第二章

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カラオケ店に行くと、赤塚、岩城、木戸、川瀬が居た。莉奈のグループ五人と赤塚のグループ四人の、合コンめいたカラオケがはじまる。 なんだか嫌な状況だ。隅っこで小さくなり、京香は歌わずに盛り上げ役に徹した。 「ジュース、なくなっちまったな。誰か汲んでこいよ」  赤塚の言葉に、真っ先に岩城がグラスを手に取った。 岩城は京香に空のグラスを押し付ける。 「佐野、行ってこいよ。つーかさ、ワタシがいきますって自分から言えねーのかよ?ブスなんだから、気が利かないとモテねーぞ。性格までブスかよ。このオレがオマエみたいなブスとカラオケしてやってんだ、感謝の意ぐらい表せよ」  ブリーチで傷んだ髪を掻き上げながら、岩城が京香を罵倒する。 ふざけないで!あんたみたいな奴こっちから願い下げよ。 脳内では岩城を怒鳴りつけて、グラスを突っ返していた。だが、実際は気弱な自分にそんなことができるはずもなく、情けなく媚びた笑みを浮かべて頭を下げる。 「ごめんね、気付かなくて。他にも、ジュースが欲しい人いる?」 「ありがとう、京香。私、オレンジジュースが飲みたいな」  莉奈が首を傾けながら、遠慮がちに空のグラスを差し出す。 可愛いから許す。京香は満面の笑みでグラスを受け取った。 「アタシはコーラね」 「温かいアップルティーを淹れてきてちょうだい」  便乗して、真理子と彩実も京香にグラスを渡した。 「ワタシはココアをお願い、京香」  グラスに半分ほど残っていたカルピスソーダを飲み干して、風花までグラスを出してきた。 高圧的な態度と意地汚さが透けた行動に腹の底が煮えたぎる。だけど、この場で断れば岩城にまた性格ブスと言われるかもしれない。渋々風花のグラスも受け取った。 「辰さんはコーヒー、オレはコーラ、木戸と川瀬はメロンソーダな」  結局全員のグラスを押し付けられた。一度で持っていける量じゃない。とりあえず無理やり三つのグラスと一つのホット用のカップを抱えて部屋を出る。  まずは莉奈のオレンジジュース、真理子のコーラ、赤塚のアイスコーヒー、彩実の熱い紅茶をお盆に載せて戻った。  ドアを開ける時、飲み物を零さないように慎重になって、モタついた。だけど、手伝ってくれる人は誰もいなかった。  内心苛ついていたが、つい愛想笑いを浮かべてしまう。 「持ってきたよ、どうぞ」 「おせーよ、佐野。辰さん、とっくに歌い終わってんだろうが」  岩城に難癖をつけられて理不尽だと腹を立てつつもと謝り、赤塚にアイスコーヒーを差し出した。 「ミルクはどうしたんだよ」  赤塚の鋭い瞳に見られて、京香はヒッと喉を引き攣らせる。 「ご、ごめんなさい。彩実ちゃんの分しか持ってこなかった」 「私の?アップルティーなのに、ミルクなんていれるわけないでしょう。馬鹿ね、京香。いいわ、赤塚君にあげる」  彩実がお盆の上のミルクを取り、赤塚に手渡しする。 「サンキュー、彩実」 「どういたしまして」  持ってきたのは私なのに。その言葉を飲み込んで、赤塚に怒られずに済んでよかったと思うことにした。 お礼を言ってくれたのは莉奈だけだった。 密かに腹を立てながら、残りの風花、岩城、木戸、川瀬の分のジュースも注ぎに行く。 部屋に戻ると、莉奈にマイクを手渡された。 「ジュースのお礼に、京香が好きなアニソン割込みで入れといたよ」 「えっ、いいよ。私、歌うのはちょっと」 「そんなこと言わないで盛り上がろうよ」 「せっかく割込みで莉奈が入れてくれたんだから、歌えよ」  赤塚にまで命じられたら歌うしかない。流れてきたアニソンは誰もが知る人気アニメの主題歌だった。切なげな曲調と歌詞の大人びた歌だ。 いきなり人前で歌うなんて恥ずかしくて、ぼそぼそ歌っていると、野次が飛んできた。 「おいおい、そんなヘッタクソじゃアニソン歌手になれねーぞ!」 「岩城の言う通りだし。