第三章

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部屋に戻ると、篝達は一つのベッドに三人で集まり、持ってきたお菓子を開けてお喋りを始めた。  色んな話を経て、佐助の提案で怖い話が始まった。星宮高校の七不思議が話題になる。  佐助が普段は見せない真面目腐った顔になって、低い声で話しはじめた。 「篝や真澄は、うちの学校の七不思議って知ってるか?」 「俺は六月の悪魔ぐらいしか知らない。確か、六月になると悪魔が現れて必ず悪いことが起きるという話だったな。真澄は?」 「僕が知っているのは六月の悪魔と、四番目の七不思議の血染めのプールだけだよ」 「どんな話なんだ?」 「数年前、水泳部の女子が毎日のように部活後遅くまで一人、プールで自主練をしていた。三年生最後の試合前で気合も入っていたし、入賞を期待されていたプレッシャーもあっただろうね。 ある夜、その子はプールで死んでしまった。真っ赤に染まったプールに浮かんでいたんだ。手首を切っていたけど、死因は心臓発作。 自殺なのか他殺なのかはわからない。それ以来、時々うちの学校のプールは真っ赤に染まる。そんな七不思議さ」 「妙な話だな」  顔を顰める篝に、佐助はケラケラと笑った。 「だから、七不思議ってな。じゃあ、他の七不思議も教えてやるよ。一つ目の七不思議は美術室のバラバラ死体。 美術室に一人でいると、頭の狂った芸術家の幽霊にアートにされちまうらしいぜ。身体を切断され、まるで一つの作品のように飾られるって話だ」 「気持ち悪い話だな。いきなりグロテスク過ぎるだろう」 「まだまだ序の口だぜ、篝。二つ目の七不思議は食堂の吊るされた人。これは七不思議かどうか微妙なんだけどな、学校の食堂で早朝首を吊って自殺した奴がいたんだ。 それから暫くして、朝練で早くやって来た学生がたまたま一人で食堂を訪れたそうだ」 「何故、食堂を訪れたんだ?朝から食堂が開いているわけがないのに可笑しくないか?」 「篝、話の腰を折るなよ」  佐助がクッキーを手に取り、篝の口に押し当てた。 「それでも食って、黙って話を聞いてろって。こういう話はな、つっこんじゃいけないってのがルールなんだよ。理屈っぽいこと言ってたら怖さが半減しちまうだろ」 「確かに、怖い話っていうのはディテールがあやふやだから、余計怖いっていうのはあるね」 「真澄の言う通りだぜ、篝」  そういうものなのだろうか。反論したい気分に駆られたが、無理やり押し込まれたクッキーを咀嚼していたので、黙って佐助の話に耳を傾けることにした。 「そんじゃ、続けるぜ。食堂にやってきた生徒は床に妙な影が映っているのを見た。窓も扉もきっちりしまっていて、風もないのに、ぶらぶらと揺れている振り子のような影だ。 何かが頭上で揺れている。影の正体を確認しようと、顔を上げたけど何もいない。見間違いだろうかともう一回床を見ると、やっぱり影が映っている。 嫌な予感がしながらも、そいつはもう一回天井を見上げた。 すると、今度は首を吊って死んでる学生の幽霊がそこにいた。青紫色に腫れあがった顔、口からだらしなく垂れた舌、ろくろ首みてーに不自然に伸びた首。白い目がぎょろりと動いて、目があった。 その数か月後、そいつも首吊りで死んじまったそうだ。噂では、幽霊に首にロープを引っかけられて、無理やり自殺させられたそうだ」 「なんで食堂なんだろうね」 「そりゃあれだろ、うちの食堂は校内で唯一、梁が剥き出しだろ?首吊りしやすいんだって。他の教室じゃ蛍光灯ぐらいしかロープを引っ掛ける場所ないじゃん」 「なるほどね」 「佐助、人に理屈は抜きだと言いながら、自分が理屈っぽいことを言ってるぞ」  篝がじとりとした目を向けると、佐助はカラカラと笑った。 