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「そこにあるお香のお店は、この辺りでは一番古いわね。それにあそこの練り物のお店、はんぺんが美味しいの。そのままでペロリといけちゃうんだから。あとあっちの通りにある和菓子屋さんは餡子が絶品で、最中は昔からの看板商品」
着物のため、ゆっくりとした足取りの彼女と一緒に歩いていると、知っていると思っていたのは街の第一印象だけなのだと実感する。
自分が興味を持たなければ知らずに終わることが、世の中にはきっと溢れているんだろな……それってちょっともったいないのかもしれない。
「姫はよく下界に降りてくるんですか?」
俺が聞くと、姫はこちらをじっと見つめてから、突然目を見開いて手を叩いた。それはまるで何かを思い出した時の仕草のようにも見えた。
ん? やっぱり姫というのは冗談だったのか?
「えぇ、よく降りてくるわ」
「じゃあ、こうやって散歩もよくするんですか?」
すると姫は少し寂しそうに月を見ながら黙り込む。
「今日は……ただ物思いに耽っていただけ。この街にはたくさんの思い出があるから」
何かあったのだろうか……もしかして俺みたいに失恋したとか? くるくると変わる彼女の新しい表情を目の当たりにして、俺は姫から目が離せなくなる。
「でもこの小さな世界で生きることについ満足してしまうのよね。好きな人たちがいて、安心して過ごせる。でもそろそろ一歩踏み出す時なのかもしれない」
かぐや姫の一歩って……? 月から一番近いのは地球だけど、もっと先を行くってことなのか?
頭の中を意味のわからないワードがぐるぐると渦を巻いていく。
「翁は? 何が好きなこととかあるの?」
「……わざと言ってますよね? 俺が好きなことーー登山と温泉ですかね」
俺が言うと、姫の目が突然輝き始めた。
「あら、意外過ぎる趣味ね。でもすごく興味があるわ」
「どちらにですか?」
「両方よ。山ガールに憧れるし、温泉手形を持って回るのが夢なの」
「マジですか?」
「えぇ、マジよ」
姫が自分の話に食いついてくれるなんて思っていなかったから嬉しくて、照れを隠すために不自然なほど頭を掻いてしまう。
もし一緒に行こうって言ったら、姫はどう思うかなーー聞きたいけど、返事が怖くてきけなかった。
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