京香、ちゃんと歌えっての。ねえ、彩実」 「そうよ、気合入れて歌いなさいよ」 「オレが気合注入してやるぜ。ほらよ!」  野球部でスポーツ刈りの木戸が平手で尻を叩いてきた。 痛くなかったけどびっくりした。あまりの不快さに声が出なくなる。 「おいおい、ちゃんと歌えっての。もういっちょ!」  木戸がまた京香の尻を叩く。今度は尻の肉がプルンと揺れるくらいの衝撃だった。 「佐野っておっぱいはないけど、いい尻だな。手応え最高!川瀬も叩いてみろよ」 「マジかよ、どれどれ」  今度はウルフカットでちゃらちゃらした川瀬が尻を触る。 「やめて、触らないで」  思わず手を払いのけると、川瀬は糸目を吊り上げた。 「冴えないブスがいっちょ前に抵抗すんじゃねーっつーの。オラオラ、そんな声出せんならちゃんと歌え、ボケッ!」  バチンと大きな音がした。尻がヒリヒリと傷んで泣きそうになる。逃げようとしたけど木戸に肩を掴まれた。 川瀬が「歌えよ」と執拗に尻を叩いてくるので、半泣きになりながら本気で歌った。 木戸と川瀬から解放されが、歌うのをやめたらまた叩かれかねない。しょうがなく、本気で歌い続ける。  歌い終わるとほっとして涙が出そうになった。鼻を啜りながら、マイクを置いて逃げようとすると、莉奈が拍手をして前に立った。 「すごいね、京香。歌、すっごく素敵だったよ。ねえ、もう一曲聞かせて。おねがい」 「わ、私もう、帰らなくちゃ」 「ラスト一曲、おねがい」  愛らしい猫撫で声で頼まれて、京香は操られるようにマイクを握り直した。 次の歌の前奏が流れてくる。 あまりに有名過ぎる猫型ロボットのテーマソングだった。 子供向けのアニソンはあまり好きじゃなく、正直、歌いたくない。 だけど、断ったらまた酷い目に遭わされるんじゃないかと恐くて、本気で歌った。  みんなが馬鹿みたいに手拍子を打ち、罵倒半分、褒め半分の野次を飛ばしてくる。 馬鹿にされている。そう思いながら、京香は自慢の歌声を披露する。  サビのおなじみのフレーズに入る直前に木戸が近付いてきた。 「ほら、アンアンアン、のところ、色っぽく声出せよ」 「おっ、それいいじゃん。木戸ナイス。ほら、喘げ喘げ!」  要求を無視して普通に歌ったら、木戸が背後から抱き着いて京香の胸を揉んだ。 こんなの犯罪だ。抵抗しようとしたが、小柄な京香では筋肉質な木戸をどけることはできない。 色っぽく歌えば解放される、そうするしかない。おもいっきり艶めいた声をだして歌う。 「マジでやってるし。媚び媚のメスネコみたい、笑えるんですけどー」 「いやね。下品だわ、京香」  真理子と彩実が手を叩いて笑い、風花は嘲る顔で自分を見ていた。 莉奈はいつもの天使の笑みで手拍子を打ち、赤塚は興味なさげだ。  胸を揉まれて嫌なはずなのに、変な気分にもなった。はじめて異性に身体を触られる興奮、くすぐったいような感覚。身体がじわりと熱くなる。 そのことを悟られたらしく、背後から顔を覗き込んでくる木戸がいやらしい目つきになる。木戸だけじゃない、川瀬も糸目をぎらつかせてこちらを見ていた。  歌が終わって解放された京香は、脱力して床に座り込んだ。 「ブスでもそういう顔してると、ワリとそそられるぞ。まあオレはオマエなんかに興味ねーけどな。でも、木戸には丁度いいんじゃねーか?なあ、辰さん」 「そうだな。ここらで童貞卒業しとくか、木戸」  赤塚に言われて、木戸は「ばらさないでくれよ、辰さん」と唇を尖らせつつも、すぐに舌舐めずりをした。 「それじゃあ私達お邪魔だね。行こうか、真理子、彩実、風花」  莉奈が席を立つと、真理子達もニヤニヤ笑いながら立ち上がる。 「ま、待って、行かないでっ!」  莉奈を追いかけようとした京香の腕を、岩城と川瀬が両サイドから掴む。そのまま、岩城と川瀬にソファに引き倒された。 木戸が圧し掛かってくる。制服のカッターシャツを乱暴に開かれて、ピンクのレースのブラジャーが顕わになった。 