「さすがにリアリティなさすぎるとつまんねーじゃん。天井からロープが垂れ下がってましただったら、明らかに作り話だってことになるだろ。 さて、次は三話目だな。せっかくだし、電気消して話すか。カーテン開けといたら、月明かりで手元はちゃんと見えるし、雰囲気でるんじゃね?」 「賛成だね」  珍しく乗り気な真澄がカーテンを開けて、電気を消す。 暗闇に包まれた部屋を窓から差し込む青白い月光が照らす。互いの顔と手元のお菓子を見るのには不自由しない程度の明るさだ。 空には半月よりも大きな月と星が輝いていた。 「三つ目は家庭科室の魔女だ。うちの学校の家庭科室には魔女が住んでいるんだぜ。家庭の調理実習の時、先生が用意した食材を使って、同じように調理した料理を食べた。だけど、一人の生徒だけ食中毒で倒れたんだ。 原因は不明。そいつは一週間の入院後、無事退院できた。 でもまた別の月に、家庭科クラブの女子が数人腹痛で倒れちまった。やっぱり原因はわからずじまい。別の日には一人の生徒が調理実習で作ったグラタンを食って死んだ。 保健所が調査に入ったけど、結局学校にはなんの落ち度もなかった。食中毒になった生徒は、みんな援交やってたりとか、いじめっ子だったりとか、不良だったりしたもんで、家庭科室には正義の魔女が住んでいて、悪いことをした生徒に毒を盛るんだってことになったみたいだぜ」  話を聞き終えた篝は眉根を寄せた。 「普通の七不思議は、ベートーベンの肖像画の目が動くとかだろう?星宮学校の七不思議はまるで犯罪デパートだな」 「ぶはっ、犯罪デパートって、おもしれーこと言うな、篝」 「やめてよ、篝。お腹が痛くなる」 「本当に面白い。犯罪デパートか、確かにその通りだ」 笑っているところに自分たち以外の声が聞こえて、三人は揃って肩をはねさせた。 全員同時に振り返ると、部屋の入り口に誰かが立っているのが見えた。  部屋を包み込む闇と廊下の明るさのせいで顔が上手く見えない。顔が真っ黒に塗り潰されているように見えて、篝は珍しく恐怖を感じた。佐助も真澄も同じように固い表情で唇を引き結んでいる。  パチリと音がして、部屋が明るくなった。入り口に立っていたのは月山だった。 「不用心ですよ、修学旅行でも鍵は掛けた方が賢明だと思います」  月山が温厚な微笑みを浮かべながら近付いてくる。 「月山先生か。びっくりさせないで下さい」  胸を撫でおろしながら言った真澄に、月山は申し訳なさげに眉根を寄せる。 「消灯時間が迫っているので見回りをしていたら、面白そうな話が聞こえてきたので、つい」 「意外っすね。カウンセラーの先生が七不思議なんて幼稚な話に興味あるなんて」  佐助の言葉に、月山が短い笑い声をあげた。 「カウンセラーという人種は、案外、子供っぽい性格の人が多いんですよ。いえ、子供っぽいは他のカウンセラーの人にいささか失礼ですね。感受性が強いと言っておきましょうか。面白そうなことを見つけると、つい首を突っ込みたくなるんです」 「あんたがそういうタイプだとは、見掛けに寄らねーな」 「消灯までまだ十五分ほど時間があります。邪魔でなければ僕も仲間に混ぜてください」 「七不思議なんて月山先生が聞いても、面白くねーんじゃないっすか?」 「いえいえ。ミステリーやホラーは好物なんですよ。迷惑でなければ、ぜひ」  佐助が篝と真澄を見る。 「汚い部屋でよければ、どうぞ」 真澄がそう答えたので、篝は月山の参加にあまり乗り気じゃなかったが、小さく頷いた。 月山はコンソールテーブルの下に収納されている椅子を引っ張ってきて、腰を降ろした。 