第三章

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星宮高校の一同はロビーに集合した。 「当ホテルは全十二部室、お部屋は二人部屋と四人部屋ともに六部屋です。二人部屋のうち一号室と二号室はスイートルームで今回はお使い頂けません。鍵はオートロックではございませんので、掛け忘れのないよう。御用の際はフロントの呼び鈴を鳴らして下さい」  影沼オーナーは鍵を置くと、一礼してフロントの奥に消えた。 「そんじゃあ、どの部屋がいいか決めてくれ。四人部屋が六つ、三人部屋のうち二組は二人部屋にエキストラベットだ」  鷹代の言葉に生徒達の顔がぎらつく。  旅行前、男女別に四グループずつの部屋割を決めた。男子は三人が三組で四人が一組。女子は三人が一組で四人が三組だ。 三人組の内、不運な二組は二人部屋というわけだ。 「俺はべつにエキストラベッドでも構わないが」  篝の言葉に佐助が珍しく顰め面をする。 「嫌だっつーの。よく考えろ、俺でさえ一七五センチで、お前は俺よりでかくて、真澄なんてクラス一の長身だぜ。三人で二人部屋を利用してみろよ、ヤバイことになるぜ」 「そうか。すまない」 「篝はお人好しだよな。俺、お前のそういうところ嫌いじゃないぜ。でも今回は譲らねーよ」  二人部屋のグループをどう決めるのかロビーが俄かにざわめく。当然のことながら、どのグループも二人部屋を嫌がり、話が進まない。 「二時からシュノーケリングだから、早く決めろよ。何ならオレが指名してやろうか?」 「鷹セン、恨まれちまうぜ」  佐助の言葉に、鷹代はいつものへらりとした顔で笑う。 「恨まれるぐらい、痛くも痒くもねぇよ」 「こういう所での恨みって後をひくんだぜ。まあ、俺に任せな。恨みっこなしの究極の方法を提供してやる」 「なんだよ?」  鷹代が怪訝な顔で佐助を見る。佐助は握り拳を緩く掲げた。 「ジャンケンだよ。これなら自分の実力で勝利をもぎ取れるし、恨みっこなし。決着も一瞬じゃん。乗る奴手ぇ挙げて」  全員の手が上がった。 さすがコミュニケーション能力抜群の佐助だと、篝は感心する。  三人グループの奴が代表一人を出して、じゃんけんをした。結果、佐助と草間の二人が真っ先に勝った。 「それじゃあ一足先に四人部屋の鍵をもらうぜ。ワリィな」  佐助が飄々と笑って四人部屋の鍵を手にした。 それに対してみんな笑っていて、誰も文句を言わなかった。 だが、草間が無言で四人部屋の鍵を手にすると「ずるい」とか「あいつチビだし二人部屋でいいんじゃないか」という文句がヒソヒソと聞こえてきた。 「はいはい、恨みっこなしなー」  佐助がパンパンと手を叩き、有無を言わせず次のジャンケンをはじめる。 二人部屋を使うことになった不幸なグループは、岩城と木戸と川瀬のやんちゃな男子グループと、風花、安曇、堀部の地味な女子のグループだった。 「んだよ、最悪じゃん。岩城、負けてんじゃねーっつーの」  川瀬が糸目をさらに細めて唇を突き出す。 「ワリー。でも、大丈夫だって。オレに考えがある」 岩城がなにやら川瀬に耳打ちをした。さっきまでムッとしていた川瀬が笑顔になる。 なにやら怪しげな二人に、篝は首を傾げた。 部屋の鍵を鷹代から受け取ると、生徒達はそれぞれ部屋に向かう。 篝は非常口の確認のため、エレベーター前にあるホテルの見取り図を見た。 長方形の四階建てのホテルは真ん中にエレベーターホールがある。エレベーターホールの真上は外から見た時に森から突き出していた円筒の部分で、屋上テラスになっている。一階には男女別の大浴場、食堂、ロビー、展示室、工作室などの施設があり、二階が3号室から8号室の客室、三階が9号室から12号室の客室、四階が1、2号室でスイートルームだ。 篝と佐助と真澄の部屋は三階の左奥の四人部屋、9号室だ。 エレベーターを降りると、不穏な光景が目に入った。11号室の前で草間と小田と小西が岩城、木戸、川瀬に絡まれている。  草間と小田はどちらも痩せ型で眼鏡を掛けた垢抜けない雰囲気の男子だ。一方小西は太っていて、コニシキというあだ名を付けられている。 