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「準備できたぞ。集合しろ」
生徒達が鷹代の近くに集合する。全員揃っているか見回した鷹代に、真理子がからかうように言った。
「鷹代センセー、いま、アタシの谷間見たでしょー?ヘンタイっ!」
「何言ってんだよ三森、ガキの谷間なんて見てねーよ」
「ちょっ、ガキってヒドくない?もう大人だし!」
「真理子の言う通りだよ、先生のイジワル。頑張って、大人っぽい水着選んだのに」
桜色の唇を尖らせる莉奈に、鷹代は肩を竦めた。
「はいはい、王島がセクシーな水着なのは認めるよ。でも、オレからみればみんなまだまだ子供だ。どうせすぐにウエットスーツ着るんだから、水着なんてなんでもいいだろ」
「鷹代先生はお洒落したいレディの気持ちがわからないのね。だからもてないのよ」
ツンと顎を逸らす彩実に鷹代は眉を下げた。
「早瀬、オマエは容赦ないヤツだな。もてないとか余計なお世話だ。別にいいんだよ。オレは愛されるより愛したい方なんだ」
鷹代の言葉に笑い声や悲鳴、囃し立てる声が響く。
「ほら、静かにしろ。マスクとウエットスーツの着方を影沼さんが説明してくれる。ちゃんと聞けよ」
鷹代の力強い声に気圧されてざわめきが止んだ。
すかさず影沼オーナーが前に出て、ゴーグルの付け方、水中での呼吸の仕方、スーツやフィンの纏い方を淡々と簡潔に説明した。
説明が終わると、生徒達はスーツを着てフィンを纏った。
「なるべく二人以上のバディで行動しろよ。何かあったらすぐに助けを呼べ。体調不良にも気をつけろよ。シュノーケリングで波酔いするヤツがけっこういるらしいからな。そんじゃあ今から一時間、それぞれ好きに海中散歩を楽しんでくれ。終了の五分前に笛を吹くから、笛の音が聞こえたら陸に向かえよ。そんじゃあ解散」
「行こうぜ、篝」
待ちきれないという様子で、佐助が海に突入していく。浅瀬から足がつかない沖を目指す彼を追って、篝も真澄の様子を見ながら広くて深い場所に出た。
透き通った海の底には紅色や橙色、緑のサンゴ礁が連なっていた。その間を色んな魚が泳いでいる。佐助は岩肌にくっついたウニやハコフグなどが泳いでいるのを見ては、しきりに嬉しそうに喋りかけてきた。
陸とは違う世界。緩やかな日差しのカーテンに、水晶のように透明な青。優しい波のリズムに身を委ねていると、心地良さに心が穏やかになる。
フィンで水を蹴るとすごい推進力で前に進んだ。
佐助と真澄が話している間に、篝は水を蹴って海の奥へ奥へと導かれるように進んだ。鷹代の注意を忘れて、つい遠くて深い場所に進んでいく。
皆が小さく見えるほど遠くにくると、深い場所に潜った。身体を包むスーツ越しでも水が冷たくなってきているのがわかる。
静かな海に抱かれていると、そのまま目を閉じて眠りにつきたい衝動に駆られた。深い意味も感情もない。
ただ、なんとなくどこかに逃げたいと思った。
目を閉じてぼんやりしていると、父も母も元気で幸せだった頃の記憶が甦る。いつの間に家族がバラバラになってしまったのだろう。少なくとも社会人になるまでは、父も母も傍にいてくれると思っていたのに。
このまま眠りについたら、父さんとまた会えるだろうか。
そんなことを考えていたら、腕を強く掴まれた。
はっと目を開けると、ゴーグル越しに鷹代がこちらを見詰めていた。いつもの眠たげな瞳には強い光が宿っていて、別人のようだ。こういう顔を見ていると、やっぱり鷹代はかっこいいと思う。
すごい勢いで海面に浮上していく。驚いている間に海面から顔が出た。
何故か、鷹代は怒ったような顔をしていた。
「何やってんだ、馬鹿野郎!」
いきなり怒鳴りつけられて、篝はパチパチと瞬きをする。
「何って、シュノーケリングですが」
「馬鹿か、オマエ。海に沈むのはシュノーケリングじゃなくて、スキューバダイビングなんだよ。シュノーケルで深く潜るな!」