「もう四話目まで話したけど、五話目からでいいっすか?」 「もちろんだよ、伏見君」 「五番目は開かずの部屋。学校の南棟の三階の一番隅の部屋は誰も入れない、開かずの部屋となっている」 「あの物置になっている部屋だろう、隣の書道室に行った時に見たぞ。大事な資料もあるから入れないと鷹代先生から聞いた」 「篝、書道部でもねーのに書道室に何しに行ったんだよ」  鷹代先生と放課後二人きりで畳みでくつろいでいた。とはまさか言えずに、篝は佐助の話に首を突っ込んでしまったことに後悔した。 「いや、用事で―…」 「ふぅん、用事ねぇ」  佐助の目の奥がキラリと光った。篝は身構えたが、幸い佐助は何も聞いてこなかった。 「あの部屋が開かずの部屋になったのには理由がある。じつはあの部屋、昔は自習室の代わりに使われててな、悪いことをした生徒があの部屋で反省文書いたり、教室に行けない生徒が集まって自習してたりしてたんだよ。 ところが、あの部屋から飛び降り自殺する幽霊を見たって生徒が現れてな、はじめは先生も取り合わなかったんだけど、流行り病みてーに噂が次々と生徒たちの間で広がり、とうとう先生の中にも幽霊を見た人がでてきた。 そんで開かずの間になったってワケだ」 「開かずの間ですか。確かに、不使用の部屋があると気になりますよね」 「月山先生は開かずの部屋の話、単なる作り話だと思いますか?」  真澄の質問に、月山は穏やかな笑みを浮かべた。 「どうでしょう。少なくとも、僕が大学を卒業してこの学校のカウンセラーとして働きはじめて十二年経ちましたが、開かずの部屋で幽霊を見たことはありません」 「先生が働きはじめた時、開かずの間はまだ使われていましたか?」 「ええ、伏見君の話した通り、自習室のような使われ方をしていました。でも数年後、開かずの間になりましたね。 残念ですけど、明確な理由は聞かされていません。大事な資料の保管場所にしたいから、生徒達に入られては不味いと鍵をかけっぱなしになったようです。以降入室していないので、真偽は知りませんが」 「真相は闇の中ってやつだな。さてと、次は六番目の七不思議な。六番目は六月の悪魔。その名の通り、六月に現れる悪魔の話だ。 毎年、六月に誰かの持ち物無くなったとか、誰かが自殺したとか、階段から落ちて大怪我したとかなにかしらの事件が起きる。 それは六月の間だけ目覚める、学校に住み着いた悪魔が生贄を欲しているからなんだぜ。人の不幸は六月の悪魔にとって蜜の味だそうだ」 「佐助、それは偶然の一致だろう」 「まあそう言うなよ、篝。悪魔がいるって証明すんのはムリだけど、いないって証明するのもムリじゃん」 「一理あるな」 「だろ?それじゃあ最後の七不思議を始めるぜ。七不思議ってのは七つ知るとヤベーことになるそうだけど、話してもいいか?」 「やばいことになるって、それはあきらかに嘘だろう。お前は七不思議をすでにすべて知っている。だけど、見たところ何ともなさそうに見えるが」 「ふはっ、確かに。さすが篝、ド正論。つまり、七つ知っても大丈夫ってことだな。じゃあ話すぜ」  咳払いをすると、佐助は声のトーンを落として訥々と語り始めた。 「最後の七不思議は、呪われたトイレだ。学校の一階の隅、職員室を通り過ぎた所にトイレがあるだろ。 あそこの男子トイレで昔、暴行事件があった。ガラの悪い男の体育教師が一番奥の四番目の個室に気の弱そうなチビの男子学生を連れ込んで、よく暴行を加えていたらしい。 トイレの便座に座らせて縛り、服で隠れる部分を蹴る、タバコの火を押し当てるオーソドックスな暴行から始まって、だんだんエスカレートしちまった。 