「やっぱ貧乳だな、ガキかよ」  文句を言いながら、木戸が胸を揉んでくる。首筋をぬるりと湿った舌が這った。 「いやだっ、やめて、やめてよっ!」 「うるせーな、黙らせろよ」  岩城に言われて、川瀬が京香の口を手で塞いだ。くぐもった声が部屋に響く。 岩城が音漏れの防止のためにと、歌いはじめた。  木戸が荒い息を吐きながら京香のスカートの中をまさぐる。節くれだった指がパンツをずらして割れ目に触れた。 そのまま中に入ってくる。重なった身体の重みが怖い。侵入してきた指が中で無遠慮に暴れまわり、京香は恐怖と痛みに足をばたつかせる。  初めては好きな人がいい。犯罪まがいに奪われるなんて絶対に嫌だ。京香は靴を履いたままの足で、木戸の股間を蹴り上げた。  木戸が間抜けな叫び声をあげて床に転がる。腕を押さえていた川瀬を火事場の馬鹿力で跳ねのけ、鞄を掴んで部屋を飛び出した。 レジの店員が料金を払わずに外に出ようとした京香を呼び止めたが、涙を浮かべる京香にギョッとして、口を噤んだ。 ボタンが飛んで肌蹴たシャツを鞄で隠し、全力疾走でカラオケ店を離れた。 駅のトイレに駆け込んで、やっと息を吐く。途端にボロボロと涙が零れ落ちた。  三日後の月曜日には合宿が始まる。行きたくない。絶対に嫌だ。  シャツのボタンを自宅近くの手芸店で買い、家に帰ると部屋に逃げ込んで慣れない手つきでボタンを縫う。 同じクラスの男子にカラオケ店で襲われたなんて、母には口が裂けても言えない。誰にも知られたくない。  膣に指を入れられ、胸を触り回されただけで済んでよかった。到底、そんなふうに思えなかった。 小学校のフォークダンス以外で、男子と手を繋いだことさえない。将来現れるだろう自分の王子様の為に、固く貞操を守ってきたのに、嫌いな男子に乱暴に触られて感じてしまうなんて。 湿った下着の感触が気持ち悪い。自分がすごく汚く思えて、また涙が出てきた。 滲んだ視界のせいで何度も針で指を刺しながらも、なんとかボタンを縫い付けた。 「京香、ご飯よ。早く降りてきなさい!」  階段の下から母が怒鳴る。食欲がなかったけど居間に顔を出した。 夕食はオムライスだった。 「ねえ、お母さん。私、合宿、行きたくない。休んでいい?」  半分ほど食べてスプーンを置き、切実な顔で母に訴える。 しかし、母は眉間に深く皺を寄せて、湯飲みを乱暴に机に置く。 「あんたね、何言ってるのよ!学校を休みたいって言いだしたかと思ったら、今度は合宿なんて。もう旅行代金は払ってるのよ!」 「バイトして弁償するから。お願い、どうしても行きたくないの」 「バカなこと言わないの!ズル休みばっかしてて、社会でやっていけると思ってるの?」  なぜ休みたいか理由も聞かず、一方的に母が説教をする。 このままじゃ埒が明かない。いじめられていることを口にしたくなかったが、背に腹はかえられない。 「お母さん、私、今クラスで孤立してるの。無視されたり、悪口を言われたり、持ち物を隠されたりするんだよ。合宿に行っても嫌な思いをするだけだよ、休ませて」 「そんなの、やめてって言えばいいじゃない」 「やめてって言ってもやめてくれないよ」 「ならやり返しなさい。社会人になったって、いじめはあるのよ。まったく、本当に弱いんだから。そんなんだからいじめられるのよ。もっとがんばりなさい!」  無責任だ。なにを頑張ればいいというのだろうか。無視されて、いじめられて、パシリに使われて、レイプされそうになっても笑って耐えろというのか。  私には味方がいない。絶望に飲み込まれ、目の前が真っ暗になる。 そんな京香に気付かず、母はテレビを見て馬鹿みたいに笑っている。  残りのオムライスをかきこむと、乱暴にスプーンを置いて居間を出た。階段を駆け上がり、自室のベッドに飛び込む。  窓の外は雨が降っている。 止まない雨のように、京香の涙も枯れることなく流れ続けた。
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