「シュノーケリングでも、慣れている人なら深く潜ります。佐助だって潜っているし、怒られることではないと思いますが」
脳裏に過った緩やかな自殺願望に鈍い鷹代が気付いたはずがない。自分でさえ、彼に引き上げられるまで気付かなかったのだから。
日々が辛いわけでも、死にたいと思ったわけでもない。なんとなく、海の底で静かに眠りたくなった。そんな曖昧な気持ちで、息が苦しくなれば自ら水面に出ただろう。
反論した篝の目をじっと鷹代が覗き込む。
数秒間見つめ合ったのち、鷹代が篝を抱きしめた。
突然のことに篝は慌てふためく。
「せ、先生。もし、誰かに見られたら不味いです」
「大丈夫だよ。みんな海の魚に夢中だ。そうじゃない奴は泳ぐのに必死だから、こんな沖の方なんか見てねぇよ」
「急にどうしたんですか?」
「不安になることだってあるんだよ。オマエが一人で沖に行ったのを見て、捕まえなきゃなんねぇって反射的に身体が動いた。馬鹿なんだよ、オレは。オマエが自分から死んじまうなんて、絶対にそんなことないのにな」
鷹代は篝を数秒強く抱き締めてから、ゆっくりと腕を解いた。
「やべぇ。他の生徒もちゃんと見ねぇと、事故でもあったら大変だ」
慌てた声で言うと、マウスピースを咥えて鷹代が浅瀬に引き返していく。
篝はゆっくりと海の中を覗きながら彼の後を追った。
さっきまで遠ざかっていた音や気配が徐々に近付いてきて、賑やかな日常が戻ってくる。
「遠くまで一人で行くなよな、篝。探しただろ」
「そうだよ。心配するじゃないか」
近付いてきた佐助と真澄に、篝は静かに笑い掛ける。
「すまない。つい、海に惹かれたんだ」
「怖いこと言うなよな、篝。ほら、あっちの方行こうぜ。浅いけど、カラフルな魚がいっぱいいてすげーキレイだぜ」
「行こう、篝」
佐助と真澄に引っ張られて、篝は浅瀬へ泳いだ。
一時間以上のシュノーケリングを終えて陸に上がると、思ったより体が冷えていた。
普段着に着替えて砂浜に戻ると、佐助と真澄と並んで静かに日光を浴びて過ごした。
赤塚や岩城が真理子や彩実に話しかけているのが見える。彼らは他のクラスメイトを交えて大人数で何か楽しそうに話している。
二年六組には赤塚や岩城といった素行の良くない生徒はいるものの、学級委員長の最上や男女問わず人気がある莉奈がつなぎとなって、クラス仲は良好だ。時々、草間や小田が度を越したからかいを受けていたり、誰かの椅子が無くなったりすることがあるのは少し気になっているが、いじめというほどの問題はないように思える。
「みんな集まって、楽しそうだね。僕は全員と仲良くなんて無理だけどさ」
「俺も苦手だな。個人主義だから」
篝と真澄がのんびりと話している横で、佐助が目を細めた。黒い瞳がじっと輪になった二年六組の生徒を見ている。
気になって篝も彼らに目を向けた。輪になった生徒たちの真ん中には、京香がいる。顔を赤らめて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
篝は不穏な気配を感じ取り、腰を上げて集団に近付いた。
「パンツがなくなっちゃったなんて、京香、かわいそうっ」
「ちょっと、やめてよ風花!そんな大声で言わないで」
「でも、探してもらわなくちゃ大変よ。みんなも、京香のパンツを探してあげてよ!短いスカートなんて履いちゃってさ、こんな状況で風が吹いたら大変!ワタシなら恥ずかしくて死んじゃうわよ」
「やめてってば、風花!」
「マジ、佐野、今ノーパンなの?やるじゃん、スゲー度胸」
川瀬が笑いながら囃し立てる。木戸も同調して口笛を吹いた。
「スカート捲りとか、ガキの頃やったよな」
「オレ、それでよく先生にゲンコツくらってたんだよな。なんか、懐かしいぜ。やってみるか?」
岩城の言葉に最上が悪乗りする。女子達が黄色い声援を送った。