そのうち性的な暴行もするようになって、最終的には首をしめて殺しちまったんだ。体育教師は焦って、その男子生徒をバラバラに解体し、桜の下に埋めた。 ほっとしたのもつかの間、その男子トイレから呻き声が聞こえるようになった。結局、呻き声に悩まされて体育教師はノイローゼになり、精神科送りになったそうだぜ。これが、最後の七不思議だ」  真っ黒な目が篝と真澄の顔を交互に見た。佐助が牙のような長い犬歯を見せて嗤う。 「もしかすると、これからとんでもないことが起きるかもしんねーぜ。お二人さん、最後まで七不思議を聞いた感想は?」 「この学校の七不思議は残虐なものが多いね。篝はどう?」 「胸糞悪い話が多くてうんざりした。幽霊はともかく、この七不思議が偽りない真実なら、この学校は犯罪に塗れているな」 「まあ、トイレの花子さんとか、体育館でボールが一人でに跳ねてるっていう可愛い内容ではないよな。篝の言う通り、狂気じみた犯罪話ばっかだ。月山先生はどう思う?」 「興味深い話が多いですね。学校の問題を啓発するような内容が多く含まれるし、凶悪犯罪を仄めかす内容もある。 七不思議というのは元来、子供が持つ恐怖心が形になってできたトイレの花子さんや歩く二宮金次郎などの話が多い。 それと比べると、この学校の七不思議は犯罪めいたものが多いのは確かだ。どうしてこんな話が七不思議となったのか、非常に興味があります。 最後の話について、僕は違う話を聞いたことがあるのですが、話してもいいですか?」 「おっ、月山先生が怖い話してくれるってか?俺は歓迎っすよ」 「では、伏見君のご要望に応えて、語らせてもらいましょう。僕が聞いた最後の七不思議は、集団神隠しです」  集団神隠しなんて、いよいよ犯罪じみてきた。 篝は密かに小さく息を吐く。あまり聞きたくない。でも嬉々として話している月山に申し訳ないので、しょうがなく耳を傾ける。 「かなり昔の話だそうですが、この学校では昔、集団で生徒と先生がいなくなったことがあるそうです。生物室で授業を行っていた二年六組の生徒たちと生物の先生が一斉にみんないなくなってしまった。 二十八人の生徒と一人の教師は誰一人として見つかりませんでした。勿論、彼らが生物室を出るのを見た者もいない。 途中まで書かれた黒板、開きっぱなしの教科書にノート。まるで人だけを消し去ったような異様な光景だったそうです。さて、生徒と先生は何処へ行ってしまったんでしょうね。 これが、僕の知っている七番目の七不思議です」  淡々とした声で語られた話を頭の中に思い浮かべて、篝は不気味さに背筋が冷たくなるのを感じた。 珍しく怖いと思ったのは、月山の語りが上手だったのか、苦手なタイプの話だったのか。 「そういえば、君達も二年六組で、二十八人ですね。どうか、気を付けてくださいね」  じっと自分達を見詰める月山の淡いヘーゼルの瞳があまりにも真剣で、篝達は揃って言葉を失った。 部屋の温度が急にヒンヤリとしてきた気さえする。さっきまでとは違う嫌な静けさが部屋を漂う。  篝達が黙り込んでいると、月山がすっと目を細めた。小さな笑い声が静寂を揺らす。 「すみません、そんなに真剣な顔にならないでください。ちょっとした余興ですよ。合宿に怪談はつきものでしょう?」 「月山先生、役者っすね。俺、こえーって思っちまった」 「僕もです」 「満足してもらえて何より。さて、そろそろ消灯時間ですので失礼します」  月山が部屋から出て行くと、篝達は散らかしていた片付けをして、ベッドに入った。 「怖い話をしている時に思い出したんだけど、このホテルは十二部屋って言っていたけど、12号室の隣にもう一つ部屋があったんだ。