三人揃って運動が苦手で大人しく、岩城達によくからかわれている。 「おい草間、11号室の鍵を寄越せ。12号室の鍵やるからよ」 「悪いけど、僕はジャンケンに勝ったから」 「ナマイキ言ってんじゃねーぞ。部屋かわれっつってんだよ」 「断る」 「そ、そうだ、草間の言う通りだ!負けたキミ達が悪いじゃないか!」  終始平坦で無表情な草間とは反対に、彼の隣に立つ小田は鼻孔を膨らませ、赤ら顔で声高に叫ぶ。 岩城が大きく舌打ちをして、声を荒げた。 「うるせーんだよ、メガネ!テメーは黙ってろや」 「ひ、ひくもんか。ボクらは勝って四人部屋を手に入れたんだぞ!」 「生意気なんだよ、メガネ!」  岩城が垂れ目を吊り上げて、小田の胸倉を掴み上げる。小田が悲鳴を上げた。 草間は小田を無感動にぼんやりと見ている。小西は太った身体を丸めて、怯えきった顔で自分よりも細い草間の後ろに隠れていた。 「やめろ」  見かねた篝は岩城と小田の間に割りこみ、岩城の腕を掴んだ。 「なんだよ、水名月。テメーには関係ねーだろ」 「部屋は公平に決めただろう。潔く諦めて自分の部屋に戻れ」 「でた、正論攻撃。おれらは草間に言ってんの。水名月、関係ないじゃん」  ウルフカットの長い後ろ髪を弄りながら、川瀬がしっしっと手を振る。 篝が威圧的な瞳を向けると、川瀬はすぐに唇を引き結び、降参とばかりに両手を上げて下がった。今度は木戸が前に出てくる。 「まあまあ水名月。そう怖い顔するなっての。オレらはさ、かわって欲しいってお願いしてるんだよ」 「そうは見えない。それに、草間は部屋をかわりたいと思っていないだろう」 「そんなことないよなぁ、草間」  猫撫で声で笑みを浮かべる木戸に対して、草間は冷たい目でぴしゃりと言い放つ。 「僕はかわりたくない」  木戸がぎょろりとした目をおもいきり細めてすごむが、草間は素知らぬ顔をしている。 「もういいだろう、木戸。岩城も小田を離せ」  篝は岩城の腕を掴む手に軽く力を入れた。  岩城は小田から手を離すと、今度は篝に掴みかかってきた。 「テメーうるせーんだよ、正義の味方ぶりやがって!」 「そんなつもりはない」 「俺も賛成だな。水名月、お前そろそろいい加減にしろよ。そういうお人好し根性、腹が立ってしょうがねぇんだ」  部屋の奪い合いには一切関係ない赤塚辰也の登場に、篝は思わず舌打ちを漏らした。 「辰さん!」  弱腰だった川瀬や木戸の瞳が輝く。赤塚は彼らのリーダーだ。赤塚は岩城達と違う部屋で学級委員長の最上と同じ部屋だが、行動班は岩城と同じだ。 短髪の紅い髪、大きな体躯、迫力がある鋭い眼差し。彼を怖がっている生徒や、へつらう生徒は多い。 「いっぺん痛い思いをしてみるか?水名月」 「お前と争うつもりはないが、黙って殴られる気もない」  赤塚が両腕を顔の高さに上げて構えをとった。 全国レベルのボクシング選手だけあって、堂に入った構えだ。ぼやぼやしていたら強烈な一撃を喰うだろう。篝も不承不承構える。 「やめとけよ、篝」 「そうだよ、関わらない方がいい」  佐助と真澄が止めようとしたが、篝は引き下がらなかった。まっすぐに赤塚の鋭い目を睨む。 「こら!喧嘩すんな」  鷹代の登場に、篝はすぐに拳をおさめた。しかし、赤塚はまだ構えたままだ。 「三階でなにしてんだ赤塚。オマエの部屋は二階だろうが」 「うるせぇよ、先公。すっこんでろ」 「すっこむかよ。なんで喧嘩になってんだよ?」  小田が手を挙げた。 「岩城くんたちがボクらに部屋をかわるよう強要し、それを目撃した水名月くんが助けてくれたんです。赤塚くんは後からきて、水名月くんに喧嘩を売りました」  耳が痛くなるほど大きくハキハキした声。さっきまで猫に怯える鼠のように縮こまっていたのが嘘のような変貌ぶりだ。 偉そうにふんぞり返って答える小田を岩城達が睨むが、小田は高圧的な態度を崩さない。  鷹代は眉を八の字に下げ、後頭部を掻いた。それから、赤塚、岩城、川瀬、木戸に軽くゲンコツを落とす。 「オマエらが悪い。部屋替えは禁止だ。ほら、さっさと荷物置いて、ビーチに集合しろ」  鷹代にせっつかれて、舌打ちをしながらも岩城達は去っていった。 