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四時半になり、バーベキュー場に生徒達が集まった。篝の班は男子が佐助と真澄、女子は彩実、沙也、風花の六人班だ。
「カレー作りなんて、小学校のキャンプ以来だわ」
佐助が楽しそうに枯れ木を集めてマッチを擦る。
火起こしは佐助と沙也、食器運びは篝と彩実、米とぎは真澄と風花担当だ。
篝は彩実と一緒に坂を少し下った場所にある小屋に向かった。
小屋の中には飯盒や鍋やまな板などが入ったカゴと、皿やスプーンが入ったカゴが一つずつ用意してあった。
「食器と調理器具のカゴを一つずつ持って行って下さい」
小屋で見張り番をしている月山が生徒達に声を掛ける。口元は柔らかく笑っているけれど、銀色のフレームの眼鏡の奥の涼しげなヘーゼルの瞳はやはり無感情に見える。
篝は密かに月山から視線を逸らした。
「どうかしましたか、篝君」
月山が首を曲げて篝の顔を覗き込む。
「いいえ、なんでもありません」
ポーカーフェイスで答えながら、背中がヒヤリとした。
観察されていると思うのは被害妄想だろうか。仮にカウンセラーという職業上、月山が自分や他の生徒をさり気なく観察していても可笑しくはないが、彼に見られていると思うと落ち着かない。
「私は食器とスプーンのカゴでいいかしら?」
彩実の声で我に返る。
「道が不安定だから手が塞がっていると危ない。俺が二つ持つ」
「あら、いいのかしら?けっこう重たそうよ」
「平気だ」
「ありがとう、さすが篝君ね」
篝はカゴを二つ持って彩実と小屋の外へ出た。
男子が重い調理器具のカゴ、女子が軽い食器のカゴと役割分担してカゴを運ぶ中、カゴを両腕に提げて、デコボコした坂道をヨタヨタ歩いている京香を見つける。
「佐野」
声を掛けると京香はびくりと肩を震わせた。強張った顔で振り返った彼女は、篝の顔を見ると少しほっとした顔になる。
「水名月くん」
「一人か?他の班員はどうした」
「えっと、その、岩城くんが一緒だよ」
「岩城が?」
立ち止まって辺りを見回すと、岩城は違う班の川瀬とおしゃべりしていた。一人でカゴを運ぶ京香を手伝う気はまったくなさそうだ。
不真面目な奴だ。
篝は溜息を吐くと、左手に持っていた食器のカゴを右手の大きなカゴに重ねて、空いた左手を京香に差し出した。
「一人じゃ大変だろう。一つ持ってやる」
「い、いいよ。悪いし」
「そうよ、京香。自分の班の男子に頼みなさいよ。篝君に頼らないでよね」
彩実が怒ったような顔をすると、京香は顔を青褪めさせて必死に「本当に平気だから放っておいて」と、彼女に同意を示す。
その姿があまりにも憐れで、見ていて苦々しい気持ちになる。半ば強引に京香から重い方のカゴを奪い取った。
「水名月くん、ごめんね。重いでしょ?」
円らな目が不安げにこちらを見上げる。篝は頬を柔らかく緩めた。
「平気だ。ほら、行くぞ」
「うん、ありがとう」
ほっとした顔で京香が並んで歩き出した。彩実が鋭い視線を京香に向けているのを感じたが、何も気づいていない京香にそれを知らせるのは憚られる。知らせたところでどうしようもない。
篝は何も知らないふりをして、バーベキュー会場に戻った。
「篝、お疲れー。サンキューな、重かったか?」
「別に重くない。火は起こせたか?」
「バッチリだぜ。こういう作業、得意なんだよ」
「はは、佐助は無人島に一人で流れ着いても生きていけそうだね」
「真澄、それって褒めてんのかよ?」
「もちろん褒めているさ。適応力があるのは素晴らしいことだよ、種の保存には必要だ」
「なら、いいけどよ。さて、カレー作り始めようぜ」