オーナー部屋は一階にあるし、なんの部屋なんだろうね」  真澄の呟きに窓際のベッドの佐助がガバリと起き上がった。 「魔の13号室ってやつか?おもしれー」 「佐助の反応、最上と同じだよ。それに対して赤塚がね、しけこみ部屋じゃないかなんて最低なこと言っていたよ。岩城達もノリノリでさ、中に入ってみようなんて言ってたけど、鍵が掛かっていて断念したみたいだった。でも、そのうち開けるんじゃないかな」 「ふうん」 「佐助は入ってみたくないのかい?」 「別に。ここの鍵、オートロックじゃねえから簡単に開いちまいそうだけど、鍵を壊してまではな」 「佐助は意外と真面目だからな」 「違うよ、篝。佐助は変なところで冷めているだけ」 「オイオイ、ヒデーな真澄」 三人は暫く会話を続けていたが、真澄が真っ先に喋らなくなった。  窓側を向いて布団を被った佐助も、寝息を立てはじめた。 二人が完全に寝入ったのを確認してから、篝はそっと部屋を抜け出した。 もうすぐ日付が変わる。 三階の廊下はシンと静まり返っていた。部屋のすぐ隣にある非常階段の扉を開けた。足音を忍ばせて階段を下りている途中で、望んでいた人の姿を見つける。 「鷹代先生」 「おう、篝。なんだよこんな時間に。真面目なオマエらしくないぜ」 「すみません、先生に夜這いしようと思って」 「よば……、やめろ、怖いだろ」 「冗談です。ただ、寝る前に一目会いたくて」  自分の言葉に頬が熱くなる。恥ずかしさが込み上げて、鷹代の目をまっすぐ見ていられなくなった。 珍しく瞳を伏せた篝に、鷹代が笑い声をあげる。 「真面目な篝君が頑張って悪さしようとしたご褒美な。一緒に悪い子になろうぜ」  鷹代が篝に手を差し出す。意図が分からずにきょとんとしている篝の手を、大きくて熱い手が握った。 目をぱちくりさせる篝を引っ張って、鷹代は非常階段を上がる。 磯の匂いを孕んだ夜風はひんやりとしているけど、握られた手が熱い。跳ね上がる心音が鷹代に聞こえないか内心ハラハラした。 「どこへ行くんですか?先生」 「いいとこだよ」  四階のスイートルームのある階まで来ると、鷹代は非常階段から室内に戻った。1号室の前を通り過ぎ、中央エレベーターの近くにある階段をまた上って屋上に出る。  都会と違って周囲に眩しい街灯がないせいだろう、星がよく見える。煌めく星々の美しさに篝は眩しくもないのに目を細めた。 そんな篝を見て、鷹代が得意げな笑みを浮かべる。 「この島は星がよく見えるだろうって踏んでてな。夜にこの屋上テラスに来ようって決めてたんだよ」 「すごく、綺麗です」 「だろ?」 「鷹代先生、独り占めするつもりでしたか?」 「いや。実はな、はなからオマエを誘ってやろうと思ってた」  思わぬ言葉に篝が目を丸くすると、鷹代は珍しく少し慌てたように眉根を寄せる。 「違うからな、変な意味はねぇぞ、誤解すんなよ。ただ、オマエにはいつも掃除や飯作ってもらったりしてるから、ほんのお礼だ」 「そんな、俺が好きでしていることだから気にしなくてもいいのに。でも、こんな素敵な星空観賞に誘ってもらえて嬉しいです」  篝が顔を綻ばせると、鷹代も笑みを浮かべた。 「あーあ、今日は色々あったな。なんか、波乱の幕開けって感じの一日だったけど、この合宿大丈夫なのかよ」 「珍しいですね、先生が弱音なんて」 「むいてねぇんだよ、教師なんて。オレの親がさ、手に職つけろ、いい大学に行けって煩くてさ。自分でしたいこと見つけらんなかったし、言いなりで教育学部卒業して、教師になったんだよ」 「後悔しているんですか?」 「ちょっとな。オレ本当は陸上選手になりたかったんだ。でも、オマエには才能がないって言われて簡単にあきらめて、大学受験に専念しろって言われて高二の時にやめちまった。