷付いたし腹が立った。だからはせちゃんの言葉も、最後の返り討ちもすごくすっきりしている。嫌な性格だなーなんて他人事みたいに思うけど、私はそれでいいと思う。  翌日、背後から少し明るいはせちゃんの声が聞こえた。 「おはよーはせちゃん……あ、コンタクトにしてる! それにメイクも!」  少し前髪をよけて、うっすらとメイクをしたはせちゃん。その顔に眼鏡はかかっておらず、切れ長の目がはっきりと見えた。 「どうですか? 化粧をしてみたんですけど」  チークはしていないはずなのに、頬が程よく色付いた。それが可愛らしくて、思わずふっと笑みがこぼれる。 「まだだめ! 今日も家来な! 練習するよ」 「え、えー……」
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