赤塚は暫く篝を睨み付けていたが、鷹代が拳を振り上げると、鼻を鳴らして大股で去っていった。 「助かったぜ、鷹セン。どうなるかと思ったわ」 「伏見はケンカ強いから平気だろ。篝もタイマンならそうそう負けねぇよ」 「そうだけど、面倒じゃん。赤塚は陰険で執念深いから、極力関わりたくないわけ」 「そりゃそうだ。賢いな、伏見。篝もドストレートに突っ込む以外の方法を覚えてくれよ。オレを呼べってば」 「鷹代先生の手を煩わせたくなかったので」 「ハイハイ。いい子だな、ありがとなー」  鷹代が笑って篝の頭を撫でる。また子供扱いだ、篝はむくれる。 「先生、いい加減にしないと篝が困っていますよ。特定の生徒への過剰なスキンシップはどうかと思いますよ」 「なんだよ、曽根も撫でて欲しいのか?」  頭を触ろうとした鷹代の手を、真澄がぴしゃりと叩く。 「触らないでください。僕が言っているのはそういうことじゃないですよ。先生、どうして篝だけ名前で呼ぶんですか?」 「篝って苗字みたいだし、水名月より呼びやすいんだよ」 「本当にそれだけですか?」  真澄の薄茶色の垂れ目が鷹代の吊った褐色の目をじっと見る。 鷹代は真澄から視線を逸らして「早く準備して集まれよ」と言って去っていった。 「重くて腕痺れてきたわ。マジで早く荷物置いてこようぜ」  佐助にポンと肩を叩かれて、篝は真澄と並んで歩き出した。  絶え間なく波の音が聞こえる。穏やかな音に耳を傾けながら、篝は目の前に広がる透明な海を見詰めた。 白い砂浜で水着姿の生徒達が楽しそうに戯れている。  篝は黒に青い流線が入ったハーフスパッツ、佐助は膝上丈の迷彩柄のサーフパンツ、真澄は膝丈のグレーの水着姿だ。 「おー、うちの女子陣は華やかでいいねぇ」  佐助が口笛を吹いて、女子を見回す。 視線に気付いた莉奈、真理子、彩実が近付いてきた。三人とも大胆なビキニ姿だ。 莉奈は藤紫のホルダーネックにフリルスカートの水着だ。胸元の白いリボンが彼女の華奢な身体と相俟って妖精のように愛らしい。 真理子は常葉色の三角ビキニに白のホットパンツと、活発な彼女に似合うスポーティな水着で、彩実は黒のオフショルダービキニにセクシーな紐パンツと大人びた彼女らしい水着だ。 「佐助クン、アタシらのこと見てたっしょ。もー、エッチィ」 「男はみんなスケベなんだぜ、三森。水着すげー似合ってる。サーフィンとかバリバリやってそうなカンジだぜ」 「マジで?サンキュー。そういう佐助クンもサーフィンできそう」 「スポーツならなんでもできるぜ」 「さすが過ぎでしょ!つーかさ、佐助クン達やばくね?腹筋めっちゃ割れてんじゃん。佐助クンと篝クンはスポーツ万能でそうだろうと思ってたけどさ、真澄クンまで腹筋男子なんだ、ちょー意外」 「本当ね。優男っぽく見えてずいぶんと逞しいじゃない、素敵よ」  真理子と彩実に褒められて、真澄はにこりと愛想よく笑った。 「ありがとう。君達も素敵だよ」 「やばっ、真澄クン、フェロモン出過ぎだって。篝クンはクールでカッコいいし。目の保養になる。ねえ、莉奈」 「そうだね」  真理子の言葉に頷きながらも、莉奈の視線は他所を向いていた。その先には、紺色のハーフパンツの水着姿の鷹代がいた。 肩幅がしっかりしていて筋肉質で大人の男を感じさせる体躯だ。篝は思わず莉奈と一緒になって鷹代を凝視する。 「篝くんって、女の子に興味がないの?」  質問されて顔を向けると、莉奈は冷笑を浮かべていた。 天真爛漫な彼女らしくない表情はすぐに掻き消える。見間違いだったのだろうか。 「あまりないが」 「じゃあ、男の人が好きなの?」 「いや、男にも興味はないが……」  困惑気味に答える篝を、莉奈がじっと見る。愛らしい目の奥に冷たい炎を感じた。 「ちょっとぉ、莉奈ったら天然すぎ!なにその質問」 「そうよ、莉奈。それじゃあゲイなのって聞いているようなものよ」  真理子と彩実が莉奈にツッコミを入れた。 莉奈は口元に両手を当てて、可愛らしい声で謝罪を口にする。 「やだっ、わたしったら変なこと聞いちゃった。ごめんね、篝くん」  ぺこりと下げた頭を上げた時にはもう、冷たさは失せていた。