後悔してる。チャレンジするべきだったな」 「今からでも、チャレンジしたらいいと思います」 「ははっ、篝は強いな。まあ、もういいんだよ。それより、オマエに聞くことじゃないけど、佐野ってイジメられてんのか?」 「わかりません。王島達と仲良くしていた気がしますが、最近は微妙です。今日は下着を隠されようでしたし」 「そうなのか?気付かなかった」 「先生は片付けをしていたから。そう言えば俺も去年、水泳の後で下着が無くなりました」 「マジかよ。で、見つかったのか?」 「見つかってません。六月の悪魔とやらの仕業かもしれないですね」 「六月の悪魔、ああ、ウチの学校の七不思議ってやつだな。それで、パンツ見つかんなくて、オマエはそのあとどうしたんだよ?」 「普通にノーパンで授業に出ましたよ。ズボンだから誰にも気付かれませんでした」 「オマエ、本当に強い奴だな」 空を見ていた視線を篝に向け、鷹代がにっと笑う。  暫く黙ったまま寄り添って夜空の星を見上げていた。じっとしているうちに身体が冷えてきて、篝は小さくくしゃみをする。 「大丈夫か、篝。わりぃ、薄着だから寒いよな。風邪ひいたら大変だ。病院も船もねえからな」 「平気です。もう少し、先生とここに居たい」 「駄目だ、戻るぞ」  ぴしゃりと断られて、篝は渋々と室内に引き返した。  室内に戻って四階でエレベーターの到着を二人で待つ。 「先生、一つ聞いてもいいですか」 「ん、なんだよ?」 「どうして、合宿の前の日に俺にキスしたんですか?」  真正面から真顔で尋ねた篝に鷹代は呆れたような顔をする。 「オマエな、それ今ここで聞くのかよ」 「先生にとってはたかがキスでも、俺にとっては初めてだった」 「マジかよ、イケメンのくせに。悪かったな、オレなんかが奪っちまって。一つ確認するけど、オマエはその、同性愛者なのか?」 「違います」 「なら、なんでオレなんだよ」 「先生だから好きになったんです、性別なんて関係ない。不良生徒に絡まれている俺を体を張って救ってくれた。強くてかっこよかったです。あの日からずっと、俺は先生ばかり見ている」 「それさ、単なる憧れじゃないか?」 「俺もはじめはそうだと思っていたけど、違います。先生には申し訳ないですけど、ライクでもありません。真剣です」  篝が淀みなく言い切ると、鷹代は困ったように眉をハの字に下げて後頭部を掻き毟った。 「オマエは、やっぱ強い奴だな」 「強くないです。俺は母を守れなかったし、自分の身すら守れない」 「そういや複雑だったな、オマエの家。大変だな」 「昔は少し大変でした。でももう平気です。母も小康状態を保っています。そんなことより、俺の質問に答えてください」 「お、おう。悪い。はぐらかすつもりじゃなかったんだよ。そうだな、なんつーか、その衝動的にやっちまったというか―…」  なんとも言えない答えに、篝は不満げに口をへの字に曲げる。 鷹代が慌てたように手を振った。 「違うぞ、誰にでも衝動的にキスしちまうってワケじゃねぇから。まあ、なんだ。オレもそれなりにちゃんと考えてるって意味だ。篝が卒業するまで、彼女作らずに待つから」  予想外に前向きな答えが返ってきて、篝は満面の笑みを浮かべた。 「あー、ほら、エレベーター来たぞ。ガキはとっとと寝ろ」  エレベーターに無理やり押し込まれ、三階で降ろされる。 「ほら、おやすみ篝」 「鷹代先生、おやすみなさい」  篝は軽い足取りで自分の部屋に戻った。  いい夢が見られそうだ。布団を被り、篝は静かに目を閉じた。
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