「つーか京香さあ、気合入りすぎじゃね?制服のスカートは長いのにさ、超ミニスカじゃん。じつはエロいの?」
真理子がからかうと、風花も一緒になって京香をからかう。
「真理子ちゃんや彩実ちゃんのミニスカならいいけど、チビでぷにっとした幼児体型のアンタの生足なんて、誰も見たくないのよ」
風花の言葉にどっと笑いが巻き起こる。
得意げにしている風花を京香が睨み付けた。
「京香、パンツないのに更衣室から出てくるとかありえないでしょー」
「それは真理子ちゃんたちが引っ張って、無理やり連れてくから」
「なに?アタシのせいにすんなよ。顔だけじゃなくて性格までブスとかきっつー」
「本当ね。最低よ、京香」
真理子や彩実になじられ、京香が泣きそうな顔で歯を食いしばる。
「隠したんでしょ?彩実ちゃんや真理子ちゃんが私の下着、隠したんでしょ?返して」
「今度は犯人扱い?ひどっ、アタシ、傷付いちゃうわー」
「オイ、ブス女!真理子に謝れよ」
泣き真似をする真理子を庇うように、岩城が京香を責める。他の女子達も一緒になって京香にブーイングを飛ばした。
嫌な状況だ。篝は眉間に皺を寄せる。
いじめなどない。そう思っていたけれど、自分の知らないところで悪意が蔓延っているのかもしれない。
篝は人をかき分けて円の中に入ろうとした。その時、莉奈が息を切らしながらパタパタと駆け寄ってきた。
走ってきた莉奈は手に何かを握っていた。
何を持っているのだろう。篝は莉奈の手を注視して、絶句する。
慌てて莉奈を捕まえようとしたが、莉奈はするりと篝を避けて、輪の中に走り込んだ。
「はいっ、莉奈っ。パンツあったよ!」
莉奈は乱れた息で少し苦しそうに喋りながらも、満面の笑みで手に握ったものを京香に差し出した。それは、小さなピンクのリボンがついた白いレースのパンツだった。
京香が真っ青な顔で莉奈を見る。
「更衣室のカゴと棚の隙間に落ちてたんだよ。よかったね、京香」
天使の笑みを浮かべる莉奈に、京香の顔が醜く歪む。
「よくないよっ。莉奈、わざとでしょ!」
「わ、わたし、京香が困っていると思ったから、早く渡さなくちゃって焦って。ごめんね、京香。怒らないで」
大きな瞳に涙を溜めた莉奈を見て、京香を囲んでいた生徒が一斉に京香をバッシングする。
京香は一瞬にして、パンツを履き忘れた上に親切にしてくれた莉奈に逆切れした、醜い性格の女になりさがった。
京香は莉奈からパンツをひったくると、泣きながら走っていった。
「あんなに走ったら、お尻が見えそうよね」
「てゆーか、莉奈に対してなんなの、あの態度。莉奈がかわいそう」
「ほんと、莉奈ちゃんは親切にしてあげたのに、あれはないよ」
「オマエは悪くないぞ、莉奈。泣かなくていい」
誰もが逃げ去る京香を侮蔑の視線を送り、涙ぐむ莉奈に温かい目を向けて励ました。
「酷いな、まるで佐野が悪者みたいな扱いだ」
呟いた篝に、真澄が苦笑を浮かべる。
「確かに、莉奈……いや、王島さんもわざとじゃないとしても、悪いよね」
「わざとじゃないねえ。さぁて、どうだろな」
佐助が含みある言い方をする。
みんなに励まされる莉奈を遠目に見る切れ長の瞳は、なにもかも見透かす真実の鏡のようだ。
篝には莉奈がわざとやっているのか、単に配慮を欠いていただけなのかわからなかったが、佐助が後者であると確信していること、それが見当外れではないことを悟った。
莉奈と京香は仲が良かったようなのに、何故急に仲違いしたのだろうか。京香が心配だったが、そっと見守ることにした。
「四時半から、今日の夕飯のカレー作りをするからな。ホテル裏にあるバーベキュー場に集合だ。それまで自由タイムだ」
鷹代の言葉で、砂浜に集合していた生徒たちが散り散りになった。
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