佐助の言葉で班員が動き出す。普段から包丁を使っている篝が率先してタマネギやニンジンをカットしていった。
皮むき器を使ってジャガイモの皮を剥くのに四苦八苦していた風花が、大袈裟なほど弾んだ声で篝を褒める。
「篝クン、すっご~いっ!もしかして、お料理男子?」
「いちおう、普段から自分で料理をしているから慣れているだけだ」
「カッコイイっ!イマドキって感じだよねぇ。ほんと、すてきぃ」
甲高い声で褒めちぎられて篝が戸惑っていると、彩実と沙也がずいっと風花と篝の間に入り込んだ。
「ちょっとブウカ、騒いでないで手を動かしなさい。ねえ、沙也」
「そうだよ。篝くんが困ってるじゃない」
「ご、ごめんね、彩実ちゃん、沙也ちゃん。デブブタのワタシが篝クン、ううん、水名月クンと喋るなんて図々しいよね。怒らないで、ごめんなさい」
顔をくしゃくしゃに歪ませて風花は必死に頭を下げた。彩実と沙也はそれに対して少し困惑気味に顔を見合わせる。
「なんてゆーか、ちょっと女子陣の雰囲気が不穏だよな」
佐助がそっと耳打ちをする。篝は小さく頷いた。
「女の子には女の子の世界があるのさ。僕ら男が迂闊に踏み入ると、彼女達のバランスや人間関係を壊しかねない。そっとしておこう」
真澄が小声で言った。佐助がにやりと笑う。
「さすがは女タラシの真澄。女の世界に詳しいな」
「そんなんじゃないよ。佐助だって、けっこう遊んでるだろう?」
「真澄ほどじゃねえって。真澄こそ何人カノジョいるんだよ?」
「人聞きが悪いな、今は彼女はいない。最高の友がいるからね」
「ほー、意外。でも、好きなヤツはいるんだろ?」
篝は手元のジャガイモの芽をとりのぞきながら二人の会話を聞いていた。
秘密主義の真澄は何も答えないだろう。
篝の予想に反して、真澄は答えを口にした。
「いるよ」
篝は包丁を握る手を止めた。意外だ。驚いて真澄を見ると、彼は薄茶色の瞳でじっとこちらを見詰める。
「好きな人はいる。ずっと、その人だけが好きなんだ」
真澄の薄茶色の瞳には熱が宿って潤んでいる。はじめて見る顔だ。
「真澄は一途なんだな。好きな人がいたなんて、知らなかった」
思わず興味深げに真澄をじっと見ると、彼はいつもの顔に戻った。
「僕の恋愛話なんてつまらないよ、ねえ、佐助」
「つまらなくはねーけど、ここらが潮時だな」
真澄に視線を向けられた佐助は、さっきまでのノリの良さを急に潜めて、真面目な顔でジャガイモを切りだした。
真澄の好きな人は誰なのだろう。興味を持った瞬間に会話が終了したことに閉口したが、人の心など暴くものじゃない。篝も野菜のカットを再開する。
野外炊飯なんて初めてだったが、カレーは上手に仕上がった。
他の班は米の炊きあがりに問題があったり、カレー野菜に火が十分通っていなかったりと不満を口にしていたが、篝の三班はすべてが完璧なカレーライスを作り上げた。
「今日の活動はこれで終了だ。風呂は大浴場を順番に使え。ちゃんと時間を守れよー。消灯は十一時だからな。合宿だからって夜更かしすんなよ。じゃあ、ホテルに戻るぞ」
鷹代が先頭を歩き、生徒がぞろぞろと続く。影沼オーナーと月山は最後尾を歩いた。
このまま何事もなく一日が終了するはずだった。だが、不穏な気配はすでに足音もなく篝達に忍び寄っていた。
「やだ、怖いっ!」
鷹代のすぐ隣を歩いていた莉奈が、ホテルに着くなり悲鳴を上げて彼に縋りついた。
突然の悲鳴に、何事かとみんながざわめきはじめる。
「あれを見ろ!」
最上が指を差した先、ホテルの観音開きのガラス戸に異変が起きていた。透明なガラスが禍々しい赤色で汚れている。辺りには鉄錆のような生臭いが立ち込めていた。