だが、篝は彼女の中にある凍える炎を感じ取っていた。 何故、莉奈は自分を敵視するのだろう。理由がわからない。女子からの敵意には慣れていなくて困惑する。 何故、殆ど接点のない莉奈に嫌われているのだろう。 「おーい、莉奈。こっち来いよ」  遠くの方で莉奈を呼ぶ声がした。赤塚達が彼女を手招きしている。 「行こ、真理子、彩実。じゃあまたね」  手を振って莉奈達が去っていく。 三人を無言で見送りながら、篝はあることに気付いた。彼女達といつも一緒いる京香の姿がない。 かわりに、風花が大きな体を弾ませながら、華やかな三人組の後ろを追っかけ回している。 京香はどうしたのだろう。彼女の姿を探す。 京香は波打ち際に集まった他の生徒達から離れて、ポツンと日陰に立っていた。その表情は薄暗い。旅行を楽しみにしていた彼女とは別人のようだ。  声を掛けようとしたが、真澄に「海に入ろうよ」と手を引かれて、話しかけられなかった。  透き通って底まで見える淡いエメラルドの水、飛び込みたくなるような綺麗な海。 鷹代と月山と影沼オーナーの大人組がシュノーケリングの用意をしている間に、生徒たちは思い思いに海遊びに耽った。篝も美しい海に誘われるように、そっと足を入れる。 水を裂いて奥に入っていくと、全身が縮こまるような冷たさに襲われた。波打ち際に避難する。 「水が冷たいな、真澄」 「そうだね。凍えてしまいそうだ」  眩しい光を弾く水面と白い砂浜のせいで夏のような錯覚をしていたけど、実際はまだ六月だ。海水の温度は二十度あるかないかぐらいだろう。海水浴は最低で二十二度以上、適温は二十五度だ。 「うおーっ、さいっこう!」  冷たくて二の足を踏んだ篝と真澄に対して、佐助はハイテンションでバシャバシャと水の中に走っていった。すいすいと泳ぎ始めたのを見て、思わず感心してしまう。  無邪気にはしゃぐ佐助はとても楽しそうだ。人生を謳歌している。 篝は羨望の眼差しを向ける。 「こら、伏見!泳いでいいとは言ってないだろ!寒いのに何やってんだ馬鹿!」  遠くから鷹代が叱りつけると、佐助は「すんませーん」と笑いながらすごい速さでこちらに戻ってきた。 「もし沖に出て人食い鮫が現れても、佐助なら戻ってこれそうだな」 「言えているね。佐助なら素手でも鮫を仕留めて戻ってくるよ」 「いや、鮫を手懐けて背中に乗って帰ってくるかもな」  真澄とくだらない話をしていると、背後に気配を感じた。 「珍しく楽しそうじゃねぇか、水名月」  視線だけ背後に向けると、皮肉めいた笑みを浮かべて赤塚が立っていた。 真澄の横顔が俄かに固くなる。篝は真澄を庇うように半歩前に出ると、警戒した顔で彼を見た。 「俺が楽しそうだと何か問題でもあるのか?」 「いや、ねぇよ。そういう顔はお子様みたいでいいと思うぜ。まあ、そのボディはお子様ってわけにはいかねぇけどな。すぐに折れちまいそうなくらい細い腰だ。細長い足も俺好みだぜ。それに吊り上がった尻もいい。さすがハーフだ、日本人とは骨格が違うぜ。エロいな。水名月、ひょっとしてお前の母親は娼婦か?」 「俺の母親を知らないくせに、よくもそんなことが言えるな」  安い挑発だ、乗るな。 母親を馬鹿にされて頭に血がのぼりそうになるのを堪える。娼婦という罵りに、あの男の顔がチラついて不快な気分になった。 「怒っちまったのか?にっこり笑えよ。それともクールビューティが売りの娼婦は、ヤってる最中も無表情な人形面なのか?」  なんなんだコイツは。あからさまに喧嘩を売ってきて、そんなに殴り合いたいのか。 篝は反射的に拳を固めた。次、何か言われたら拳が飛んでいたかもしれない。 だが、真澄に優しく手を握られて、篝はとどまった。 「放っておこう、篝。くだらない挑発だよ」 「真澄……。ああ、そうだな」  篝は踵を返した。背中に粘着くような視線が絡みついている。 じっと茂みから獲物を狙う猛獣のような嫌な視線だ。 気付かないふりをして、足早に赤塚から離れた。
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