第三章

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「犯人、誰だろうな……」  風呂場の脱衣所で篝が呟くと、佐助が片眉を軽く吊り上げた。 「なんだよ、篝、あんなの気にしてたのか?」 「気になるだろう。シリアルキラーなんて、物騒だから」 「物騒ねぇ。むしろ大袈裟な言葉過ぎて、書いた奴の脳味噌のレベルを疑っちまうぜ。それより気になるのは、字を何で書いたかってことだよ」 「赤い絵の具じゃないのかい?」  真澄の言葉に篝は首を横に振った。 「俺には血のように見えた。でも、まさかな」 「あれは確かに本物の血だったぜ、篝。問題は悪戯の為だけにあんだけの血を用意した奴がいるってことだ。野生動物でも捕まえたのか、ホテルで飼ってる鶏でも殺したのか。どっちにしても、書いてあった言葉よりも、オレはそっちの方が気持ちワリィわ」  脱衣所で話し合っていると、入れ替わりで風呂から出て行く途中の小田がこちらを睨んだ。 「キミ達、あとの班が待っているんだ。のろくさ着替えてないで、早く風呂に入りたまえよ。ボクらが急いで出た意味がないだろう!」 「大丈夫だよ、ちゃんと決められた時間以内には出るさ」 「どうだか。曽根くんはのろまな牛みたいにのんびりしてるからね」  鼻の頭からずり落ちかけた眼鏡を直しながら、高圧的に小田が吐き捨てる。  相手が温厚な真澄だろうか。どこか馬鹿にしたような態度だ。罵倒された真澄は涼しい顔だが、篝は小さく眉を顰める。 「時間は厳守する。だから、俺達のことは気にするな」  放っておいてくれという苛立ちを込めて言ったのだが、小田はどこか誇らしげな顔で腕を組んだ。 「ボクと同じで真面目な水名月くんが言うなら、まあ、大丈夫だね。わかってくれればいいんだ。ボクらは退散しようか。行くよ、草間くん、小西くん」  大人しい草間と鈍くさい小西。二人を部下のように従えて小田が去っていく。 彼らが完全に脱衣所を出たのを見送ると、佐助が小さく息を吐いた。 「なんだかなー、小田ってなんでああなんだろな」 「ああってなんだ?」 「なんつーか、偉そうってカンジだよ。赤塚にはヘコヘコしたり、怯えて逃げるくせに、他のヤツには上から目線で、いじられまくってるくせに篝や鷹センが味方に付いている時は岩城にも噛みつくだろ。ああいうとこがダメなんだよな」  佐助はだいたい誰にでも友好的だ。相手が嫌な奴であっても、飄々とした笑みで上手く立ち回る。人に対して不満など持たないと思っていた。よほどさっきの小田の態度が癇に障ったのだろうか。 篝が意外だという顔を向けると、佐助が苦笑いをする。 「そんな顔すんなよ、篝。オレだってたまには、悪口ぐらい言うって」 「そうだな、すまない。ちょっと意外で」 「小田はちょっとな……。虫が好かないってやつ?」 「誰でも人の好き嫌いの一つや二つあっても不思議じゃないな」 「そういうこと。そんじゃ、おっさきー」  早々と着替えを済ませて佐助が浴室に消えた。 二人きりになった更衣室で、真澄が悪魔めいた笑みを浮かべる。 「本当は佐助には人の好き嫌いなんてないよ。だって、佐助は自己完結の世界に生きている人だから。他人なんて、彼の世界には最初からいないんだよ」 「真澄、それはどういう意味だ?」 「そのままの意味さ。気を付けてね、篝。佐助はいい奴だし、信頼もできる。でも、手放しに信用してはいけない。佐助は座学系の科目の成績が悪いけど烏みたいに賢いからね。緊急事態には、自分の利益を考えて上手く立ち回れるタイプだから」 「真澄は佐助が嫌いなのか?」 「まさか、佐助は友達だよ。そう言う事じゃなくて、お人好しの篝と違って、佐助は必要があれば利己的な道に走れるタイプだから、非常時には頼りすぎるなって話だよ」  笑いながら言った真澄が見知らぬ人間に見えた。浴室に向かう真澄の後を追えずにぼんやりと広い背中を見詰める。 「どうしたんだい、篝。ほら、行こう」  振り返った真澄はいつもの彼だった。ほっとして篝は後に続く。  家庭の風呂の延長線上に過ぎないだろうと期待していなかった大浴場は、意外と広くて純和風の美しい造りだった。 洗い場は三つと少ないが、二種類の風呂がある。一つは長方形の檜風呂で硫酸塩泉の泉質を持ち、動脈硬化の予防や美肌効果が期待できるらしい。円形の狭い浴場はジェットバス仕様だ。 「いやー、最高だな。正直オレ、ほぼ無人島のホテルなんて期待してなかったわ。もっとオンボロ宿を想像してたぜ」 「僕は佐助と違ってリゾート系なホテルを予想していたよ。