血濡れた扉には、一枚の張り紙が貼ってあった。
『この中にシリアルキラーがいる』
おどろおどろしい赤で書かれた文字に、眩暈がした。
この殺人鬼め。
頭の中に忌まわしい声が響き渡り、心臓が妙なリズムを刻み、息が乱れる。
よろめいた篝を真澄が背後から支えた。
「大丈夫かい、篝?顔色が悪いよ」
「すまない。少し、気分が悪くなった」
「気にしないで、支えていてあげるから」
篝は真澄の言葉に甘えて、自分より広い肩に少し体重を預けた。
母を守るために早く大人になりたくて、心身ともに鍛えてきた。周囲の人にいつも冷静だとか、大人びているとか言われているが、こんなことで動揺しているあたり、自分もまだまだ子供だ。
真澄に凭れながら、篝は自分の弱さにうんざりする。
「キモッ、これ誰がやったんだよ?」
「最低ね、こんな気持ち悪いことするなんて。まさか、本物の血?」
「マジかよ。字も血で書いてあんの?スゲーな」
悲鳴を上げる女子、面白がる男子。どちらも怖いという感情は薄く、ハプニングを楽しんでいる節がある。合宿で起きたフィクションのような出来事に、多かれ少なかれ興奮している様子だ。
本気で嫌悪、あるいは恐怖している生徒は少ない。そんな中、好奇心旺盛な佐助は意外にも無関心な目で、じっと張り紙を見ていた。
「おい誰だよ、こんな馬鹿な悪戯したのは!犯人がいるならすぐに名乗り出ろ」
怒った声で言う鷹代に生徒達が口々に「知らない」と返答する。
「まったく、手の込んだ悪戯しやがって。月山先生、掃除を手伝ってもらえますか?」
「ええ、勿論です。皆さん、君たちの中に犯人がいないとは思っていますが、もしもこんなことをしてしまった人が居たら、僕か鷹代先生に申し出て下さい。悩み事があるなら相談に乗ります。また、気分が悪い人、怖い人も相談に来てくださいね」
呆れと怒りが混じった顔をする鷹代とは正反対に、月山はいつも通り穏やかな顔で生徒達を見回す。さすがはスクールカウンセラーだと感心する反面、篝はやっぱり彼を苦手だとも思った。
「影沼オーナー、ホテルを汚してすんません。掃除道具を貸してもらえますか?」
鷹代の言葉に影沼オーナーは反応しなかった。鷹代が怪訝な顔で影沼オーナーを見る。篝も彼の方に目を遣った。
影沼オーナーは亡霊のように青褪めた顔で、目を見開いていた。
「大丈夫ですか、影沼オーナー」
月山が声を掛けると、影沼オーナーがはっとした顔になった。彼は突進するような勢いで張り紙が貼られたドアに近付いていく。
ざわめいていた生徒達は鬼気迫る影沼オーナーの顔に慄き、口を噤んで、彼を通すように左右に割れた。影沼オーナーは無言のまま張り紙をはぎ取り、くしゃくしゃに丸めた。
漸く視線が集まっていることに気付くと、彼は丸めた紙を後ろ手に持ち、無理やりぎこちない笑みを浮かべた。
「こんなくだらない張り紙、気にしないでください。みなさん、疲れているでしょう。掃除は私がしておきますので休んで下さい」
「いや、悪いですよ。片付けはオレと生徒達でするんで」
「本当に結構ですので。どうぞ、ホテルにお入りください」
「じゃあ、お言葉に甘えて。手が必要ならいつでも言って下さいよ」
鷹代は一礼するとホテルの中に入った。篝達もその後に続く。
「ねえ、さっきの影沼オーナーヤバくなかった?」
「あのハナシ、本当かもね」
後ろの方にいる女子達がひそひそと話しているのが聞こえてきた。
気になったが、噂話に首を突っ込む幼稚さはない。篝は聞こえないふりをした。
ロビーに集まり、簡単に明日の予定を確認してから解散となった。
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