こんな辺鄙な場所だからね、安ホテルじゃ誰もこないんじゃないかな?ねえ、篝」 「確かにそうだな。でも、宿代がいくらか知らないが、学生を泊めてくれるぐらいだから金持ち相手の高級宿ではないだろう。それに島への船便は少ないし客の数は期待できない。スキー場と海水浴場の利益があっても、生計が成り立たなさそうだ」 「言えているね。リタイアするような年齢でもないし、夏と冬限定でホテル経営っていうならわかるけど。不思議だね」 「すげー大金持ちで、ホテル経営は趣味だとかじゃね?それか、世捨て人だな」  くだらない話をしながら熱い湯船に浸かっていると、時間が経つのを忘れてしまいそうだ。うっかり交代の時間を過ぎそうになる。  長湯して更衣室に戻ると、次に入浴する岩城、木戸、川瀬がすでにいた。  こちらに気付いた岩城が垂れ目を細める。 「テメーらおせーじゃねーかよ。仲良し三人組でこそこそいやらしいことしてたのか?」 「ちょ、岩城やめろよ。マジでやってそうじゃん。いっつも三人でいるしな。曽根とかバイっぽいし。美人な水名月相手ならイケんじゃね?やべっ、ウケるー」 川瀬が手を叩いて笑うのを、篝は冷めた目で見ていた。誰がどう見てもただの友達同士の男三人がイチャイチャしているところを想像して揶揄するなんて、幼稚すぎる。  真澄も佐助も、当然彼らの出鱈目な罵倒など気にしないだろう。そう思っていたが、真澄は意外にも心底怒ったような顔をして拳を握っていた。今にも殴りかかりそうな雰囲気だ。 真澄の不穏な気配に戸惑っていると、木戸が近付いてきた。 上から下まで観察するように篝を見て、下品な笑みを浮かべる。野球少年にあるまじき爽やかさの欠片もない顔だ。 「色白いよな、水名月。お前、なんか色っぽいなあ」  木戸の言葉に岩城がゲラゲラと声を上げて醜く嗤う。 「言えてる、テメー女子かよ。今度から王子様じゃなくて、お姫様って呼んでもらったらどうだ?チンコついてんのか?見せてみろよ」  岩城がタオルをはがそうと手を伸ばしてきた。篝が払いのけるまえに、真澄が無言で彼の手を払いのける。 岩城が垂れ下がった目尻を吊り上げた。 「なにすんだよ、曽根!旅行先だからって調子こいてんじゃねーぞ!」  今にも真澄に飛びかかりそうな岩城を、すかさず佐助が宥めた。 「まあそうカッカすんなって、岩城。お前らがガキみてーにはしゃぐから、大人しい真澄の堪忍袋の緒が切れちまったんだよ。真澄はこう見えても力つえーし、ブチ切れるとマジでこえーからやめとけって。何より真澄の顔に傷なんてつけたら、女子に嫌われんぞ」 佐助に軽く肩を叩かれて、岩城が大きく舌打ちをする。 「伏見、オレに敵対するならテメーでも容赦しねーぞ」 「そう言うなよ。ここの温泉最高だったぜ。そんなに時間ねーし、オレらみてーな浮草に構ってないで、さっさと入ってこいよ。それとも、オマエらじつはオレらと友達になりたいわけ?」  飄々と笑う佐助に毒気を抜かれたのか、岩城は大きく鼻を鳴らして川瀬と木戸を従えて離れていった。 篝は小さく溜息を吐く。 「悪い、佐助。助かった。真澄もありがとう」 「いいってことよ。ほら、真澄も怖い顔してねーでさっさと着替えて行こうぜ」 「……うん、そうだね」  不満げな顔をしていたが、真澄もパジャマ代わりの半袖とジャージに着替える。  岩城達が浴室に消えると、真澄がこちらを窺うように見た。 「なんだ、真澄」 「ううん、篝、大丈夫かなって思って」 「何がだ?」 「けっこう嫌な感じのこと言われていたから」 「俺達がいちゃついているということか?気にしていない、あんなのガキの戯言だ」 「それもあるけど、身体について言われたりとか―…」 「平気だ。金髪碧眼だから色のことでからかわれるのには慣れている」  篝の答えに真澄は困ったように眉根を寄せた。真澄も日本人の割には薄茶色の目と髪で色素が薄い。そのことで、彼は小学校低学年の時からかわれたり、いじめられたりして泣いていた。その時のことを思いだして、嫌な気分になっているのだろうか。 「そのことじゃねぇって、篝。真澄が気にしてるのは、女みてぇって言われたり、エロいっつわれたことを気にしてんだよ」 「そのことか。別に平気だ」 「だってよ。真澄ももう気にするなよ」  真澄はまだ何か言いたげだったが、佐助が終わりだと態度で示すように手を二回叩いたので、何も言わなかった。
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